最近、中国・広西チワン族自治区の鉛蓄電池工場で、従業員の血中鉛濃度超過を隠蔽する驚くべき手口が発覚しました。健康診断の1〜2か月前から連日、鉛排出薬の服用を強要していたのです。

 「広西壮美能源有限公司」というこの工場では、労働者たちは過酷な肉体労働や化学物質の悪臭に耐えるだけでなく、ある暗黙のルールに従わざるを得ませんでした。毎日、鉛排出薬を飲まなければ、出勤を続けることすら許されなかったのです。

 その背景にあるのは、従業員の健康への配慮ではなく、利益優先のコスト削減です。中国紙『新京報』によれば、多くの従業員の血中鉛濃度はすでに高く、めまいや腹痛といった中毒症状が頻発していました。しかし、薬を服用させたことで、健康診断の数値は一時的に「基準値内」に収まりました。このような健診データの強制操作は、労働環境の隠蔽にとどまらず、深刻な健康被害をもたらします。医学資料によれば、この種の処方薬の長期・過剰服用は重篤な胃腸障害を引き起こし、神経系に取り返しのつかない二次的ダメージを与える可能性すらあるのです。

 労働者たちをさらに追いつめているのは、法的救済の難しさです。多くの人が深刻な体調不良に苦しむ一方で、薬で操作された健診結果では「労災基準を満たさない」と判断されやすくなります。数粒の安価なカプセルが、職業病認定や損害賠償請求のハードルを実質的に引き上げてしまったのです。

 実際のところ、この問題には早くから兆候がありました。関係者によると、同工場は日常的なコスト削減のため、環境対策設備さえ稼働させていなかったといいます。重金属粉塵の浄化設備を維持するには、毎日の電気代やフィルター代で数千元(数万円)に上る可能性があります。一方で、鉛排出薬の購入費は微々たるものです。この巨大なコスト差を前に、企業は安全への投資を怠り、労働者の健康を犠牲にすることを選んだのです。

 このような責任逃れの体質は、過去の履歴からも垣間見えます。企業情報サイトによると、2006年設立の同社は何度も社名変更を繰り返し、労働争議や損害賠償トラブルで度々法廷に立たされてきました。問題発覚後、地元当局が調査に乗り出し、事実関係を確認した上で再検査を命じました。現在は管轄の管理委員会が労使間の賠償協議を仲介しています。しかし、神経や腎臓の機能がすでに損なわれた労働者たちにとって、金銭補償が失われた健康を本当に取り戻せるのか、大きな疑問が残ります。

 労働者の健康を犠牲にした利益追求は、決して特異なケースではありません。近年の報道を振り返ると、一部の労働集約型産業で繰り返される深刻な問題です。今年1月にも江西省の鉛蓄電池工場で血中鉛濃度の超過が発覚しました。昨年末(2025年12月)には同省の別企業でも類似事件が発生し、少なくとも7名が深刻な鉛中毒に陥り、一部の出稼ぎ労働者が泣き寝入りで退職しています。一部の企業は法定の社会保険に加入しておらず、雇用関係の証明がないため、彼らが労災認定を受けるのは極めて困難なのが実情です。

 この境遇は、十数年前に社会の注目を集めた「じん肺」に苦しむ人々の姿と重なります。当時、多くの出稼ぎ労働者が粉塵の舞う炭鉱などで働いていましたが、防塵対策がなされず、彼らの肺は次第に硬化していきました。適切な診断を受けようとしても、企業側が職歴証明を拒否する壁に度々ぶつかったのです。2009年には、河南省の労働者が自身のじん肺を証明するため、医師に胸の切開と生体組織検査を懇願するという痛ましい出来事がありました。この悲痛な訴えは、当時の社会に大きな衝撃を与えました。

 過去にも、沿岸部の製靴工場で粗悪な接着剤による「ベンゼン中毒」や、電子部品工場で洗浄剤の違法使用により若者の神経が損傷したケースなど、類似事例は枚挙にいとまがありません。業界や原因物質は違えど、背後にあるのは同じ弱者としての境遇です。徹底した低コストを追求する生産体制において、立場の弱い労働者の健康が真っ先に犠牲にされる実態が浮き彫りになっています。

 深刻な健康リスクがあるにもかかわらず、なぜ彼らはその工場で働き続けるのでしょうか。それは「安全意識の欠如」だけで片付けられる問題ではありません。そこには切実な現実があります。彼らの多くは農村からの出稼ぎであり、家族の生活費や医療費、教育費など多くの経済的重荷を背負っています。日々の生活をどう乗り切るかという切迫した状況下では、将来の健康不安は後回しにせざるを得ないのです。

 「病気になればいつか命を落とすかもしれないが、仕事を辞めれば家族は明日食べるものにも困る」。これこそが厳しい環境に置かれた人々の痛切な本音です。病気が怖くないのではなく、収入を絶たれることのほうが恐ろしいのです。労働者たちは腹痛に耐え、配られた薬を飲み込み、健康を切り売りして日々の賃金を得ています。そして一部の企業は、「家族を養うために働かざるを得ない」弱者の足元を見ているからこそ、安全対策を軽視し続けていると言えます。

 鉛排出薬は健診数値を一時的に下げられても、労働者が抱える貧困や無力感を消し去ることはできません。この工場の問題はいずれ収束し、企業は是正を迫られ、被害労働者も賠償金を受け取って帰郷するかもしれません。しかし、これで問題が根本的に解決するわけではありません。生活の重圧が存在し、日々の不安が病気への恐怖を上回る限り、「命を削って稼ぐ」残酷な歯車は止まらないでしょう。明日、再び工場で機械が鳴り響けば、新たな出稼ぎ労働者が有害物質の舞う現場へ無言で足を踏み入れます。故郷の家族のため、彼らは選択の余地なく苦い薬を飲み、過酷な日々を耐え抜いていくのです。

(翻訳・吉原木子)