旧正月休みの後半、中国北部の天候は急変しました。強い寒気の影響により、寒波、強風、砂嵐、大雪の4つの警報が同時に発令される異例の事態となり、多くの地域で気温が10度以上急降下したほか、今年最大規模の強烈な砂嵐が吹き荒れました。
2月21日はちょうど旧暦の1月5日にあたり、北京はこの異常気象の直撃を受けました。同日午後、強風とともに空を覆う黄砂が街を席巻して視界が著しく低下し、西部では視程が2キロメートルほどに落ち込みました。延慶や房山などの西部山間部では局地的に風力10以上の突風が吹き、最大風速は風力階級14(猛烈な風)に達したほか、市街地でも最大風力9を観測しています。飛来した砂嵐の深刻な影響で、市内のリアルタイム大気質指数(AQI)は午後5時に測定上限の500に達し、PM10濃度は極めて深刻な汚染レベルとなりました。黄色く濁った空の下、北京西部には奇妙な「青い太陽」さえ出現しました。専門家によると、空気中に密集した砂埃の粒子が波長の長い赤い光を散乱、吸収したため、太陽が青白い光を放っているように見える現象だということです。
突如襲来したこの悪天候は、人々のお祭り気分にすっかり水を差しました。旧暦1月5日は民間伝承で「財神(金運の神様)を迎える」吉日とされているため、空を覆う黄砂はネット上で格好の話題となりました。ある人は「財神の代わりに砂埃がやって来た」と苦笑いし、今年は「土を食べる(金欠で極貧生活を送ることを意味するネットスラング)」ことの暗示ではないかと冗談を飛ばしています。時代劇のセリフを借りて「正月早々に砂嵐が新年の挨拶に来るなんて、皇帝はまだ自らの過ちを認める詔(みことのり)を下さないのか」と皮肉る人もいました。SNS上では悲惨な体験が次々と投稿され、故宮で全身砂まみれになった北京のユーザーが「午前中はホコリを吸い込み、午後は砂を噛む羽目になった」と嘆き、帰路の機内から北京上空が完全に土黄色に覆われているのを目撃した乗客もいました。少し散歩に出ただけで顔中が黄砂まみれになり、辺り一面が黄色く濁ってしまったという天津や河北省のユーザーの声も後を絶ちません。
長く北京に住む人々にとって、晩冬から初春にかけて黄砂が舞うのは決して珍しいことではありません。ここ2、3年の記録を振り返っても、砂嵐は度々発生しています。2023年3月22日に砂嵐の黄色警報が発令された際は、市内の大部分で視界が1キロメートル未満に低下し、続く4月中旬にも強力な砂嵐に見舞われました。2024年には3月下旬の典型的なモンゴルからの越境飛来型砂嵐に加え、6月22日には初夏としては極めて異例の青色警報が発令され、野外集会や屋外スポーツ活動が緊急停止されました。直近の2025年においても、3月だけで2回にわたり警報が発令されています。度々襲来する黄砂により、市民の間では春になると天気予報を確認してから外出する習慣が定着しています。
北京がこれほどまでに砂嵐の標的になりやすい背景には、地理的、気象的なメカニズムが複合的に作用していると専門家は指摘します。まず、北京は内モンゴル高原やモンゴルのゴビ砂漠といった広大な砂塵発生源の風下に位置しています。風上地域で乾燥した季節が続くと、地表の植生がまばらになり、砂嵐を発生させる十分な土台が作られます。次に気象力学的な要因として、晩冬から初春にかけては寒気と暖気が頻繁に入れ替わり、「モンゴル低気圧」が発生しやすくなります。強力な寒気が南下する際に生じる巨大な気圧勾配が猛烈な風を生み、これが巨大な扇風機のように地表の砂塵を上空へ巻き上げ、南東方向へと運ぶため、必然的に北京は砂嵐の通り道となります。近年の強い砂嵐が越境飛来という特徴を示すのもこれで説明がつきます。長期的な生態系回復プロジェクトにより年間平均砂嵐日数は大幅に減少しましたが、極端な気象条件が重なると、強い砂嵐は防壁を越えて再び襲いかかってくるのです。
今回の天候急変の影響範囲は、北京、天津、河北エリアにとどまりません。寒波の猛威により、内モンゴル自治区や甘粛省などで気温が10度から16度も急降下しました。砂嵐の東側の前線は河北省の張家口と石家荘を結ぶラインに急速に進み、南側の前線は甘粛省や陝西省一帯に到達しており、砂嵐の南限はさらに長江中下流域沿いに広がる可能性があります。同時に東北地方などでまとまった雪が降り、江南地域では広範囲で降雨が始まるなど、寒暖が急速に入れ替わる複雑な気象パターンを呈しています。
しかし、風と砂の被害に悩まされた北京市民にとって、この新春のハプニングは長くは続きませんでした。夜間の風向きや風力の変化に伴い、砂嵐の影響は21日の深夜にかけて徐々に弱まり、終息へと向かいました。
(翻訳・吉原木子)
