6月29日夕方、四川省広安市の西渓河では、厳しい暑さの中、涼を求めて訪れた多くの市民が川に集まっていました。釣りをする人もいれば、子どもを連れて浅瀬で遊ぶ人もいました。しかし数分後、この一見穏やかに見えた川は、突然、人をのみ込む濁流へと変わりました。そして事故発生後、当局が発表した数字と現場の目撃者の証言との間には、大きな食い違いが生じました。
複数のネットユーザーが投稿した現場動画によると、その夜、上流にある水門が突然開かれ、事前には何の兆候もありませんでした。濁った水の波が上流からうねるように押し寄せ、水位は目に見える速さで急上昇し、すぐに腰の高さまで達しました。川の中にいた人々は異変に気づき、必死に岸へ戻ろうとしましたが、激しい水流の前では人の力では到底太刀打ちできませんでした。動画には、複数の人が濁流の中でもがき、最後には大水に流されていく様子が映っていました。岸辺で見ていた人々は、その光景をただ目の前で見つめるしかなく、あちこちから悲鳴が上がりました。多くの人がスマートフォンを取り出し、この息が詰まるような瞬間を記録していました。
現場で動画を撮影していた目撃者の一人は、事故後も恐怖が残る様子で、水門が突然開かれて水が放流されたため、水遊びをしていた人も、釣りをしていた人も、とても逃げ切れなかったと語りました。彼によれば、流された人は少なくなく、十数人ほどいたといいます。動画には、多くの公安、消防、救助車両が緊急出動する様子が映っており、さらにはショベルカーを積んだ大型トラックまで投入され、捜索救助に加わっていました。周辺には、心配そうに立ち尽くす大勢の市民が集まっていました。
通常であれば、このあと全力で捜索救助が行われ、死傷者数が発表され、責任追及が進められるはずです。しかし、その後に起きたことが、この事件を世論の大きな焦点へと押し上げました。
悲劇の発生後、関連する動画や情報はネット上で急速に封鎖されました。わずか一夜のうちに、6月30日午前には、中国のSNS上にあった関連動画の多くが削除されていました。同じ日、広安市広安区消防救援局は公式発表を行い、29日夜8時47分に通報を受け、西渓河が渠江に流れ込む地点で人が水に落ち、現在までに2人が救助され、ほかに1人が行方不明で、事故原因は調査中だと発表しました。
救助されたのは2人、行方不明は1人。この数字は、目撃者が語った「十数人が流された」という証言とは大きくかけ離れています。さらに情報が急速に統制されたことで、世間の疑念は一気に高まりました。多くのネットユーザーは、実際の犠牲者数は当局発表を大きく上回っている可能性があると考え、当局が死傷者数を意図的に少なく発表し、真相を隠しているのではないかと疑っています。
その後、現場動画は海外のSNSであるXにも流出し、急速に拡散しました。コメント欄には怒りの声があふれました。多くのネットユーザーは、夏休みで人が最も集まりやすい時間帯に、関係当局が警告もなく放水したことを厳しく非難し、これは人命を軽んじる行為に等しいと批判しました。あるネットユーザーは、夏休み期間中に水門を開けるのに、事前に警報も鳴らさないとは、人を人と思っていないのかと怒りをあらわにしました。また、政府の管理部門が重大な職務怠慢を犯し、市民の命の安全を顧みない行為は信じがたいと批判する声もありました。
しかし、広安市の西渓河で起きた惨劇は、決して孤立した事件ではありません。近年、上流のダムや水力発電所が突然放水したことで、下流にいた人々がなすすべもなく濁流にのみ込まれる事故が繰り返し発生しています。
2026年5月には、湖南省張家界市で、4人の男性が川で釣りをしていた際、突然川の水位が急上昇し、2人が流されて死亡しました。2025年4月には、雲南省昭通市の牛欄江流域で、同じように水位が急激に上がり、4人が取り残され、最終的に救助にあたった3人と取り残された1人が死亡しました。2024年6月、福建省の豪雨災害では、複数の被災者が、上流のダムが下流住民に避難を知らせないまま放流を行い、深刻な死傷者を出したと涙ながらに訴え、大きな論争を呼びました。
これらの事件を並べて見ると、驚くほど共通点があることが分かります。事故の前、川はたいてい穏やかで、時にはほとんど水がない状態に見えます。そのため、人々は「ここは安全だ」と錯覚し、多くの人が川床に集まって水遊びや釣りをします。しかし、水位の上昇は極めて速く、人に残された反応時間はわずか数分、場合によっては数十秒しかありません。激しい水流の前では、どれほどもがいても無力に見えてしまいます。
最も核心的な問題は、警報体制が形だけになっていることです。通常の安全管理規定に従えば、ダムや水力発電所が水門を開いて放水する前には、放送や警報器、さらには人による巡回などの方法で、下流の人々に退避を知らせなければなりません。これは高度な技術でもなければ、実行不可能なことでもありません。しかし、この一連の悲劇の中で、「警報は聞こえなかった」「水が突然増えた」という言葉が、生存者や目撃者の口から最も頻繁に、そして最も絶望的に語られています。
警告なしの放水は、命に対する極度の軽視であるだけでなく、重大な管理上の職務怠慢でもあります。水利施設は本来、地域に利益をもたらすためのものです。しかし、管理者の怠慢や油断、さらには手順を無視する姿勢によって、それが音もなく命をのみ込む機械へと変わるなら、もはや軽々しく「事故」の一言で覆い隠せるものではありません。
今、広安市の川の水はすでに引きました。流された人が全員見つかったのか、犠牲者は実際に何人いるのか、誰もが納得できる答えは、もしかすると永遠に出ないかもしれません。しかし確かなのは、強制力のある透明な警報・監督体制を作らず、職務怠慢や職権乱用に関わった者を厳しく処罰しない限り、次に水門が開かれる前にも、警報は鳴らないということです。そして次に川の中に立っているのは、どこにでもいる普通の人かもしれません。
(翻訳・藍彧)
