最近、山西省忻州市の頓村サービスエリアで、ある出来事が人々の耳目を集めました。強風が吹き荒れる中、敷地内に掲げられていた中国共産党の「五星紅旗」が、旗竿ごとへし折られて地面に倒れたのです。偶然その場に居合わせた人が動画を撮影してSNSに投稿したところ、瞬く間に拡散されました。動画にはたちまち「倒れた」「縁起が良い」といったコメントが殺到し、「年明け早々これだ。昔なら旗が倒れるのは不吉な兆しだ」と書き込む人もいました。
ネット上が騒然となる中、関連動画とそのコメント欄はたちまち運営側によって削除される事態となりました。事情を知るユーザーによれば、元の動画とすべてのコメントが消え去った後、投稿者の別の動画に事情を尋ねるコメントが寄せられました。それに対し、投稿者は自ら削除したのではなく、運営側に強制的に消されたのだと無念さをにじませていたといいます。アカウント凍結を防ぐためのやむを得ない措置だったのでしょう。それでも人々の熱は冷めやらず、至る所で「神様も呆れ果てている」「天意には逆らえない」といった書き込みが相次ぎました。さらには、これを政権の運命と直接結びつけて「王朝末期の異変そのものだ」「命運はすでに尽きた」と指摘し、旧体制の終焉と、自由や民主、法治に基づく新たな社会が一日も早く到来することを待ち望む声まで上がっています。
実際、「五星紅旗」に関連する不可解な出来事は近年相次いでおり、その度に大きな注目を集め、様々な憶測を呼んでいます。例えば2025年10月1日には、カナダのオタワにある中国大使館前で、五星紅旗が逆さまに掲揚される事態が発生しました。多くのネットユーザーはこれを「天の警告」と見なし、建国記念日である国慶節を「国が死んだ日」と揶揄しつつ、その日に旗が逆さになることの象徴的な意味を指摘しました。また、2024年4月には、恵州技師学院のグラウンドに掲げられた五星紅旗に稲妻が直撃し、旗が一瞬にして激しく燃え上がるという衝撃的な瞬間を捉えた動画が拡散されています。こうした異変は、重要な政治や外交の舞台でも起きています。2019年には香港の中央駐香港連絡弁公室のビル外で五星紅旗が逆さに掲揚され、2014年に中国の最高指導者がベルギーを訪問した際には、滞在先のホテル前の旗が突然旗竿の頂上から滑り落ち、まるで「半旗」のような状態になりました。さらに2012年のG20サミットでは、当時の胡錦濤国家主席が記念撮影の後に靴の底に貼り付いたシールを剥がしたところ、それが五星紅旗の図案だったという出来事までありました。
なぜこれらの偶然に見える物理的な現象が、人々の間でこれほどまでに強い政治的な連想を引き起こすのでしょうか。自然の異変と政権の運命を結びつけるこの心理は、決して単純な迷信ではありません。それは、古来より中国に伝わる「天意と人の営みは連動する」という思想に深く根付いたものです。中国の歴史を振り返ると、社会の転換期や王朝交代の前夜には、しばしば奇妙な天候や自然現象が伴ってきました。後漢末期の星の異常や、明朝末期における長年の大干ばつ、あるいは戦場で大旗が折れるといった出来事は、古人にとって、統治者の無道と不徳に対する天からの厳重な警告でした。現代のネットユーザーが書き込んだ「不吉な兆し」という言葉は、まさに中国人の深層心理にある「徳がその地位に見合わなければ、必ず災いが降りかかる」という素朴な信仰を呼び覚ましたものと言えます。政権に対する民意の基盤が揺らいだ時、強固に見える権力の象徴も、目に見えない天意と大きな民意のうねりの前では、往々にして脆く儚いものとなるのです。
このような「天意」を見出そうとする心理の底には、中国の民衆が抱える重い歴史的記憶があります。1949年以降、反革命鎮圧や反右派闘争から、大躍進、文化大革命に至るまで、絶え間なく続いた政治運動は、無数の一般市民に理不尽な災厄をもたらし、多くの家庭を崩壊させました。その重い歴史的トラウマは未だ完全には癒えておらず、人々の心の中には深い悲しみとともに、体制に対する根本的な疑念と不信感が蓄積されているのです。
歴史の傷跡に加えて、現在の人々がこうした「異変」に対してこれほどまでに喜び、時には拍手喝采すら送るのには、切実な現実的背景があります。近年、経済成長の鈍化や高い失業率により、多くの若者が将来に不安を抱えています。社会階層の固定化が進む中、耳を疑うような理不尽な事件も相次ぎ、それが公衆の信頼を絶えずすり減らしています。厳格な言論統制の下で重い生活の圧力に直面する民衆は、安全に意見を表明したり自らの権利を守ったりする手段を奪われている状態です。極度に抑圧された社会環境において、人々は現実に対する無力感や不満を、「五星紅旗が倒れる」といった極めて象徴的な出来事に投影するしかありません。かつて絶対的な権威を与えられていた旗が音を立てて崩れ落ちたことは、抑圧された感情を吐き出す絶好のはけ口となったかのようです。人々が旗の倒壊に喝采を送るのは、実際には自分たちの困窮した現実に対して声を上げているのであり、現行体制に対する深い失望の表れに他ならないのです。
だからこそ、過去十数年の間に相次いだ旗の逆立ち掲揚、強風による倒壊、滑り落ちての半旗状態、あるいは落雷による焼失といった出来事は、多くの人にとって単なる偶然の事故ではなくなっています。それは、天が民意に応えて発した無言の警告として受け止められているのです。民意に背き、民衆の苦しみを見て見ぬふりをするいかなる権力も、結局のところ歴史が前進する大きなうねりに抗うことはできません。それは時代の覚醒とともに、必ずや終幕へと向かうことでしょう。
(翻訳・吉原木子)
