中共政権はこれまでに数多くの冤罪被害者を生み出し、その問題は社会の深層にまで根を張っています。最近、遼寧省瀋陽市の市民らが裁判所の不公正な判決により訴える場を失い、河南省開封市にある「包拯を祀る祠」を訪れて跪きながら訴えを上げる映像がネット上で広まりました。古代の清廉潔白で公正な役人として象徴化されてきた包拯に救いを求める姿は、現代中国の司法制度に対する深刻な不信を端的に示すものとなっています。
SNSによると、12月9日、瀋陽市の八人の市民が地方裁判所の不当な判決により長期間行き場を失い、何度訴えても状況が改善されない中、判決書を手に開封府の祠を訪れました。彼らは古くから「公正と清廉の象徴」とされてきた包拯の前で跪き、自分たちの声がどこかに届くことを願ったとされています。
映像では、古い建築物の前で八人の女性が整列して跪き、地面に深く頭を下げながら「どうか公正な判断を」と叫ぶ様子が捉えられています。彼女たちの切迫した声は石造りの空間に反響し、観光客が次々と立ち止まりました。景区の職員が慌てて撮影を止めるよう促す場面もあり、現場には緊張と戸惑い、そして深い無力感が漂っていました。
こうした行動が繰り返されるのは、中国社会において包拯という人物が単なる歴史上の官吏ではなく、公正であるべき司法の理想像として広く信じられてきた背景があります。市民が象徴的な対象に救いを求める行動は、現代の制度が機能不全に陥っていることの裏返しでもあり、訴えの場を失った人々にとって最後の拠り所となっています。
事件が広まるにつれ、多くのネットユーザーは、市民が行政や司法の不当を上級機関に訴えるための制度が、事実上機能していないと指摘しました。地方レベルで、公務員の不正や違法行為を監督する内部機関がほとんど機能しておらず、上級機関に訴えても資料がそのまま地方に差し戻され、問題は延々と堂々巡りを続けているという声が相次ぎました。「裁判所に期待する人はほとんどいない」「不公正な扱いはもはや統治の手段になっている」といった辛辣な意見も投稿され、中国社会に広がる深い不信感を浮き彫りにしています。
今回の出来事は決して単発の現象ではありません。昨年春にも中国各地で、市民が宗教施設や祠を訪れ、涙ながらに不公正を訴える行動が相次ぎました。特に注目を集めたのは、一人の女性が祠の前で感情を抑えきれず泣き崩れた映像でした。彼女は遼寧省昌図県の裁判で勝訴したにもかかわらず、執行局が適切な措置を取らず、差し押さえ財産を放置した結果、家庭が崩壊に追い込まれたと訴えました。開封を訪れた際、包拯像の前で「自分が得られなかった公正」を思い出し、涙が溢れたといいます。
映像が拡散すると、同じ境遇の市民が次々に祠を訪れるようになり、連日、人々が涙を流して訴える光景が続きました。関連映像や記事は大量に削除され、祠が封鎖されたとの情報や、像が夜間に移動されたとの噂も広まりました。しかし、市民の訴えは止まりませんでした。その後は広州市の宗教施設でも同様の行動が見られ、現象は南方地域にも広がりを見せました。
河南省開封市の李さんはラジオ・フリー・アジアの取材に対し、民衆の不満が長年蓄積し、法治が現実には形だけのものになっていると述べています。李さんによると、周囲には二十年以上上訪を続けている人もおり、五年、十年単位で苦しんでいる例は珍しくないといいます。「最初は一つの問題だったが、上訪の過程で拘束されたり暴行を受けたりしながら訴えが増えていく」と語り、制度が問題を解決するどころか、状況を悪化させるケースが多いと指摘しました。
この連続する出来事は、中国社会における司法制度の深刻な機能不全と、市民が抱える孤立感、無力感を象徴しています。象徴的な存在に訴えざるを得ない状況そのものが、現代中国が直面する現実を強く物語っています。
(翻訳・吉原木子)
