日中関係が緊張を続ける中、中国で展開する日本の外食ブランドの動きは、これまで以上に敏感に受け止められています。最近、北京のスシロー店舗前で起きた出来事は、その空気感を象徴するようでもありました。週末にスシローを利用しようとした男性は、オンライン予約が受け付けられないことを知り、目の前には延々と続く行列。待っても順番が回ってこないと判断した彼は、38.88元を支払っていわゆる“黄牛”(転売ブローカー)から整理券を購入しました。黄牛はただ番号を渡すだけではなく、「店に着いたら発券機でさらに2枚取り、それも渡してほしい」と細かく指示を出すほどで、一連の動きにはまるで半地下の小さな“裏取引”のような雰囲気さえ漂っていました。
現場の光景は、ネットで語られる以上に生々しいものでした。自動発券機の前では人が一瞬たりとも途切れず、画面には次々と番号が表示され、店内からは「番号を呼ばれた方はすみやかにご入店ください」というアナウンスが繰り返し流れてきます。スタッフは列の整理に走り回り、機械のそばでは複数の黄牛がスマートフォンを何台も並べて操作しながら、声を潜めて客に話しかけたり番号を確認したりしていました。眠そうな子どもを抱えた家族連れ、メニューを見ながら相談する若いカップル、諦めのため息と「せっかくだから食べたい」という小さな期待が入り混じった空気が、列全体を包んでいました。
この光景は北京だけにとどまりません。2024年夏、西単大悦城にオープンした北京1号店では、1階から5階まで渦巻くような大行列ができ、最大で1500組、最長10時間待ちという“記録”が生まれました。杭州の1号店はオープンから1か月連続で予約枠が毎日即満席。12月に開業予定の上海2店舗は、すでに「1か月先まで全予約満了」の状態でした。“日本製品不買”“日本旅行を控えるべきだ”といった声がSNSに溢れていた時期ですら、スシローの行列は一向に短くなりません。一人の利用者は「252番」の札を手に、「日本をボイコットするんじゃなかったの?どうしてこんなに並んでるの?」と戸惑い気味につぶやき、別のユーザーは「日本を批判しても、スシローだけは誰も批判しないのね」と皮肉を込めてコメントしていました。
スシローが中国でこれほど支持される理由は、話題性だけではありません。日本では“庶民派回転寿司”として親しまれるスシローですが、中国進出にあたっては明らかに商品構成や店づくりをアップグレードしました。日本ではあまり見られない高価格帯のネタや季節限定商品を増やし、内装もより洗練された雰囲気にすることで、“手頃なのに質感が高い”という独自の立ち位置を築いています。現在の中国では、消費の「アップグレード」と「ダウンシフト」が同時進行し、“無理をせず、少し良いものを味わいたい”という心理が強まっています。スシローの戦略は、その心理に極めてうまく重なりました。
さらにスシローは、待ち時間を最小化するために30日前予約、当日のオンライン整理券、店頭発券の3段階のシステムを導入しています。仕組み自体は合理的ですが、利用者が急増すると一気に複雑化し、混乱を招きます。特に本人認証が厳格でないため、黄牛が複数の端末を使って大量の番号を確保したり、転売したり、さらには公式アプリに酷似した偽アプリまで作成したりする事態が起きています。店頭では、正規の発券待ち、番号確認、そして黄牛による番号売買が同時進行し、独特の熱気とざわめきが渦を巻いていました。
ある利用者の撮影した写真には“待ち時間120分”と表示された画面が映り、「空港の保安検査より時間がかかるんじゃないか」と嘆きながら投稿した様子が添えられていました。それでも行列は途切れず、その長さそのものが人気の証明のようでもありました。
こうした現象は、単なる人気店の行列ではなく、現在の中国社会の空気を映し出す鏡でもあります。この1年、中国では“反日”を前面に押し出した宣伝が繰り返され、日本関連の消費に政治的意味を付与しようとする動きも見られました。しかしその一方、スシローの店舗前には毎日のように長蛇の列が生まれ、“何を食べ、いくら払うか”という日常の選択は、政治的スローガンよりもはるかに現実的で強いことが際立ちました。人々は一時的な感情ではなく、自分の生活と満足度に基づいて判断し、政治の空気に完全には同調しない。その姿勢が、行列という形で静かに可視化されているかのようです。
経済の減速が続く中、“少しの出費で小さな幸福を得たい”という欲求はむしろ高まっています。家族と過ごす時間、おいしいものを味わう確かな満足感は、どんな政治的議論より優先されやすい現実があります。スシローは、その小さな幸福を手に入れるための、もっとも分かりやすい選択肢の一つになっています。
ある評論家は「中国人が10時間並んでスシローを食べるという事実は、どんな世論調査より雄弁だ」と語りました。少し皮肉にも聞こえますが、今の社会空気を鋭く言い当てた言葉でもあります。店先のモニターに番号が一つ進むたび、そこには政治とは無関係な、生活者の静かな選択が刻まれているのかもしれません。
(翻訳・吉原木子)
