中国・新疆ウイグル自治区タチャン地区ウス市を通る連霍高速道路(G30)で重大事故が起きました。12月6日夜22時ごろ、約1キロ離れた二つの区間で十二台の車両が相次いで追突し、九人が死亡、七人が負傷しました。公式発表によれば、事故当時に局地的な濃霧が発生し、地表温度が氷点下まで低下して路面が急速に凍結したことが直接的な原因だとされています。

 しかし、報道が広がるにつれて、問題は単なる天候だけではないことが明らかになってきました。濃霧や低温に関する警報が事前に発表されていたにもかかわらず、高速道路が通行止めにならず、巡回体制も強化されていなかった点に疑問の声が上がっています。また、この区間では冬季に凍雨やブラックアイスバーンが頻繁に発生することが知られており、過去に同じ場所で追突事故を経験したという運転手の証言もあります。夜間照明が極端に不足し、案内表示も限られているため、氷雪路では前方がほとんど見えないという指摘もあります。

 こうした証言が示しているのは、連霍高速の冬季における危険性が偶然ではなく、長年改善されてこなかった構造的な課題であるという点です。

 連霍高速の西北部や北部の区間では、近年事故が相次いでいます。濃霧による視界の急低下、低温による路面凍結、貨物車の過積載、車両性能の不足、長い下り坂でのブレーキ負荷、さらには工事区間や夜間の視界不良など、複数の要因が複雑に重なり合っています。安徽省宿州で発生した濃霧による多重追突、江蘇省連雲港でのバス横転、甘粛省玉門で深夜に小型車がトレーラー後部へ突っ込んだ事故など、同様の悲劇が繰り返し報じられています。

 自然要因が存在する一方で、より深刻といえるのが中国のインフラが抱える脆弱性です。新疆や甘粛の冬の朝には、薄い氷、ブラックアイス、橋面の凍結が日常的に見られます。連霍高速は高海抜地域を通過しているため、急激な冷え込みや凍雨、霜が頻繁に繰り返されます。除氷作業や路面監視が十分でなければ、わずかな氷でも車両が簡単に制御を失う危険があります。運転手たちはその氷を「鏡のような氷」と呼び、透明で見分けがつかず、ブレーキを踏んだ瞬間に危険に気付くケースが多いと語ります。

 冬季の除雪や路面管理の遅れも、事故リスクを大きく高めています。人口が集中する東部では降雪後すぐに除雪作業が行われますが、西北や東北の地方部では対応が後手に回ることが少なくありません。「雪が降っても除雪されず、太陽が溶かすのを待つしかない」と不満を漏らす運転手も多く、大雪後に路面が放置され、氷結や圧雪が固まったままという状況が複数の省で確認されています。低速で長い車列が雪を踏み固め、さらに滑りやすい「氷の高速道路」が形成される悪循環も発生しています。

 問題の核心には、天候や除雪体制の不備だけでなく、中国の基盤整備に根強く残る「建設重視、維持管理軽視」の構造があります。高速道路、橋梁、トンネル、住宅など、多くのインフラが似た過程をたどっています。建設は急速に進み、外観は整っていますが、供用開始後の維持管理が著しく不足しています。これは偶然ではなく、長年続いてきた行政評価制度が背景にあります。建設はGDPや業績として示しやすい一方、維持管理は目に見える成果として評価されにくいのです。新しい高速道路はすぐに成果として報告できますが、毎年の点検や補修は外部から見えず、政治的な評価にも結びつきにくい現実があります。

 その結果、建設段階では工期やコスト、さらには品質までもが削られ、完成後の保守も限られた予算で最低限に抑えられます。いわゆる「手抜き工事」が話題になる背景には、長寿命化を前提としない制度や、短期的成果を優先する傾向が存在しています。

 高速道路には特に高い品質が求められますが、多くの区間では設計思想が古く、モニタリング設備も不十分で、氷結をリアルタイムに検知して警報を出す機能が整っていません。過酷な気候条件や大型車の混在といった状況下では、こうした遅れた管理体制では安全を保障することは困難です。

 連霍高速の西北区間はその典型例です。路面状況が複雑で、気候が厳しく、複数の省にまたがるため責任分担が曖昧です。本来であれば改善が必要な高リスク区間ですが、投資効果が見えにくいという理由で改修が先送りされてきました。

 今回の事故は「不運」ではなく、制度的な欠陥が積み重なった結果だと見るべきです。維持管理の軽視、古いモニタリング体制、曖昧な責任体系、そして「建設すればよい」という発想が続く限り、同様の悲劇はいつでも再発し得ます。

 本当に問われるべきなのは、天候の急変ではなく、過去十数年の間に高リスク区間の改善がなぜ進まなかったのかという点です。なぜ冬季道路の監視体制が整わなかったのか、なぜ同種の事故が複数の省で繰り返されてきたのか。その背景には、インフラが「速く作るための象徴」として扱われ、「長く安全に使うためのシステム」として発展してこなかったという構造的問題があります。

 連霍高速で起きた今回の悲劇は、いわゆる「天災」が、長年蓄積してきた人為的な問題によって極限状況で表面化したものだと言えます。

(翻訳・吉原木子)