中国共産党(以下、中共)が制定した「民間経済促進法」は5月20日に正式に施行されました。中共はこの法律の目的を「民間企業家の権益保護」と説明していますが、実際には中国国内の無数の民間企業家が財産を略奪されるという現実を変えることはできていません。
米国に逃れた企業家の証言
最近、米国ロサンゼルスで一人の中国人民間企業家がメディアの取材に応じ、自らが築き上げた十数億元にのぼる資産が、いかにして中共の地方政府の罠によって奪われ、さらに自分自身も冤罪で収監されかけたかという恐ろしい体験を語りました。
景輝辰(けい・きしん、仮名)氏は、数十の子会社や支社を擁する企業グループを創業しました。営業許可証の副本によれば、同社の登録資本金は数億元に達し、従業員は千人を超えていました。彼は企業を「わが子」のように大切に育ててきたと語ります。「心の中は非常に不満である。懸命に働いてきたにもかかわらず、一瞬で金も企業もすべて失ってしまった」
今年1月下旬、景氏は急いでアメリカ行きの便に乗り込みました。道中は常に不安に駆られていました。なぜなら、もし中国に留まっていたら、いつでも冤罪で逮捕される危険があると感じていたからです。
パンデミックを耐え抜いた地元の民間大手
景氏によれば、優秀な人材と柔軟な経営戦略により、彼の企業は業績が非常に良く、地元のビジネス界では「リーダー企業」と呼ばれていました。「基本的に、我々が手がけた各企業は、地域では一位か二位のシェアを誇っていた。多くの製品は全国で販売されている」。特に不動産分野では地域のトップとして大きな影響力を持ち、本人も多くの業界団体の会長を務めるなど、栄華を極めていました。
新型コロナウイルス(COVID-19、中共ウイルス)による3年間の封鎖措置で、中国全体の経済は深刻な不況に陥り、多くの民間企業が倒産しました。しかし景氏の企業は、この過酷な時期を生き延び、なおかつ数億元の現金を蓄えることができた唯一の企業だったのです。
政府の圧力で「負の遺産」を押し付けられる
景氏と地元政府との対立の発端は、ある大型不動産プロジェクトの「未完成物件」にありました。
数年前、景氏が所在する都市の中共委員会の幹部たちが彼のもとを訪れ、市中心部近くの未完成商業用物件を買い取るよう要求しました。幹部たちは「この土地を取得すれば、市としては未完成物件の『隠蔽』ができ、GDPを押し上げ、税収も増え、都市イメージの改善にもつながる」と説得してきたのです。
「私は当時、その物件を買い取りたくなかった。なぜなら、まだコロナ禍が完全に終息しておらず、面倒事が多くなりそうだったからだ。でも市の幹部は『お前が金を出したくないとかは関係ない。出せと言ったら出すしかない』と言った」と、景氏は振り返ります。市政府の官僚はまた、「買収後はすべての審査を特例で対応し、すべて「青信号」で進めさせる。これなら安心できるだろう?」とも述べたそうです。
景氏は、もし政府の意向に逆らえば後々報復されるかもしれないと恐れ、やむなく十数億元を投入して、その未完成物件を買い取ることにしました。ところがその後、「市の幹部の約束は一切守られなかった。それどころか、ますます状況は悪化した」と言います。
景氏によれば、買収を終えた直後、地方政府は突如として以前確認された契約書類を無効とし、約束を破棄しました。開発計画を市の都市計画委員会に提出した際には、市政府がその手続きを妨害し、さらに数億元を追加で納めない限り開発は認めないと通告されたのです。
この事態に、景輝辰氏は強いショックを受け、市政府を相手取り訴訟に踏み切りました。
証拠は十分に揃っていたため、訴訟は区裁判所から中級人民法院、高級人民法院に至るまで、すべて景氏側の勝訴となりました。しかし、それでもなお関係政府部門は開発計画の承認を下さず、景氏は正式な許可を得られないままとなっています。そのため、十数億元を投じたプロジェクトは完全に停止状態となり、結果的に新たな「未完成物件」と化してしまい、彼にとっては到底耐えがたい損失をもたらすこととなったのです。
警察の嫌がらせと拷問、そして密かに脱出
市政府との対立が長期化する中、景氏は、あらゆる手段を使って企業を救おうと奔走しました。省政府や北京の関係者にも働きかけたが、その過程でもさらに多くの金銭を要求され、結局何の成果も得られませんでした。
最後の手段として、彼は数名の幹部を連れて北京で陳情を行いました。ところが帰郷後、何か異変を感じ取ります。親しい知人から「市の幹部があなたの調査を始めた。留学中の子どもへの送金の調査が始まる」と密かに知らされたのです。その直後から、市工商局(しょうこうきょく)、税務局、公安局と、次々に彼の元を訪れました。
公安局の職員は「企業の安定について話がある」「企業に不正がないか調べる必要がある」と述べていましたが、その真意は誰が聞いても明白でした。
「要するに、これ以上行動するな、政府と対立するようなことはやめろ、という無言の脅しであった」と景氏は語ります。
2024年後半から、景氏はたびたび市公安局に呼び出され、事情聴取を受けるようになります。そして今年1月下旬、彼が最も恐れていた事態が起こります。
公安局長と支隊長、警察官の3人が彼を取り囲み、3日間にわたって尋問を続けました。局長は「なぜ、もう金を出さないのか?」と繰り返し問い詰め、彼の説明にはまったく耳を貸しませんでした。
この3日間、彼は複数回にわたって殴打され、睡眠を与えられず、拷問に近い取り扱いを受けました。「本当に、もう家に帰れないかもしれないと思った」と彼は振り返ります。
公安局から解放された4日目の朝、彼は誰にも知らせず、静かに上海へ向かいました。そして、ひそかに米国行きの航空機に搭乗し、自分が数十年も暮らしてきた祖国を後にしました。
「本当に、捨てきれなかったのだ。数十年も育ててきた企業は、私の子どもも同然だった」。取材中、彼は何度も言葉を詰まらせ、長い沈黙に沈みました。
仲間たちの結末と「民間経済促進法」の現実
景氏は、自分とともに民間経済を支えてきた企業家仲間たちを思い出しました。
「ここ10年間で、私の身の回りの、いわゆる都市の上層にいた企業家たちは、ほとんど持ちこたえられなかった。潰れた者、逃げた者、収監された者、無気力に諦めた者にはだいたいこの4つの末路しかない。今もなんとか踏ん張って経営している数名は、止まったら倒れるのがわかっているから止まれないだけである」
中共が制定した「民間経済促進法」は、民間企業家の合法的経営を保護すると明記されています。しかし景氏は、中共にとって民間企業の存在意義は極めて限定的だと語ります。
「中共は、必要なときは利用するけれど、不要になったら何の価値もない。企業の規模がある程度大きくなれば、どんな手を使ってでも政府が最終的に奪い取る。これが本当の姿である」
(翻訳・藍彧)