旧正月が近づくにつれ、中国各地で農民工の移動が再び注目を集めています。例年なら、この時期は全国の農民工が帰省の途につくピークです。ところが2025年の冬は、その「恒例」がいつになく重く感じられます。早々に帰郷する人もいれば、やむを得ず現地に足止めされる人もいます。さらに、大都市の路上にとどまり、次の仕事の機会を待ち続ける人もいます。帰るにしても残るにしても、理想的な道は見当たらない。そんな空気が広がっています。

都市の現実 失業と流浪の冬の夜

 広東省の東莞や深セン市など、製造業が盛んな地域では、仕事が見つからず路上にとどまる農民工が少なくありません。深夜の動画には、東莞市東駅で、ある農民工が地面に座り、薄い上着を体に巻きつけて寒さをしのぐ様子が映っていました。バスに乗る金もなく、仕事もないため、冷たい風の中で夜明けを待つしかありません。動画の中で彼は「仕事が見つからない。駅で寝るしかない。ここに来たことを後悔している。どうすればいいのか分からない」と話していました。この言葉は一人の体験であると同時に、いま多くの農民工が抱える本音でもあります。

 かつて東莞市で働いていた80年代生まれの農民工、衛さん(湖南省岳陽出身)は、失業のために早めに故郷へ戻りました。記者に対し、11月末には東莞市での仕事を切り上げたと語り「年末は本当に仕事が見つからない。工場が移転したり、倒産したりした」と無念そうに話しました。

 彼の見るところ、東莞市の街には毎日多くの路上生活者がいて、同時に去っていく人も多いそうです。かつて周辺経済を支えた赤嶺娯楽公園(みねこうえん)の周辺も、店舗が廃れ、産業が枯渇し、かつての製造業の中心地は今や閑散としています。

 農民工の失業を直接引き起こしている最大の要因は、製造業の仕事が減っていることです。広東省の一部の大手受託生産企業、例えば励泰(れいたい)グループ、環球公司、時代グループなどは、相次いでベトナムやカンボジアなど東南アジアへ移転しました。製造業の受注が急減したことで雇用の枠も大きく縮んでいます。企業側は、米中の貿易摩擦と関税の不確実性が、企業移転の主な要因だと公に述べています。

 影響は東莞市だけではありません。近隣の江門市や中山市といった都市でも、工場の大規模な人員削減や操業停止、さらには閉鎖が相次いでいます。日本のキヤノンも、中山市にあったプリンター組立工場を今年停止し、撤退しました。こうした変化が重なり、数万人規模の労働者が職を失ったとされています。

 仕事を失い、収入の支えもなくなった結果、多くの農民工が都市での流浪生活に追い込まれています。駅の待合室で寝る人もいれば、橋の下の片隅で寝泊まりする人もいます。こうした現実は、公式が発表した失業データの統計と大きくかけ離れています。中国国家統計局によれば、11月の全国の都市部調査失業率は5.1%で、地方からの労働力の失業率は4.7%にとどまるとされています。

 専門家は、公式の失業率の算出方法では実態を十分に反映しにくく、特に農民工が統計対象に含まれていないため、数字と現実の間に大きな差が生じていると指摘しています。

帰郷の苦境 居場所がない

 都市の厳しい冬を避けるため、早めに故郷へ戻る農民工もいます。しかし帰郷は、必ずしも「安心できる避難先に戻る」ことを意味しません。衛さんは、「故郷に戻れば家族の支えがあり、飢え死にすることはないが、安定した仕事は見つからず、暮らしの厳しさは変わらない」とも語りました。

 広州市の玲さんも、「都市部では仕事が見つかりにくいが、故郷にも良い仕事はなく、生活費が安いだけ。貯金するのは難しい」と語ります。物流の仕事をしていた彼女の友人は、会社の人員削減でやむなく帰郷し、家賃の負担はなくなったものの、地元の賃金は低く、生活は楽にはならないといいます。

 都市の雇用機会には期待しながらも、都市部の高い生活費に耐えられない人もいます。湖北省恩施市の楊蘭さんは、8か月にわたる賃金未払いを経験した末に帰郷し、いまは両親を手伝って畑仕事をするしかありません。ただ、中国の多くの地域では1人当たりの耕地面積がもともと限られており、地元の土地はすでに誰かが請け負っているため、帰ってきた若者に回せる余地がほとんどないとされます。その結果、帰郷した若者が「耕す土地すらない」という状況に直面する例が広がっています。

 データによると、近年は農民工の就業構造が変化していることがわかります。従来の製造業が縮小する一方で、サービス業や物流、飲食などの比率が上昇しています。しかしその分、雇用市場が求める技能水準は高まっています。そのため、年齢が高く技能が低い農民工は現在、適切な仕事を見つけるのが難しい状況です。

 さらに報道では、今年は農民工の帰郷ラッシュが例年より早く現れ、人数の多さに中国当局が懸念しているとも伝えられています。関係部門が会議を開き、「大規模な帰郷・滞留の防止」を強調し、農民工の就労規模と収入を安定させるための特別な取り組みを打ち出したというのです。失業が引き金となって大規模な貧困の再拡大が起きるのを避けたい狙いがあるとみられます。一方で、この動きは社会的な議論も呼びました。農民工の移動に対し、政府が行政的に介入しようとしているのではないかという疑問の声も出ています。

行くも地獄、戻るも地獄

 都市に残る農民工は、家賃や食費などの生活費の高さ、社会保障の薄さ、仕事の減少という複数の重圧を同時に背負っています。住まいは安定せず、子どもの教育資源も限られ、地域社会に溶け込むまでの道のりも険しい。こうした積み重なった問題が、景気の悪化によってさらに表面化し、重くのしかかっています。

 一方で、故郷へ戻った農民工には、別の苦境が待っています。農村部には仕事がほとんどなく、限られた土地だけでは生計を支えきれない。年金は水準が低く、保障も十分とは言えず、生活費と収入のバランスが崩れやすい状況です。とりわけ若い世代にとっては、農村に就職や起業の機会が十分にあるとは言い難く、多くの人が再び大都市へ出て働く道を考えざるを得ません。

 農民工の晴さんは、早めに故郷へ戻ったものの、「旧正月が明けたらまた広東省に戻って仕事を探すつもりだ」と話しています。こうした揺れる気持ちは、帰郷した人にも都市に残った人にも共通しています。「より多くの機会を求めて都市へ戻りたいが、都市で待つ不確実さと高い生活費には踏み出せない。農村でこのまま沈んでいくことには納得できない。それでも、現実の壁をどう越えればいいのか分からない」

 数千万人規模の農民工が抱える、この行き場のない苦境は、個人の人生の選択にとどまりません。そこには、中国の社会と経済の構造が抱える深い矛盾と、解決が難しい課題が映し出されています。

(翻訳・藍彧)