中国における臓器収奪の実態、ガットマン氏と『臓器収奪―消える人々』.
ガットマン氏と『臓器収奪―消える人々』(移植ツーリズムを考える会より)

一、森村誠一の『悪魔の飽食』

 『悪魔の飽食』は小説家森村誠一の1980年代の著作です。第二次世界大戦中の「日本の人体実験」(主に関東軍防疫給水部本部、通称七三一部隊によるもの)を告発する内容です。

 『悪魔の飽食』は、1981年11月に光文社から出版され、翌年、続編の『続・悪魔の飽食』も出版され、二冊はともに1982年の日本のベストセラーになりました。

 その後、1982年に『悪魔の飽食 ノート』、1983年には『悪魔の飽食 第三部』、1984年には『ノーモア悪魔の飽食』も続々と出版されました。

 ただし、第二部『続・悪魔の飽食』が出版された際、誤った写真が掲載されていたことが問題となり、絶版・回収され、後に改訂版が出版されました。そのため、森村誠一は右翼メディアや右翼活動家から、凄まじい抗議、攻撃、バッシングを受けました。

 一方で、そんな渦中の中、日本全国から激励の声も寄せられました。

 その後、七三一部隊の実態が、多くの学究や研究者によって、余すところなく追究され、世に暴露されたのです。 

 『悪魔の飽食』は、若者を中心に、広い層に読まれ、国際的にも大きな反響を呼びました。

二、「第七三一部隊」とは

 「七三一部隊」とは何か、森村誠一は『悪魔の飽食 ノート』の中で、次のことを書き綴っています。

 「関東軍防疫給水部本部 満州第七三一部隊。一九三一年、日本陸軍に創設された細菌戦遂行・研究のための特殊部隊で、非匿名を七三一といい、部隊長石井四郎軍医中将の名を取り、『石井部隊』とも呼ばれた。本部はハルピン市南部20キロ、平房付近に設けられた特別軍事地域にあり、厳重な軍機秘匿のもとに約二六〇〇人余の日本人医師、研究者、助手を軍属として動員、一九四五年八月の終戦直前まで細菌戦の実施研究をおこなった。特別軍事地域には大規模な研究実験施設、宿舎が完備し細菌製造工場があった。 

 部隊施設の中心に二棟の二階建特設監獄があり、対日抗戦で捕虜になった八路軍兵士やハルピン在住ソ連人をはじめ、多数中国人、ソ連人、モンゴル人、朝鮮人が収容されていた。捕虜たちはマルタ(丸太)と呼ばれ、生きたまま細菌実験や生体解剖の材料とされ、少なくとも三〇〇〇人以上が犠牲になった。

 終戦直後、石井四郎ら第七三一部隊幹部らはひそかにGHQ当局と接触、七三一部隊の研究実験データ提供と引き換えに戦争犯罪の免責を求め、戦犯追及を免れた。」

 また、『ノーモア 悪魔の飽食』の「軍備の魔性」という文章の中で、以下の内容も書かれています。

 「『悪魔の飽食』は関東軍満州第七三一部隊の実録である。同部隊は世界初めてにして最大規模の細菌戦部隊であり、3000人以上のマルタと呼ばれる捕虜を対象に惨たらしい生体実験を重ね、細菌兵器を大量生産した。また中国諸地域において細菌戦を実行した。さらに生きた人間を材料にしての実験の自由を餌に、日本各地から優秀な医者や科学者を集めた。七三一部隊においては、医学と生物学を兵器に転用し、「国のため」「真理の探求のため」という大義名分のもとに、学者が知性を悪魔に売り渡したのである。七三一部隊は決定的な兵器を持たない日本軍が、苦しまぎれにうみ落とした悪魔の部隊である。」

三、「七三一部隊」追及の動機について

 なぜ七三一部隊の実態を追及したのか、その動機について、森村誠一は『悪魔の飽食 ノート』の「対談―悪魔の七三一部隊を追って」(森村誠一+ジョン・W・パウエル)の中で、次のように語りました。

 「私は七三一部隊を追及する動機は、日本の戦争の歴史のなかで、七三一部隊の部分がすっぽり欠落していたということです。これまでいくつかの本で出ていますが、その情報は非常に不正確なんです。一方、日本では戦争を知らない世代が人口の半分以上になっている。そこで私は日本の国民に、特に若い世代のために日本の戦争の加害者の記録を正確に掘りおこして再現する必要があると思いました。……」

 また、『悪魔の飽食 ノーモア』の中でも、森村誠一は「対談―ペンと科学の責任の考量」(森村誠一+M・ウィルキンス)の中で、その旨を重ねて語っています。

 「戦争が人間を狂気に導き、医学者の理念までも見失わせる……。

 新たな戦争の抑止力の一つとして、戦争の真実の記録を書きとめ、次代に語り伝えなければならない、と考えたのです。」

 また、「平凡な一市民が悪魔に変身する。……二度と悪魔を蘇らせてはならない。このアピールにこそ、私たちが『悪魔の飽食』を執拗に追った最大の理由があるのである。」とも言っています。(悪魔の飽食 ノート『「悪魔」と「人間」の間にあるもの』)

 再び人間を悪魔に変身させてはならないないという執念のもと、森村誠一は七三一部隊の真実を追及し、闇に隠された歴史の真実を暴き、歴史の空白を埋めたのです。

 しかし、森村誠一の期待とは裏腹に、中国の大地においては、戦争のない平和な時代であるにもかかわらず、生きた人間から臓器を収奪し、さらに、違法な臓器移植を行い、しかも、それは刑務所、警察、病院、軍、衛生管理部門が絡んだ、事実上の国家犯罪とも言える恐ろしいことが、現在でも起きています。

四、「悪魔の宴」 中国における臓器収奪の実態

 中国当局の「臓器収奪」疑惑を巡っての報道が伝えられて既に久しく、当初、臓器収奪の対象は中国の気功集団「法輪功」の信者でしたが、現在、それがウイグルイスラム教徒やチベット仏教徒、良心の囚人にまで及んでいると指摘されています。

 2016年6月、カナダの元アジア太平洋国務長官デービッド・キルガー氏(David Kilgour)、アメリカのベテラン調査報道記者イーサン・ガットマン氏(Ethan Gutmann)、カナダの国際人権弁護士デービッド・マタス氏(David Matas)は、米国のナショナル・プレス・クラブで記者会見を行い、「中国共産党による人体臓器の強制摘出に関する報告書」を共同発表しました。

講演中のマタス氏(写真撮影:看中国/黎宜明)

 それによれば、「中国共産党による人体臓器の強制摘出が行われている」、そして「中国における人体臓器移植の件数は年間約6万~10万件で、2000年から現在に至るまで150万件に上る可能性がある」と指摘しています。

 中国では、ドナーの同意を得ない「生体臓器の収奪」と、違法な臓器移植が横行していると見られています。

 中国の天津市には、アジア最大規模の臓器移植センターがあり、その名は「第一中央病院東方臓器移植センター」と言います。当移植センターは、2003年12月28日に設立され、敷地面積は3,000平方メートル、病床数は500床、3つのフロアで、24時間利用可能な手術室を備えています。

 ここは肝臓と腎臓の移植を中心に行う他、骨、皮膚、幹細胞、毛髪、心臓、肺、角膜、咽喉の移植も行う多臓器移植センターとなっています。

 病院の公式ウェブサイトによると、「リーダー的な存在である肝臓移植の専門家・沈中陽医師は、20年以上にわたって肝臓移植の臨床と基礎研究に携わって来た。沈氏は臓器移植学科を初めて創設し、多くの臓器移植従事者を育成した。彼が率いるチームは、全国70近くの医療機関での肝臓移植を支援してきた。この20年間、彼のチームは累計1万例以上の肝臓移植を行った」とのことです。

 そして、多くの韓国人が移植のために天津に訪れたことも報道されています。

 2000年以降、毎年推定3000人の韓国人が臓器移植を受けるために中国を訪れていると見られています。これは、韓国のKorea’s Chosen TVが2017年に放映したドキュメンタリー『殺戮、中国移植観光の闇(Killing to Live: The Dark Side of Transplant Tourism in China)』で明らかになったことです。

 このドキュメンタリーは、天津第一中央病院の臓器移植センターを調査したものです。当病院のベテラン看護師は番組制作側に、「中国では、臓器は簡単に手に入ります。 どこから来たのかは知りませんが、2時間以内に新鮮な臓器をここに持って来られます」と証言しています。

 天津第一中央病院の臓器移植センターは、中国の臓器移植システムの縮図に過ぎず、臓器移植を行える病院は中国全土に、少なくとも700以上あると言われています。

 これだけ大量の健康な臓器を簡単に入手できるということは、中国のどこかに、臓器を供給するマルタ(丸太)が存在し、彼らは生体材料として切り刻まれるのを待っているということではないでしょうか?

 そのような光景を想像すると、ぞっとします。

 国連人権理事会の特別報告者は2021年、中国当局が囚人から同意を得ずに臓器を摘出している懸念があるとして、独立機関による調査を受け入れるよう中国政府に求めましたが、中国側はそれを否定し調査を拒否しました。

 それは当然でしょう。なぜならば、この組織犯罪の主犯は他でもなく中国共産党当局そのものだからです。

 人間をマルタ(丸太)のように扱うのは悪魔の行為です。

 この地上は悪魔の思うまま、横暴に振る舞う楽園ではありません。残忍残虐な犯罪行為にかかわる全ての組織や個人に対する天からの裁きは、遅かれ早かれ必ず下されると信じています。

参考文献:

「ノーモア 悪魔の飽食」森村誠一 (株)晩聲社 1984年

「悪魔の飽食 ノート」森村誠一 (株)晩聲社 1982年

(文・一心)