日本の夏に軒下などに吊るされ、涼しげな音が鳴る風鈴は、夏の風物詩として親しまれています。

 風鈴は、古代中国で仏堂や仏塔の軒に吊り下げられていた「風鐸(ふうたく)」が起源とされています。風鐸は青銅製や真鍮(しんちゅう)製の鈴のことで、風を受けるとカランと力強い音を響かせ、寺院建築を飾る荘厳具(そうごんぐ)として設置されていました。

 この風鐸は仏教とともに日本へ伝来しました。法隆寺の五重塔の相輪の四隅に吊るされている風鐸は、現存する日本最古のものとされています。日本に伝わった風鐸は長い歴史を経て、やがて現在の風鈴という姿に変化してきたのです。

一、風鈴の起源は古代中国に遡る

 風鐸(ふうたく)の「鐸」は、もともと古代中国の打楽器の一つでした。そして仏教がインドから中国に伝来した際、仏塔に小さな鈴を吊るす風習も同時に伝わりました。その影響を受け、中国では、従来の「鐸」が寺院の屋根や仏塔に設置されるようになり、やがて「風鐸」へと変化を遂げたのです。

 西暦547年に成立した『洛陽伽藍記(らくようがらんき)』は、中国古代の仏教史書で、北魏時代における歴史、地理、仏教、文学、そして歴史上の人物や故事について記述されています。その中には、洛陽にある永寧寺(えいねいじ)について、以下のような記述があります。

 「この境内には九重の塔が一基あって、木を組み上げて建てられ、高さは九十丈(約260メートル※実際の推定復元高は約130〜140メートル)。……塔は九層で、そのどの四角にも金の鈴(鐸)が吊るされ、上下全部を合わせると百三十もあった。……風のある秋の夜などは、 金の鈴(鐸)の音が響きあって、その鏗鏘(こうしょう)たる調べは、十余里にまで聞こえた。」『洛陽伽藍記』より

 この記述は、北魏の時代において、風鐸がすでに仏塔の装飾として広く用いられ、寺院の景観として完全に定着していたことを示しています。しかし残念ながら、永寧寺は現在、遺跡が残るのみとなっています。

 一方、現存する有名な風鐸の塔としては、1576年に建立された、現在の北京西郊にある慈寿寺(じじゅじ)塔が挙げられます。この八角13層の密檐(みつえん)式煉瓦造りの仏塔には、合わせて3304個もの風鐸が吊るされていたとされています。3000個を超える風鐸が風に揺られ、風情ある音色を四方に響かせる景観を想像すると、今でも胸を打つものがあります。

 現在、お寺自体は失われ、この塔のみが佇んでいますが、当時の豊かな風鐸文化を今に伝える貴重な歴史的遺産となっています。

慈寿寺塔(A J Butler, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons)

二、なぜ寺院の建築物に風鐸を吊るすのか

 風鐸は当初、占いや風向きを判断するために用いられていましたが、時代が進むにつれて、より深い宗教的な意味合いが与えられるようになりました。

 たとえば、風鐸の表面には経文や真言が刻まれるようになり、人々の祈願や邪気払いなどの願いが込められるようになったのです。また、風に吹かれて響くその音色は、仏道を歩む人々への警鐘でもありました。修行僧に対しては「修行を怠らないように」、世間の人々に対しては「名声や利益などの煩悩に溺れないように」と、それぞれ自省や戒めを促す意味を持つようになったのです。

 さらに、実用的な役割もあったと考えられています。多くの寺院は山や森の中に建てられており、木造の屋根はスズメなどの鳥が巣を作りやすい環境にありました。そのため、風鐸が風に揺られて鳴る音によって鳥たちを驚かせ、巣作りを防ぐ「鳥よけ」の効果も期待されていたのです。

三、日本への伝来と風鈴への変遷

 風鐸(ふうたく)は、飛鳥時代から奈良時代にかけて、遣唐使によって仏教とともに中国から日本へ伝来しました。

 当時の日本では、強風は流行り病や邪気などの災いを運んでくるものと考えられていました。そのため、風鐸の音が聞こえる範囲は「聖域」とされ、災いから守ってくれる魔除けとしてお寺の四隅に吊るされるようになったと言われています。

 飛鳥時代の姿を今に伝える世界最古の木造五重塔(法隆寺五重塔)では、最上部にある金属装飾「相輪(そうりん)」に風鐸が吊るされており、これが現存する日本最古の風鐸とされています。各層の軒の四隅にも風鐸が吊るされていますが、これらは後世(鎌倉時代など)に交換されたものと考えられています。

五重塔(663highland, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 なお、発掘調査による出土品ベースでの「国内最古級の風鐸」としては、日本初の本格的寺院である飛鳥寺の塔跡から発見されたものが挙げられます。これも当時は、塔の軒先に吊るされていたと推測されています。

 平安時代から鎌倉時代にかけては、その神秘的な音が「聞こえる範囲には災いが起こらない」と信じられ、貴族たちが邸宅の軒先に吊るして厄除けとして使い始めました。これに伴い、風鐸はより軽やかな、小ぶりの金属製の鈴へと姿を変えていきました。

 やがて、鎌倉時代の僧侶・法然上人(ほうねんしょうにん 1133〜1212)は風鐸を「風鈴(ふうれい)」と名付けました。それまでの「ガランガラン」と鳴る魔除けの道具から、「極楽浄土の美しい音色を連想させる、清らかな鈴」へと捉え直したためです。

 その後、室町時代から江戸時代にかけて、風鈴は武家や貴族の間で縁起物として親しまれるようになります。さらに江戸時代に入ると、長崎経由で伝わってきたガラス技術によってガラス製の風鈴が作られるようになり、一気に庶民の間で定着し、呼び方も風鈴(ふうりん)へと変化していきました。

四、日本の夏を彩る涼やかな風鈴

 今、風鈴は、主に夏の軒下などに吊るす小型の鈴として親しまれています。風で短冊が揺れると、内側の「舌(ぜつ)」という部品が本体に当たり、軽やかで涼しげな音を奏でるという仕組みです。

神社にかけられたガラス製の風鈴(滋賀県大津市 萱野神社)(Sago350, CC0, via Wikimedia Commons)
売られている金属製の風鈴(Public domain, via Wikimedia Commons)

 そんな風鈴は、素材や製法によって異なる音色や表情を楽しめます。ガラス製の風鈴は、チリンと高い音色と、透き通って涼しげな見た目が人気で、鉄や真鍮を用いた金属製の風鈴は、心に染み入るような長い余韻の響きで人々を惹きつけます。

 その一方で、風鈴の前身である風鐸(ふうたく)の多くは、今や歴史的な国宝や重要文化財となっています。

 法隆寺などの歴史的建築物では、台風などの強風時に風鐸の部品が落下し、建物を傷つけたり参拝客に危険が及んだりするのを防ぐため、あえて音が鳴らないように固定するなどの措置が取られているケースも少なくありません。そのため、残念ながら古刹(こさつ)に吊るされた風鐸から、自然な音色を聞くことがほとんどできないのが現状です。

 風鈴が響かせるチリンという涼しげな音の裏には、かつての風鐸の「沈黙の支え」があったのです。夏風とともに漂う風鈴の音色は、まさにそんな悠久の歴史を響かせる物語そのものなのです。

参考文献:

『洛陽伽藍記』 東洋文庫 平凡社 楊衒之 入谷義高(注訳) 1990年4月10日

(文・一心)