台湾の経営者が撮影した動画が最近、ネット上で拡散し、注目を集めています。動画に登場する男性は、自分のことを「台湾から来たおじいさん」だと名乗り、中国当局のいわゆる企業誘致の呼びかけに応じ、昨年、河南省信陽市で海鮮店を開いたものの、営業中に不当な扱いを受けたと訴えています。店の近くにある公衆トイレの水道代と電気代を強制的に負担させられ、さらに閉店の脅しまで受けられているというのです。
「いま皆さん、この公衆トイレを見てください。私が請け負ってから、この公衆トイレの水道代と電気代は全部、私ひとりが払っている。払わないと、断水すると脅されている」
「見てください、トイレのドアが全部ロックされていて、使わせてもくれない。ロックされたままだ。工事だから断水だと言うけれど、どこが工事しているのか?私は1年半も水道代と電気代を払い続けてきたのに、どうしてこんな扱いをされるのか?私が台湾人だから、いじめるのか」
香港の『鏡報』が2月10日に報じたところによると、この台湾男性は地元政府の誘致ルートを通じて信陽市に来て商売を始めたといいます。当初は安定した経営を望んでいるつもりでしたが、隣接する公衆トイレの水道光熱費を負担するよう求められました。関係者からは、費用を負担しなければ、店舗への断水や閉鎖などの措置を取ると明確に告げられました。男性はやむを得ず、公衆トイレの水道光熱費を1年半もの間、黙って払い続けてきました。
しかし、彼が特に納得できないのは、その「公衆トイレ」が、彼本人は使わせてもらえず、一般市民にも開放されていないことです。動画では、男女トイレの入口がどちらも施錠され、扉には「工事のため断水」といった趣旨の張り紙が見えます。彼は、この「工事で断水」という説明自体が事実ではないと疑い、料金を払い続けているのに「鍵をかけて使わせない」という扱いを受けているとして、狙い撃ちで意地悪をされているように感じると訴えています。
男性はまた、公衆トイレには本来、財政からの補助があるはずだとして、「それなら、そのお金はいったいどこに流れたのか」と疑問を投げかけました。
ここで注目すべきは、習近平氏の主導で2015年に開始された3年間の「トイレ革命」では、観光地において68000か所のトイレの設置または改修に200億元以上(約30億ドル)が投資され、目標の57000か所を上回りました。
それにもかかわらず、今回の件で問題になっている公衆トイレが、誰がどう管理し、費用がどう使われているのかについて、当局からの説明は今のところ見当たりません。
現時点で、信陽市の関係部門はこの件について公の場での説明を出していないとされます。今回の動画が広まったことで、中国の末端行政の運用、公金の扱い、台湾から来た事業者が中国本土で直面する投資環境について、改めて関心が集まっています。
歴史を振り返ると、1978年に中国当局が改革開放を始めて以降、外資や民間経済に対する姿勢は大きく転換しました。1979年1月1日に発表された「台湾同胞へ告げる書簡」では、政府として初めて両岸の経済・貿易交流を進める方針が打ち出され、台湾の企業家が中国本土に進出するための政策的な土台が整えられました。
1987年が重要な転換点になります。この年、中華民国の蒋経国総統が総統令を出し、1987年7月15日午前0時をもって戒厳令を解除すると発表しました。

戒厳令の解除後、台湾の企業家は大規模に中国本土へ渡り、視察や工場設立、投資を進めていきました。当時の投資先は、靴製造、繊維、食品加工、プラスチック製品などの労働集約型産業が中心で、「規模は大きくないが成果が早い」「輸出志向がはっきりしている」という特徴があったとされています。
1990年代は、台湾企業による中国本土への投資が一気に拡大した時期でした。中国本土側が外資の参入条件を段階的に緩和し、経済特区や各種の開発区を整備していくなかで、台湾企業の数も投資額も急速に伸びていきます。中国当局の統計では、1991年末の時点で、台湾企業の投資案件はすでに3000件を超え、契約金額は数十億ドルに達したとされています。その後の10年間で、台湾資本の企業はさらに増え続けました。2001年の世界貿易機関(WTO)加盟を目前にした時点では、累計で認可された台湾系プロジェクトが50000件を超え、直接投資の資金は約4.6兆円(300億ドル)近くに達したとされています。
浙江省寧波市の台湾企業家、蔡明東氏は当時を振り返り、こう話しています。
「2000年に寧波市に来た時、ほとんど全財産を持ってきた。正直、ここまで投資環境が良いとは驚いた。工業団地の計画がとにかく整っていて、私が見た中でも最も完成度が高く、土地の規模も大きかった。寧波市の企業誘致の雰囲気を見て、ここならやっていけると思い、投資して工場を建てる決断をした」
この時期、台湾資本の投資地域分布と産業構造にも変化が生じました。福建省や広東省に加え、長江デルタ地域が急速に台頭し、江蘇省昆山市、上海、浙江省などで、台湾資本の企業が集まる産業ベルトが形成されていきます。台湾企業は資金だけでなく、製造のノウハウや管理の仕組みも持ち込み、中国本土の輸出加工の仕組みの中に深く組み込まれていきました。その結果、中国が「世界の工場」と呼ばれるモデルを広げていくうえで、重要な一部を担う存在になっていったのです。電子部品、パソコン周辺機器、通信機器といった分野のサプライチェーンも、まさにこの段階で少しずつ形になっていきました。
2001年以降、中国がWTOに加盟すると、台湾企業の投資は一気に広がり、中国社会のさまざまな業界へ入り込んでいきました。投資の規模も、工場単体ではなく、部品調達から生産、物流までを見据えた産業チェーン全体への投資へと拡大していきます。
ところがここ10年ほどは、台湾海峡をめぐる緊張が高まり、地政学リスクも上昇しました。さらに中国本土のビジネス環境の変化も重なり、台湾企業の対大陸投資は明らかに冷え込んでいます。投資先を分散させたり、東南アジアへ移したり、あるいは台湾へ戻したりする動きが目立つようになりました。データによれば、台湾企業の対外投資のうち中国本土向けが占める割合は、2010年の83.8%から2024年には7.5%まで低下したとされています。
米国のシンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」が2024年9月に公表した「デカップリングではなく多元化――台湾産業の地政学リスクへの対応」と題する専門家研究では、57.4%の台湾企業が中国本土からの撤退を進めている、あるいは撤退を検討しているとされています。この調査は、2023年末に610社の台湾企業へ聞き取りを行った結果だといいます。
中国経済の減速が続き、外資が引き揚げを急ぐ流れの中で、それでも現地に残って事業を続ける台湾企業が、いまどんな立場に置かれているのか。今回のような出来事をきっかけに、その現実が改めて注目されるようになっています。
(翻訳・藍彧)
