先日、中国の華北地域は連続して雷雨や突風、そして激しい雹の猛威にさらされました。6月3日から4日にかけて、河北省、北京市、天津市などの各地で突発的な異常気象が発生しました。強風とともに大量の雹が降り注ぎ、一部地域の地面は瞬く間に厚い氷の粒で覆われ、まるで六月に雪が降ったかのような光景となりました。この予期せぬ天災は、各地の農作物に深刻な被害をもたらし農家を苦しめているだけでなく、その発生時期の特殊性も相まって、ネット上などでは「天からの警告」や「六月に降る雪」として大きな話題となっています。
この一連の異常気象による被害は河北省で特に顕著であり、度重なる気象当局からの警報に、地元農家は不安を募らせていました。6月3日午後から、雷雨と雹が承徳、唐山、保定、滄州などの各地を襲いました。滄州市献県では、夕方6時頃に突然、卵ほどの大きさの雹が降り注ぎました。ある農家の話によれば、あまりにも突然降り出したため、畑で作業していた所、直接頭に雹を浴びてパニックになり、ただ逃げ惑うしかなく、農作物が破壊されるのをなす術もなく見ているしかなかったといいます。この農家が栽培していた約6万平方メートル余りの小麦と、出荷間近だった数平方メートルのスイカは壊滅的な被害を受けました。小麦は広範囲にわたって倒れ、スイカに至っては原形をとどめないほどに砕かれてしまいました。この農家は、「スイカの損失は150万円から170万円ほど、小麦の損失は約100万円から130万円になる」と嘆いていました。泥まみれになった農地を前に、農民はただ立ち尽くすしかなく、行政から何らかの補助金が支給されることを切に願っています。
同様に甚大な被害を受けたのが保定市博野県です。地元住民の女性の話によると、3日午後5時近く、町全体が漆黒の闇に包まれ、その後突風が吹き荒れ、10分間ほど激しい雹に見舞われました。これにより街路樹がなぎ倒されただけでなく、広範囲での停電も発生しました。博野県は小麦とスイカの栽培が盛んな地域です。スイカ農家の男性によれば、麦畑は強風で次々と倒され、収穫を間近に控えていたスイカはほぼ全て雹で割れてしまったといいます。スイカが畑で腐敗するのを防ぐため、農家の人々はやり場のない思いを抱えながら、スイカを片付けて捨てるしかありません。「今はほぼ収穫ゼロの状態です。保険に入っている人は少しは補償を受けられるかもしれません。しかし、そうでない人は損失を自己負担するしかなく、本当に悔しいです」と男性は肩を落としました。さらに追い打ちをかけるように、4日には同県の別の地域でも再び雹が降り、農家にとっては痛手となる事態が続きました。
6月4日になると、この異常気象の中心は北京、天津、そして河北省固安県などへと広がりました。同日午後、北京市の房山、大興、通州、昌平、平谷、密雲、順義の8つの区で次々と雹、雷、強風の警報が発令されました。午後4時前後には強風が吹き荒れ、局地的な短時間の豪雨とともに雹が激しく降りました。当局の発表や住民の証言によれば、雹は約30分間続き、最大の直径はトウモロコシの粒ほどの2センチに達したとされています。局地的にハトの卵に近い大きさの雹が降ったところもあったといいます。わずか十数分の間に、まるで爆竹のようなけたたましい音を立てて雹が降り注ぎ、地面は瞬く間に厚い白い氷の粒で覆われました。同時に、北京に隣接する河北省固安県や天津市もこの異常気象に見舞われ、同じような強風と雹に立て続けに襲われました。固安県の気象台は、より警戒レベルの高い警報を発令する事態となりました。
このように集中的に発生した異常気象、特に6月4日の、あたり一面が真っ白になるほどの光景に対し、インターネット上では大きな衝撃が走りました。北京のユーザーたちは次々と投稿し、「地面一面の雹はまるで雪のようだ」「容赦なく打ち付けてくる、この天気は不気味すぎる」と驚きの声を上げました。「何十年も生きてきて、このような光景を見たのは初めてだ」と驚く声も多く、さらには多くの人々が、これを中国の伝統文化において無実の罪や冤罪の象徴とされる「六月の雪」と結びつけています。
こうした人々の反応の背景には、ある理由があります。6月4日は1989年に起きた天安門事件から37年という節目にあたる日だったからです。1989年6月4日未明、中国当局は軍隊や武装警察を天安門広場に動員し、民主化を求めて抗議運動を行っていた学生や市民を武力で鎮圧しました。民間の統計によると死者数は数万人に上るとも言われ、歴史上「天安門大虐殺」とも呼ばれています。このような重い歴史的な記憶を背負った日に異常気象が発生したことは、人々の心の中に複雑な感情を呼び起こしました。SNS上では、「雪のような真っ白な光景、何か冤罪があるのだろうか」「天意というものは本当にあるのかもしれない。天の怒りは本当に読めない」といったコメントが相次いでいます。自然災害の被害と歴史的な偶然の一致が交錯し、この華北地域の異常気象は人々の記憶に深く刻まれることとなりました。
(翻訳・吉原木子)
