富豪が押し寄せ、豪邸が売れ続けるその裏で、普通の香港人はかつてない息苦しさに直面しています。分裂する香港の現実を追います。
いまの香港を象徴する、最も皮肉で異様な光景はこれです。山頂エリアや九龍塘の豪邸は相変わらずまばゆく灯り、中国本土の富豪たちが次々と香港に流れ込み、約60〜100億円(3〜5億香港ドル)という巨額で一列に並ぶ一戸建てを買い占めています。一方、同じ都市にある矯正施設では、数千人の香港市民が長い拘留生活を強いられています。彼らはまだ有罪と決まったわけではないのに、行動と選択の自由を奪われ、裁判の機会すら得られないまま、10か月、あるいは1年以上も冷たい独房で待ち続けるしかありません。香港の刑務所は満杯ではありませんが、香港人の自由はすでに大きく削られています。
香港矯正署のデータによれば、収容者は9千人余りですが、そのうち約4割が裁判前の拘留者という異常な状況になっています。2019年の香港デモ以降、中国当局は多くの参加者を扇動、転覆、国家安全維持法違反などの名目で大量に逮捕し、保釈はほぼ認められず、拘留期間は10か月から2年に及ぶことも珍しくありません。国際人権団体は裁判前拘束を繰り返し非難し、本来の法常識である無罪推定は、新たな政治環境の中で形骸化しつつあります。
今日の香港は、単に監獄によって分断されているのではなく、制度そのものが変質し、司法の現実も作り替えられています。この現実では、自由は当然の権利ではなく、慎重に敏感な境界線を避ける人か、運の良い人だけが手にできる希少な資源となっています。
この状況と鮮烈な対比をなすのが、豪邸市場の異常なまでの活況です。2024年の購入制限撤廃以降、本土資金は信じがたい勢いで香港に流れ込みました。約20億円(1億香港ドル)を超える豪邸取引では、本土買い手が7割を占め、2024〜2025年の約5700億円(300億香港ドル)規模の豪邸取引の8割は本土出身者によるとされています。彼らはテック業界、医療バブル、あるいは新たな権力層の資産家で、迷いなく巨額を投じ、山頂地区や九龍塘を海外資産の避難地のような場所へと変えていきました。
香港の一般市民にとって、豪邸の灯りが輝けば輝くほど、社会の亀裂は深く感じられます。若者は住宅を買えず、中間層は市場から押し出され、一般住宅でさえ資金流入の影響で値上がりが止まらなくなっています。いま多くの香港人は、自分の街で「住めない、言えない、待てない」と嘆き、豪邸を買う人たちがこの街の住民ではない現実を痛感しています。
司法制度の締め付けが香港社会に長期的な圧力を与えているとすれば、災害現場での拘束は、人々に急性的な恐怖をもたらしています。2025年11月26日に発生した大火災は、本来なら公共安全上の悲劇で終わるはずでした。しかしその後の一連の逮捕は、明らかに工事責任の範囲を超えていました。工事関係者や請負業者が過失致死や汚職で連行されるのは珍しくありませんが、香港社会を震撼させたのは、救援活動や情報発信に関わった一般市民までが次々に拘束されたことでした。
例えば火災に関する署名活動を始めた24歳の若者、ニュースを転送しただけの元区議員、現場で被災者に物資を配り個人情報の保護を呼びかけた女性ボランティアまでが、災害を利用して香港を攪乱したとされ逮捕されました。
これらの拘束はわずか1週間の間に集中して行われ、その背後には明らかに国家安全関連の体制が関わっていました。その結果、民間主催者はSNSのアカウントを次々閉鎖し、ボランティアグループは沈黙し、多くの市民は活動を控え、さらには香港を離れる者まで出ました。かつて香港が誇った互助文化は、政治化された取り締まりの影で弱体化し、いまでは大きなリスクを伴う行為になっています。
この光景は、中国本土の現実とも奇妙に重なります。景気悪化と統治負担が増す中、貨物ドライバーは仕事が激減し、生活が立ち行かなくなり、さらに地方政府による「罰金による歳入創出」が追い打ちをかけ、検問所に突っ込んで破壊し、自暴自棄になる事件が相次ぎました。中国財政部のデータでは、罰金や没収金などを含む非税収入は2024年に約15%も増え、一部地域では財政局が交通警察に「収入目標の達成」を要求していたと公開資料に記されています。
この構図が示すのは、社会階層間の圧力の差がかつてなく鋭くなっているという事実です。追い詰められるのは底辺の労働者であり、資産を海外に移し逃げ道を複数持つのは特権層です。
いま香港に流れ込んでいるのは、まさに中国本土から逃げる力のある人々です。彼らは資金と家族を香港へ移し、本土で統制強化やリスクは置き去りにします。一方、香港の住民は、その資金流入の結果生じる住宅価格の高騰と、政治空間の縮小という二重の負担を押し付けられています。
こうして香港では、不安を覚える構図が静かに固まりつつあります。外から見れば街は依然として繁栄し、金融市場は活発で、豪邸の灯りは眩しいままです。本土の富豪にとって香港は第二の故郷のような存在になりつつあります。しかしその一方で、もう一つの香港が同時進行で広がっています。言論空間は狭まり、司法の独立性は揺らぎ裁判前拘留は常態化し、一般市民は自由にものを言い、安全に暮らすことが難しくなる社会が広がっています。
富豪たちはここで、自分たちが求める自由を手に入れています。資産を自由に移し、豪邸を自由に買い、制度の柔軟性を最大限に享受しています。ところが一般の香港市民が感じているのは、それとはまったく逆の現実です。表現の自由は狭まり、司法の保護は予測できず、生活コストは手の届かない高さまで上がっています。外から見ると穏やかに見えるこの街は、実際には内部で深い断裂を抱えています。
中国本土の富豪が香港で「香港らしい暮らし」を楽しむ一方で、香港市民は「香港らしくない香港」に生きています。片方はまるでリゾートのようであり、片方は檻の中のように息苦しい。どちらも同じ都市で起きている現実であり、その分裂こそが今の香港の生々しい姿を映し出しています。
では、香港の未来はどうなるのでしょうか。この問いは、いまほど答えづらい時代はありません。制度的な締め付けには限界があり、いつか香港が再び法治の軌道に戻ると信じる人もいます。一方で中国共産党が存在する限り、香港は政治と資本の二重の圧力で沈み続けるしかないと考える人もいます。
どちらの見方が正しいのかは誰にも分かりません。ただ確かなのは、香港がいま新たな矛盾の都市になっているということです。外側の繁栄は続き、富豪は憧れ続けていますが、その内側では政治と資本が同時に重くのしかかり、一般市民にとってはますます息苦しい街になっています。本当に恐ろしいのは鉄格子の内側ではなく、その外側で静かに消えていく自由そのものです。
(翻訳・藍彧)
