23トン。この数字が何を意味するか、想像できますか?
お米なら大人が何十年も食べられる量、鉄筋ならビルの骨組みを支える重さです。しかし、この23トンという物体が、すべて最高額面の「赤い紙幣」――つまり現金だったとしたら?
中国・安徽省(あんきしょう)にある小さな村、新城口村(しんじょうこうそん)。そこで発見されたのは、23トンもの札束が積み上げられた、目を覆いたくなるような「汚職の記念碑」でした。
それは国家の予算でも銀行の金庫でもなく、「劉兆本(リュウ・チョウホン)」という、たった一人の男の私有財産でした。
かつて「国家級労働模範」と称えられた、一介の村のリーダー。捜査員が彼の家の重い扉をこじ開けたとき、そこは足の踏み場もないほどの札束で埋め尽くされていました。その瞬間、「金」は単なる数字から物理的な「重さ」へと変わり、暴走した権力の狂気を具現化したのです。
しかし、これは単なる田舎の悪党のニュースではありません。「権力が監視を失うとき、小さなハエがいかにして人を喰らう虎へと変貌するのか」という、現代の寓話なのです。
私たちは往々にしてリュウ個人の強欲さに目を奪われがちですが、そこにはより冷たい真実が横たわっています。一人の人間にここまでの独裁を許したその「土壌」とは、一体どのようなものだったのでしょうか?
物語は、皮肉に満ちた「二つの顔」を持つ男から始まります。
長きにわたり、リュウ一族が支配する「帝国」は、金色の正義の衣をまとっていました。彼は村で絶対的な権力を持つ「党支部書記」であり、人民代表であり、何より国からお墨付きをもらった「労働模範」でした。
2008年の四川大地震の際、リュウ兄弟は私財でショベルカーを運び、千里の道を駆けつけ救援活動を行いました。その姿は多くの涙を誘い、公式メディアは彼を「中国の善人」と称えました。泥にまみれ、強い眼差しで被災地を見つめる彼は、間違いなく正義の化身に見えたのです。
しかし、その「英雄」の仮面の裏に、怪物の牙が隠されているとは誰も想像しませんでした。
リュウにとって栄誉は身を守る「免罪符」であり、役職は富を切り取る「刀」に過ぎませんでした。「党がすべてを指導する」システムの中で、彼は権力の血の匂いを敏鋭に嗅ぎ取っていたのです。単なる暴力では富は一時的なものだが、「組織の権力」を掌握すれば略奪を合法化できる。「国家政策の執行」という大義名分を着せることができるのだ、と。
ここで私たちは、完璧な「権力の換金」プロセスを目撃します。
国が採掘権の規制を強化したとき、リュウは「村の集団所有」という名目で、いとも簡単に許可証を手に入れました。この紙切れ一枚が、彼の手にかかれば魔法の杖に変わります。
ライバルを蹴落とすのに、自ら手を汚す必要などありません。電話一本で合法的な法執行機関を呼び出せばいいのです。「環境基準違反」「無許可営業」――もっともらしい理由で相手の工場を封鎖し、破格の安値で権利を譲らせる。これこそが権力の魔力です。法的手続きという「正義」の皮を被せて、ライバルを窒息させるのです。
この村において市場ルールは崩壊し、「リュウ一族の掟」だけが法律となりました。
ある時、発電所の資材納入でリュウ家と競合したマという男は、ただそれだけの理由で車列を塞がれ、トラックを破壊されました。さらにリュウは巨大な発電所の意思決定にまで介入し、「マの石材は品質が悪い」と、白を黒と言いくるめる理屈を押し通したのです。
彼がここまで暴走できた背景には、地方政府が「波風を立てないこと」を優先し、「仕事ができる独裁者」を黙認、あるいはその黒い金と癒着していた構造的な闇があります。
権力の狂乱の中、富の蓄積は異常な数字ゲームと化しました。
総資産、日本円にして約400億円。ピーク時には、たった一日で約850万円もの大金が懐に入ってきました。その金は125軒の不動産と、216台の高級車に変わりました。
ロールスロイスやベントレーが並ぶ倉庫に足を踏み入れると、ある種のめまいを覚えます。国際モーターショーよりも豪華な光景が、一介の村役場の職員の所有物だという不条理。それは単なる成金趣味を超え、監視のない真空地帯で暴走した権力が生み出した、病的な発散行為でした。
絶対的な権力は人心を腐らせるだけでなく、物理的に環境を破壊し、倫理の根さえも断ち切ります。
鉱山開発のために、リュウは10座もの美しい山を破壊しました。緑豊かだった山々は、いつ崩落してもおかしくない無残な巨大な穴となりました。
しかし最も許しがたいのは、採掘エリア拡大のために、村人の先祖が眠る墓を百基以上も掘り返させたことです。先祖への冒涜は、死者に対する最大の侮辱です。
白髪の老人が泥の中に膝をつき、「どうか先祖の眠る場所だけは残してくれ」と泣いて懇願しても、返ってきたのは暴漢たちの嘲笑と、ショベルカーの冷酷なエンジン音だけでした。「あいつは生き閻魔(いきえんま)だ」。村人の絶望に満ちた言葉は、この村が耐えてきた暗闇の深さを物語っています。ここではリュウこそが「天」であり、彼の意志は法律や道徳、人の生死よりも上にあったのです。
2019年、風向きが変わりました。一族の行状が通報されると、彼らを守っていたはずの「体制」の手によって、あっけなく切り捨てられたのです。
巨大な国家マシーンの前では、村の絶対権力者も無力でした。かつての傲慢さは法廷での震えへと変わり、言い渡されたのは25年の重刑。これで悪夢は終わったかのように見えました。
木槌の音が響き、23トンの現金が運び出され、高級車は競売にかけられました。祝いの爆竹が鳴り響きましたが、その紙屑も風に舞い、やがて静寂が戻りました。
すべては終わった。そう思われました。
しかし今、もしあなたが新城口村を訪れ、削り取られた10座の山の前に立ったとしたら、そこには「耳をつんざくような沈黙」があることに気づくでしょう。
大地にぽっかりと空いた巨大な鉱山の跡は、決して癒えることのない傷口のように空を睨みつけています。空洞を吹き抜ける風は、まるで嗚咽(おえつ)のように響きます。掘り返された先祖の骨は別の場所に移されたかもしれませんが、人々の心に刻まれた深い裂け目は、裁判が終わったからといって塞がるものではありません。
(翻訳・吉原木子)
