ダムの放流が始まってから住宅が浸水するまで、わずか2時間しかありませんでした。本来、この2時間は、数万人が命を守るために避難する貴重な時間だったはずです。
2026年7月6日、広西チワン族自治区横州市にある六藍ダムの堤防が洪水によって突然決壊し、幅およそ50メートルの亀裂が生じました。洪水は瞬く間に下流の村や町をのみ込み、一部では水が住宅の2階にまで達しました。当局の発表によると、午前6時にすべての水門を開けて放流を始めましたが、下流の住民に避難通知が届いたのは午前8時でした。放流開始から、すでに2時間が経過していました。中国当局が発表したデータによると、7月9日までに、このダム決壊で26人が死亡し、7人が行方不明となりました。また、広西チワン族自治区全域では、洪水による死者が39人に上っています。
このような悲惨な光景は、決して初めてではありません。近年、豪雨によって洪水が発生するたびに、ダムが事前の警告も通知もないまま放流し、それが多数の死傷者を生むという同じパターンが繰り返されています。
2024年には、福建省上杭県で、上流のダムが住民に知らせないまま水門を開けました。
2023年には、海河流域にある複数のダムが放流し、河北省涿州市などが深刻な浸水被害を受けました。
2021年の河南省鄭州市を襲った記録的な豪雨では、複数のダムが十分な警告を出さないまま放流し、市街地の洪水被害をさらに拡大させました。
さらに、1975年に発生した河南省板橋ダムの決壊事故では、膨大な数の人々が犠牲になりました。この災害は現在でも、ダム事故によるものとして史上最悪の惨事だったとされています。この時すでに、事前警告のない放流の危険性に警鐘が鳴らされていました。しかし、半世紀が過ぎた今も、この仕組みは変わっていません。
問題の根本原因は、本当に技術上のミスや連絡不足だけなのでしょうか。答えは、そうではありません。その背景には、制度そのものに重大な空白があります。
研究者の王維洛氏は、中国には洪水を別の地域へ流す措置や洪水対策に関する法律はあるものの、ダムの放流については、何時間前までに警告を出さなければならないのかを明確に定めた法律や規則が一つもないと指摘しています。これは、単なる見落としとは考えにくいものです。中国では、大中型ダムのほとんどが国の所有です。法律で事前警告の義務を明確に定めれば、事故が起きた際に責任を問われるのは一般市民ではなく、各政府機関や担当官僚になります。
これは、毛沢東時代から続く「法律は大まかに定め、細かく規定しないほうがよい」という考え方と一致しています。法律の内容を細かく定めれば、逆に政府自身の行動を制限することになりかねません。そのため、当局の責任を追及できる可能性がある分野では、法律の整備が意図的に見送られる傾向があります。
この制度上の空白の裏には、さらに具体的な利害関係も隠されています。ダムの放流前に正式な警告を出せば、事故が起きた後、政府は責任を逃れにくくなります。被災者にとっても、損害賠償を求める法的な根拠になります。しかし、警告を出さなければ、事故が起きても当局は放流との関係を全面的に否定できます。市民には、裁判を起こすための根拠さえ与えられません。
また、多くのダムは、発電や農業用水の供給だけでなく、水域を業者に貸し出して魚を養殖するなど、さまざまな経済的役割を担っています。地方政府にとっては、できるだけ多くの水をためておくことが経済的な利益につながります。事前に放流することは、その利益を手放すことを意味します。「防災」と「収益確保」の間にある、むき出しの利益対立を、現在の制度はまったく調整できていません。
警告を出さない放流が人災であることは間違いありません。しかし、もう一つ問わなければならないことがあります。なぜ「100年に一度」と呼ばれる大洪水が、ここ数年、ほぼ毎年のように起きているのでしょうか。
長江を例に見てみます。1998年に長江流域全体を襲った大洪水では、洪水のピーク時の流量は、実は1954年の洪水を下回っていました。1954年に宜昌観測所で記録されたピーク時の流量は毎秒70800立方メートルでしたが、1998年は毎秒63300立方メートルでした。ところが、1998年の水位は過去最高を記録しました。
この「流れる水の量は少ないのに、水位は高い」という異常な現象の原因は、半世紀にわたって行われてきた、湖を埋め立てて農地にするという開発にあります。洞庭湖と鄱陽湖という二つの天然の洪水調整湖は、面積が3分の1以上減少しました。さらに、100を超える小さな湖が完全に姿を消しました。洪水は自然に水をためる場所を失い、人工の堤防で囲まれた狭い川へ、すべて押し込まれることになりました。同じことは、長江デルタ地域の都市化でも起きています。かつて増水期に水を逃がす役割を果たしていた湿地や河川敷の多くが埋め立てられ、高層ビルや工業団地に変えられました。
注目すべきなのは、こうした自然の洪水調整空間への侵害が、地方政府や農民の目先の利益だけによるものではないという点です。雄安新区が建設された白洋淀湿地帯は、もともと華北地方の大清河水系の計画で、洪水を一時的にためる極めて重要な遊水地とされていました。
しかし、2023年に太行山脈東麓で豪雨が降り、拒馬河などの河川が急激に増水した際、水利当局は、いわゆる「千年の大計」とされる雄安新区を守るため、上流にある河北省涿州市などを洪水の受け皿として使い、事前に水を流し込みました。その結果、本来であれば、これほど大きな災害を受ける必要のなかった地域が、極めて深刻な洪水被害に見舞われました。
こうした異常な状況は、さらに深い思想的な原因にまでさかのぼることができるのかもしれません。そもそも、この政権は、なぜこれほどまでにダムや貯水池の建設に熱中してきたのでしょうか。
現在、中国で登録されている貯水池は10万カ所近くに上ります。その大多数は1949年以降に建設されました。特に、1950年代の「大躍進」から1970年代に文化大革命が終わるまでの期間に集中しています。わずか20年ほどの間に、8万カ所を超える貯水池が新たに建設されました。一方、1949年以前、中国全土にあった大中型の貯水池は、わずか20数カ所でした。
これは、中国に古くから伝わる治水の考え方とは、はっきりと異なります。伝説上の大禹による治水の時代から、中国の治水は、水を無理にせき止めるのではなく、流れを整えて逃がす「疎通」を基本としてきました。
2000年以上前に建設された都江堰は、現在もダムで水をせき止めずに川の流れを分ける方式で、成都市周辺の平野に恩恵をもたらしています。洪水対策、農業用水、水上交通という複数の役割を同時に果たしており、人類の歴史でも極めて珍しい、自然と共存する水利施設です。
しかし、中国共産党政権の成立後は、これとは正反対の方向へ進みました。水をせき止めることと「自然と闘う」ことが、一方的に強調されるようになったのです。毛沢東が主導した三門峡水力発電所から、鄧小平、江沢民時代の三峡ダム、そして現在、習近平が推進しているチベット高原の水力発電所建設に至るまで、いずれも「世界一」の規模を追い求めながら、基本的な自然の法則や土木工学の原則に繰り返し逆らってきました。
結局のところ、超巨大ダムへの強いこだわりは、中国共産党が自らの制度に自信を持てないことから生まれているのかもしれません。国全体の資源を集中させ、「世界一」と呼ばれる巨大プロジェクトを次々と造り上げることでしか、いわゆる「制度の優位性」を証明できないのです。
政権成立以来、指導者は何度も代わり、宣伝のスローガンや表面的な政策も繰り返し変化してきました。しかし、唯一変わらなかったのは、マルクス・レーニン主義に由来する闘争の哲学です。彼らが闘争の対象としてきたのは、人間だけではありません。大自然も、その対象に含まれています。しかし大自然は、やがて自らの方法で答えを返すことになるでしょう。
(翻訳・藍彧)
