11月29日の夜、上海の東方体育センターは異様な静けさに包まれていました。本来であれば、まばゆい照明と歓声で満たされるはずのコンサート会場に残っていたのは、たった一人の姿だけでした。日本の歌姫・浜崎あゆみさんが、その日のために用意された豪華な衣装を身につけ、無観客の客席を前に、ただ一人で歌い続けていたのです。
これはリハーサルではなく、入場できなかった1万4千人のファンに向けた、深い感謝と別れのパフォーマンスでした。開演直前、「不可抗力」を理由に突然中止を告げられたコンサート。浜崎さんは、政治的な余波によって途切れた公演に、自身の歌声で静かな幕を下ろしました。
同じ日、「バンダイナムコカーニバル」に出演していた日本人歌手・大槻マキさんも、観客の目前で突然の“中断”を経験しました。『ワンピース』のテーマ曲を披露していた最中に音楽と照明が突然シャットダウンされ、スタッフがステージに上がり、彼女を降ろしてしまったのです。観客の前で強引に止められた大槻さんと、無観客の空間で最後まで歌い切った浜崎さん。その2人の姿は、多くの人の記憶に鮮烈な印象を残しました。
実際、11月下旬以降、中国本土では日本文化に対する「限日令」とも言える動きが急速に強まっています。音楽分野では、作曲家・和田薫さんの「犬夜叉」30周年記念交響コンサートの北京・上海公演が中止され、複数の日本人アーティストのツアーは軒並み取りやめとなりました。さらに、子どもやアニメファン向けの「アンパンマン」グリーティングイベントや「美少女戦士セーラームーン」の舞台公演まで、例外なく停止されています。
中止理由として上げられのたは、どれも「不可抗力」の一言。しかし、自然災害も公共安全上の問題も起きていない中で、この曖昧な理由に納得する人はほとんどいません。あまりに急な決定、広い対象範囲、そして強硬な実行ぶりに、業界関係者の間でも驚きと困惑が広がっています。
こうした状況の中、浜崎さんが今回の上海公演に込めていた思いは、いっそう複雑さを増しました。彼女は数日前から上海入りし、ステージの設営、音響、照明など全ての準備を整えていました。11月27日には、香港で起きた火災事故を悼み、「赤い服は控えてほしい」とファンに呼びかけ、予定されていた炎による演出の中止も発表するなど、細やかな配慮を見せていました。
しかし、こうした誠意も、突然訪れた政治的な寒波の前には抗うことができませんでした。11月28日午後、主催者「克莱可文化」は突如「不可抗力」を理由に公演の中止を発表。浜崎さんはInstagramで、チームがその日の午前になって初めて中止を知らされたことを明かしました。理由については多くを語らず「分からないことにはコメントしない」と述べましたが、その言葉の端々からは、深い謝意と無念さが滲み出ていました。約200名のスタッフの努力が一瞬で無に帰したこと、そして世界中から訪れたファンへ直接謝罪する機会を奪われた悔しさは、容易に想像できます。
そして、最も胸を打ったのは、ここからの行動でした。公演が中止されたにもかかわらず、浜崎さんは予定通り衣装をまとい、完成されたステージにただ一人で立ち、無観客の空間で全曲を歌い切ったのです。
一方、会場の外では別の動きが起きていました。入場できなかったファンの多くはその場を離れず、浜崎さんを応援するためテーマカフェに集まり、それぞれ思いを語り合っていました。しかし、この純粋なファン活動でさえ、当局の監視対象となりました。複数のネットユーザーによると、店の前には一晩中パトカーが停まり、入口に張られていた浜崎さんのポスターも撤去されたということです。
公式の強硬な対応とは対照的に、中国のSNS上では、浜崎さんを支持する声が高まりました。ある江蘇省のユーザーは皮肉を込めて「コンサートを中止、中国の“契約に対するあり方”を世界に見せた」と投稿し、山東省や広西自治区のユーザーも「あいつらには契約に対する信頼関係なんて一切もてない。契約を守ることのない環境なら、こうなるのは当然だ。」と辛辣なコメントを寄せました。香港の実業家・李嘉誠氏が中国市場からの撤退を決めた背景に触れ、「恥だよ。あの連中には契約に対する精神なんてゼロだ。李嘉誠が中国市場から撤退したのも、それはそうだろうな。」という声もありました。
さらに今回の出来事をきっかけに、浜崎さんの楽曲を初めて聴き始めたという人も少なくありません。「結局、浜崎あゆみがファンの心をつかんだんだよ。」「彼女の曲を全部ダウンロードして、車の中で流すよ。」「一人で共産党のメンツを潰したな。」──そんな投稿がSNS上に相次ぎました。それは、決して誇張ではなく、多くの人が長年抱えてきた思いをこの出来事に重ねたのだと感じさせます。
ある安徽省のユーザーは、「彼女はただファンを思って歌っただけかもしれない。でも、その行動は中国人に“契約に対する心ってこういうことだ”と教えてくれたよ。」と記していました。文明と野蛮の差とは、時に一つの行為、一つの姿勢の中に鮮明に表れるものなのかもしれません。
(翻訳・吉原木子)
