中国の食品安全問題は後を絶ちません。最近明らかになった一連の「生鮮食品への殺虫剤散布」事件は、再び消費者の間で大きな不安を引き起こしています。
先日、貴州省羅甸県(らでんけん)で、露天商が販売する野菜に蚊取り用殺虫剤を散布する動画がネット上で拡散し、大きな波紋を呼んでいます。動画には、露天商が殺虫剤のボトルを手にし、並べられた野菜や果物に向かって勢いよく吹きかける様子が映っています。この信じがたい光景は、通りがかった多くの市民の目の前で繰り広げられていました。事件発覚後、地元の市場監督管理局の担当者は「天気が暑く蚊や虫が多いため、この商人は殺虫剤を購入して野菜に吹きかけた」と説明しました。当局は通報を受けてこの商人を厳重注意し、スプレーをかけられた農産物はすべて廃棄したものの、初回の違反であることを考慮して行政処分は見送ったと発表しました。
しかし、「初回は不問とする」という当局の甘い対応は、国民の怒りを鎮めるどころか、かえって火に油を注ぐ結果となりました。多くのネットユーザーは、「絶対に初めてではない。今回たまたま見つかっただけだ」「罰則がないのは、市場全体が同じことをしていると当局も知っているからだ。次はもっとバレないようにやるだけだろう」と核心を突いています。また、「本当に許せない。毒を盛るのと同じだ。買って食べた人に何かあったらどうするのか」「どうせ自分は食べないから他人の健康なんてどうでもいいという、あまりにも身勝手な考えだ」と、倫理観の欠如を痛烈に非難する声も上がりました。さらに、「罰しないのなら、その野菜を処罰を見送った担当者に食べさせればいい」と皮肉る声も寄せられています。
懸念すべきは、これが一部の商人の非常識な行動にとどまらず、業界内で「公然の秘密」となっている疑いがあることです。「以前スーパーで働いていたが、生鮮コーナーでは夏になるとよく同じことをやっていた」と率直に語るネットユーザーもいます。この証言は決して大げさな話ではありません。実際、2025年10月には、四川省成都市の生鮮食料品店の従業員が野菜にハエ駆除剤を散布している様子が撮影され、通報される事件も起きています。事件後、該当店舗は営業停止となりました。店側は「毒性の低い蚊取り剤」を使用したとし、従業員が「スプレーをまく際に野菜をよけなかっただけだ」と弁明しましたが、消費者の不安を払拭するには至りませんでした。
野菜や果物だけでなく、日常的に大量に消費される豚肉も例外ではありません。ネット上で出回っている複数の動画には、路上で豚肉を販売する業者が、周囲に客がいないのを見計らって殺虫剤を取り出し、豚肉に向かって勢いよく吹きかける様子が映っています。誰かが近づいてくるとすぐさまスプレーボトルを隠し、何事もなかったかのように屋台の奥に戻っていくのです。動画を撮影した目撃者は、「肉の屋台に殺虫剤をかけている。これなら確かにハエは寄り付かないが、殺虫剤の成分が肉の内部まで浸透してしまい、洗っても落ちない。こんなものを人間が食べて安全なわけがない」と憤りを示しています。
こうした目を疑うような実態の裏には、一体何があるのでしょうか。なぜ商人たちは違法のリスクを冒してまで、生鮮食品に殺虫剤を散布するのでしょうか。そこからは、零細な生鮮小売業者が抱える厳しい懐事情と、利益至上主義が透けて見えます。暑い夏、野菜や果物、肉類は非常に虫がたかりやすい一方で、末端の農産物市場や路上の生鮮店、露店は、適切な冷蔵設備を欠いていることがほとんどです。生鮮食品に虫がたかると、見た目が著しく損なわれるだけでなく、腐敗や変質のスピードも速まり、商人の死活問題に直結します。高価な冷蔵ケースや電気代のかかる捕虫器、手間のかかる防虫ネットなどの物理的な対策に比べ、数百円の殺虫剤は「極めて低コストで即効性がある」魅力的な対策に見えてしまうのでしょう。
しかし、商人たちは殺虫剤が人体に有害であることを全く理解していないのでしょうか。答えは明白で、彼らも有害性を十分承知しています。それでも躊躇なく殺虫剤をまくことができる背景には、「どうせこれらは自分では食べないし、自分の家族にも食べさせない」という極めて利己的な心理が働いているからです。他人に売る食べ物に毒をかけても、自分自身の健康には影響がないと安易に思い込んでいるのです。
ですが、これこそが食品安全問題を取り巻く、最も悲しく恐ろしい「負の連鎖」なのです。野菜売りは野菜に殺虫剤をまき、店じまいした後に向かいの肉屋で買い物をしますが、その肉屋もついさっき豚肉に殺虫剤をまいたばかりであることを知りません。その肉屋の店主も、稼いだお金で果物を買いに行き、またしても同じように殺虫剤を浴びた果物を買ってしまうのです。モラルが崩壊した市場環境において、自分だけが安全圏に逃れることなど不可能です。本当の意味での勝者は誰一人として存在しません。「他人はどうなってもいい」という異常な考えが蔓延すれば、誰もが加害者であると同時に、避けることのできない被害者へと転落していくのです。この悪循環を断ち切るには、上辺だけの啓発や、生ぬるい「厳重注意」など何の意味も持ちません。違法行為の代償を骨身にしみて痛感するほど重く罰して初めて、利益のために見失われた良心を呼び覚ますことができるはずです。
(翻訳・吉原木子)
