2025年12月23日、中国のSNS上で公開された一通の司法鑑定意見書が、社会全体を震撼させる一大スキャンダルへと発展しました。寧波(ニンポー)で短い生涯を閉じた生後5ヶ月の女児、洛熙(ルォシー)ちゃんの死。その冷徹な文書が暴いたのは、単なる医療ミスではありません。本来ならば救われたはずの幼い命が、利益追求のシステムの中でいかにして「処理」され、隠蔽されていったのか。そのあまりに重い実態は、中国の医療システムに対する信頼を根底から覆すものでした。

 ことの発端は、2025年11月11日の定期検診に遡ります。洛熙ちゃんはご両親に連れられ、地元の最高ランクの公立病院である寧波大学附属婦人児童病院を訪れました。生後5ヶ月の乳児にとって、心臓にわずかな欠損が見つかることは決して珍しいことではなく、小児医学の常識では、成長とともに自然に塞がる確率が極めて高いため、通常は経過観察で十分とされます。しかし、同病院の心臓外科医は、家族に対し極めて深刻な診断を下しました。医師は「心臓に2箇所の欠損があり、その範囲は計1センチ(10ミリ)に及ぶ」と断言したのです。これは「冠静脈洞型」と呼ばれるタイプであり、すぐに手術をしなければ発育に重大な影響が出ると両親の不安を煽りました。その一方で、医師は「これは低侵襲の入門レベルの手術であり、成功率は99.5%だ」と軽々しく約束したのです。医師という権威を全面的に信頼し、愛娘の未来を案じたご両親は手術同意書にサインしましたが、それが悲劇への入り口であり、嘘に基づいた誘導であったとは知る由もありませんでした。

 11月14日、洛熙ちゃんは手術室へと運ばれました。事前の説明では2時間から3時間で終わるはずのルーチンな処置でしたが、手術室の灯が消えたのは、開始から実に7時間が過ぎた後のことでした。長く苦しい待ち時間の末に家族に告げられたのは、「心不全による死亡」というあまりに非情な通知でした。この突如訪れた悲劇に対し、病院側が見せた対応は、家族へのケアや誠実な調査ではなく、傲慢な責任転嫁と証拠の隠滅でした。空白の7時間に何が起きたのか。真実を知るために家族が手術室内の全景監視カメラ映像の開示を求めた際、病院側は中国の医療トラブルでしばしば使われる、あまりにも不条理な理由を並べ立てました。「全景カメラには、記録用のメディアが装着されていなかった」というのです。最も重要な証拠がピンポイントで欠落していたこの「都合の良い機材トラブル」によって、真実を究明する直接的な道は閉ざされ、事件は当初からどす黒い隠蔽の気配を漂わせることとなりました。

 監視カメラの件が仮に機材故障であったとしても、その後の「カルテ改ざん」は、病院側の悪意を決定づけるものでした。その後の調査で、病院が公式に発表した死亡時刻は午後10時3分であったにもかかわらず、看護記録にはその17分後である午後10時20分になっても、「生命兆候は安定している」と記録されていたことが判明したのです。すでに医学的に死亡しているはずの時刻に、平然と記録され続けるデータ。事務手続き上の辻褄を合わせ、現場の混乱を取り繕うとするこの稚拙かつ機械的な記録作成は、亡くなった子供への冒涜であると同時に、公立病院としての倫理が崩壊していたことを物語っています。

 病院側の調査を一切信用できなくなったご両親は、強い心理的プレッシャーを跳ね除け、第三者機関による司法解剖を強く求めました。そして12月中旬、著名な法医学チームによる解剖の詳細が明らかになるにつれ、世間は言葉を失うこととなります。法医学のメスが暴いた真実は、あまりにも残酷なものでした。鑑定結果によれば、洛熙ちゃんの心臓には、病院側が術前に主張していた「冠静脈洞型」の欠損など存在していませんでした。実際に確認されたのは、わずか3ミリ程度の「二次孔型」欠損だけだったのです。小児心臓医学において3ミリの欠損は、ほぼ間違いなく経過観察の対象であり、開胸手術など全く必要ありません。つまり、病院側は何らかの目的のために病状を3倍以上に誇張し、必要のない手術を強行して、一人の赤ん坊を死に追いやったのです。洛熙ちゃんは、受ける必要のなかった手術によって、その命を奪われました。

 さらに衝撃的だったのは、遺体の状態に関する記述です。鑑定書によると、体内には取り除かれるべき修復パッチが残されたままであり、さらに右肋間には6.5センチ、心膜には5.0センチの手術創が「縫合などの適切な処置がなされないまま」の状態で放置されていました。生後5ヶ月の乳児が、数時間に及ぶ苦痛の末に亡くなった後、体を開かれたままの状態で霊安室へ送られたという事実は、手術の最後がいかに統制を失っていたかを示すだけでなく、医療従事者たちが命に対して最低限の尊厳さえ払っていなかったことを示しています。この解剖結果が世論を沸騰させると、病院側は12月20日深夜に声明を発表し、「1センチの欠損は確かにあった」と強弁しました。彼らは、解剖時の測定誤差は心臓が停止して収縮したためだと苦しい言い訳を試みましたが、科学的な証拠の前ではあまりにも無力でした。結局、病院はその声明を発表からわずか数時間で削除しました。この「投稿しては削除する」という行為こそが、彼らの後ろめたさを雄弁に証明する結果となりました。

 12月23日現在、執刀医や病院幹部は停職や免職処分を受けていますが、この事件が露呈させた問題は、単なる個別の医療ミスの枠を超え、中国の医療体制そのものが抱える構造的な病巣を指し示しています。現在の体制下では、公立病院であっても実際には激しい収益目標(ノルマ)を課されています。各診療科の業績評価、医師のボーナス、高額な医療消耗品によるリベート――これらが複雑に絡み合い、巨大な利益誘導の仕組みが出来上がっています。このシステムの中では、患者は「救うべき命」ではなく、利益を生むための「顧客」として選別されます。3ミリを1センチと言い換え、自然に治る病気を重病に仕立て上げる過剰医療の論理は、利益を追求し続けた結果の必然と言えるでしょう。

 この悲劇の中で、洛熙ちゃんのご両親が辿った運命は、中国の「富裕層・中産階級」さえもが体制の前でいかに無力であるかを象徴しています。洛熙ちゃんのご家庭はいわゆるエリート層であり、お母様は高級車のマイバッハに乗り、お父様も社会的地位の高い安定した仕事に就いていました。世間から見れば、最も子供を守る力を持っているはずの「勝ち組」です。しかし、娘の尊厳を取り戻そうとする闘いの中で、彼らは執拗な隠蔽工作や目に見えない圧力にさらされ、最終的には夫婦ともに職を失うこととなりました。エリート階級から失業者への転落は、たった一度の手術の距離にしかなかったのです。この事実は、「どれだけ富を築いても、今の中国では真の安全を買うことはできない」という恐怖を社会全体に植え付けました。

 この「明日は我が身」という恐怖こそが、中国全土、さらには海外の華人コミュニティにまで広がるかつてない支援の波を巻き起こしました。SNS上では数百万人のフォロワーを持つインフルエンサーから一般の市民までが、誰に強制されることもなく声を上げ続けています。あるネットユーザーのコメントが、多くの人々の心境を代弁し、共感を呼んでいます。「マイバッハに乗るような家庭ですら全力を尽くして子供を守れないのなら、私たち一般庶民はどうすればいいのか」。この言葉は、情報の不透明さと監督機能の欠如に対する、中国社会の深い絶望を鋭く突き刺しています。人々がこれほどまでに怒り続けるのは、これが単なる他人の不幸ではないと確信しているからです。今日、この病院の悪行を徹底的に糾弾し、責任者を裁きにかけなければ、明日は自分の子供が同じような「合法的な人災」の犠牲になるかもしれない。2025年の年末、中国のネット上を埋め尽くす民意は、もはや単なる同情ではなく、自分たちの生存と安全をかけた防衛戦なのです。洛熙ちゃんのご両親が失った平穏な生活と、あの日消えた幼い命は、利益のためにルールが踏みにじられるこの社会において「誰もが孤独な島ではなく、誰もが次の被害者になり得る」という痛切な警告を、今も鳴らし続けています。

(翻訳・吉原木子)