最後に「退屈だ」と覚えたのは、いつのことだったのでしょうか。授業と授業の合間のわずかな十分間、バスを待つ数分間、食事を終えたあと、気づけば、これらの隙間時間ではほとんど反射のようにスマートフォンを開き、SNSの世界へと指先を滑らせています。ほんの一瞬であっても、手元からスマートフォンが離れると、落ち着かない感覚に襲われる人が少なくありません。
現代社会は、情報と娯楽によって隙間なく満たされ、私たちはいつの間にか「退屈を楽しむ力」という基本的な力を失いつつあります。ハーバード大学の心理学者アーサー・C・ブルックス氏は、この退屈への恐れこそが、空虚感や不安、さらには憂うつを生み出す大きな要因になっていると指摘しています。
電気ショックを選んでも、何もしない時間だけは避けたい?
ハーバード大学の研究チームは、深く考えさせられる実験を行いました。被験者を何もない部屋に15分間ひとりで座らせ、その間は一切の行動を禁じるというものです。ただし、唯一許されていたのは、自らボタンを押して電気ショックを受けることだけでした。
観察の結果は、多くの研究者が思いもよりませんでした。相当数の被験者が、何もせず15分間静かに座るよりも、進んで電気ショックの痛みを選んだのです。
この実験は、私たちがどれほど退屈を忌避しているかを鮮明に示しています。絶えず刺激に溢れる時代に生きる私たちは、感覚への連続的な刺激に慣れきってしまったため、わずかな空白すら耐えがたいものになってしまいました。朝の目覚ましから夜の動画視聴まで、スマホ、タブレット、パソコンは一日のすき間を一つ残らず埋め尽くしています。便利さと楽しさをもたらしたテクノロジーですが、その代償として、自らの内側と静かに向き合う力は次第に弱まっていきました。
ブルックス氏は、こう言い切ります。
「人は退屈を感じなければならない。もし何もしない時間をまったく持たないなら、人生はその意味を失い、心はより沈んでいくだろう」
何もしない時間=大脳が“深く思索(しさく)する”ための時間
私たちが何も考えていないように見えるとき、大脳は自動的に「予設モード・ネットワーク(Default Mode Network, DMN)」と呼ばれる領域へと切り替わります。これは非常に強力な神経ネットワークで、「深い思索」や「自己探求」を担っています。例えば「私は何者なのか」「私は何のために生きているのか」といった問いに向き合うとき、この領域が働きます。こうしたプロセスは、自分自身をより深く理解し、自らの人生の方向性を明確にする助けとなります。
しかし、退屈を感じた瞬間にスマートフォンへ手を伸ばしてしまうと、私たちは自ら「予設モード・ネットワーク」を遮断していることになります。スマートフォンがもたらす絶え間ない刺激は、思考の労力を必要とせず、短時間で快感を得られる便利な逃げ道となります。その結果、私たちは徐々に深い思索を行う力を失い、人生の意味を見いだしにくくなっていきます。それゆえに、情報が氾濫するこの時代にあっても、多くの人が不安や空虚感、不幸せを感じます。
退屈を楽しむ力を取り戻すことは、幸福を取り戻すこと
ブルックス氏は、退屈を楽しむ力を「訓練によって身につく超能力」であると捉えています。彼はそのための実践的な訓練方法を三つ紹介しています。
1.寝室にスマートフォンを持ち込まない
ブルックス氏には厳格なルールがあります。それは「午後7時以降、いかなる電子製品も使用しない」というものです。彼はスマートフォンを寝室にすら持ち込みません。難しく聞こえるかもしれませんが、この習慣は寝る前の無意識な「スマホいじり」を断ち、大脳がデジタル刺激から距離を置いて鎮静する時間を確保し、より深い眠りへと導いてくれます。
2.食事中にスマートフォンを触らない
一人で食事をする時も、家族や友人と共に食卓を囲む時も、スマートフォンはしまっておきます。ブルックス氏は「私たちは、目の前にいる人のためにそこにいるのであって、そこにいない人のためではありません」と語ります。この小さな心がけが、食事の本来の味わいを取り戻し、目の前の人との豊かな対話を可能にします。
3.定期的に“ソーシャルメディア断食”を行う
例えば週末の二日間、あるいは思い切って一週間など、あらかじめ決めた期間だけ“ソーシャルメディア断食”の期間として設定して、ソーシャルメディアや注意を奪うデジタル機器を完全に断つのです。最初のうちは脳が極度の不安を感じるかもしれません。しかし、その波を乗り越えたとき、心のざわつきが消え、思考が澄みわたり、心が静けさを取り戻していくのを実感できるでしょう。
退屈を楽しむことは“時間の浪費”ではなく、幸せへ至る近道である
私たちの退屈への拒絶は、ある悪循環を生み出しています。人生の意味が見えずに不安や空虚を感じる、しかし退屈を恐れて答えを探す機会から逃げてしまう、そしてさらに深い不安と空虚に沈んでいく。まさにこの繰り返しです。
ブルックス氏は「退屈への耐性が高まるほど、日常の些細な物事が退屈ではなくなる」と強調します。そして、真に重要な問い、「私の目標は何か」「どうすれば人生はより充実するのか」に向き合う時間が、自然と増えていくのです。
ですから、次に退屈を感じたときは、焦って刺激を探す必要はありません。スマートフォンを置き、ぼんやりとし、自由に漂うままに頭を任せてみてください。この“何もしない時間”こそが、心の静けさと本当の幸福へ至るための道なのです。
忘れないでください。退屈は欠点ではなく、“超能力”です。自らに退屈を許したとき、私たちは初めて“自分自身”と出会えるのです。
(文・翁友徳/翻訳・慎吾)

