中国の広大な国土の中で、かつて東北地方は多くの人が憧れる存在でした。1930年代、東北は一時的に日本に占領され、その植民地統治のもとで、日本は交通、都市、エネルギーといった基盤整備に大量の資源を投入しました。そこには植民地統治特有の側面もありましたが、その一方で、この時期の急速な工業化が後の東北の産業基盤をつくり上げたことも否定できません。1945年の統計によれば、当時の東北地域のGDPは中国全体の85%を占め、上海や台湾を含む内地全体はわずか15%にすぎませんでした。肥沃な黒土地帯には鉄と石炭の鼓動が響き、「満洲」と呼ばれた地域は、当時の中国で最も豊かで近代化が進んだ地域でした。
しかし、時の流れはこの土地を優しく包み続けてはくれませんでした。いまの東北は、別の意味で深い静寂に覆われています。中国が発表した2024年の人口出生率では、黒竜江が全国最下位、吉林がその次、遼寧も下から三番目で、香港や上海とほぼ同水準に沈んでいます。出生率だけではありません。離婚率でも三省は全国ワーストで、吉林が71.51%で1位、黒竜江が67.16%、遼寧が65.83%と続きます。さらに死亡率でも黒竜江、遼寧、吉林が上位を占め、人口が潮のように引いていく現実を数字が淡々と語っています。
しかし、もっと重いのは、数字ではなく人々の足音です。2024年、東北三省から流出した人口は82万人。中規模の県が丸ごと空になったほどの規模です。これは一般的な「出稼ぎ」とは異なります。中国の多くの地域では、働きに外へ出ても家は故郷にあり、正月になれば帰省するという生活が長く続いてきました。しかし東北では、家族全員が「根こそぎ」移住する例が増えています。中高年は手放せるものをすべて売り、若者は未練も帰属意識も残さず、故郷に一円も置かず、思い出す余白さえ残しません。
その結果、地図上には「無人村」が次々と現れました。家々は一列まるごと空き家になり、庭には雑草が生い茂り、玄関の敷居を越えるほど伸びています。通りには人影がなく、風が物干しロープをかすめて笛のような音を残すだけ。わずかに数人だけ残って暮らす村もありますが、彼らはかつての賑わいを胸に、暖炉の火とラジオの音に寄り添いながら静かに年老いていきます。東北は単に「高齢化している」のではなく、土地そのものが空洞化しつつあるのです。
これは天災ではなく、人の行動が積み重なって生まれた結果です。東北の多くの中小都市では、早くから権力や行政資源を握った人々が、家族ぐるみで閉ざされたネットワークをつくり上げてきました。教育、就職、事業、公共工事——そうしたチャンスは限られた層に偏り、若者が故郷に戻っても排除されることが少なくありません。帰りたくないのではなく、帰っても何も得られず、むしろ既存の「関係網」に押しつぶされる未来が見えてしまう。中国ではこうした限られた地元エリート層を揶揄して「県城バラモン」と呼ぶことがあります。生まれによって人生が決まる閉ざされた階層だ、という意味です。このような環境では、希望は芽吹く前に摘み取られてしまいます。
若者の帰郷を阻んできたのが権力構造の固定化だとすれば、外からの投資を遠ざけてきたのは、古くから中国で言われる「山海関より北には投資するな」という俗語です。東北で企業家が直面するのは、市場リスクよりも制度リスクだと言われます。工場を建て終えた途端、工商、消防、税務、環境、薬事など、あらゆる部門が次々に検査に訪れ、まるで果てしないリレーのように担当が変わっていく。政策は頻繁に変更され、行政の約束は突然覆され、投資の不確実性は企業の意欲を根こそぎ奪います。黒竜江のある観光開発事業の主催者は「最初はすべて順調だったが、地方の管委会(地方行政委員会)が介入した途端、状況が一変した」と語ります。冷え込んだビジネス環境は、そのまま市場の信頼を凍らせてしまいました。
一方で行政は、未来を描く大型プロジェクトを次々と打ち出しています。地下鉄は郊外へ延び、新区は次々と建設され、高速鉄道の新都市は何度も計画されます。まるで人口が突然戻ってくるかのように。しかし現実はまったく逆です。2024年、東北三省の常住人口は80万人以上減少し、この十年で1100万人が消えました。これは「一つのハルビン市が丸ごと消えた」規模です。ハルビン地下鉄2期は負債比率が893%に達し、財政部から承認が差し戻されました。多くの高速鉄道駅前の新区は、住民も企業も入らない“ゴーストタウン”と化しています。人口動態とまるで噛み合わないインフラ投資は、資源の浪費にとどまらず、地方財政を深刻に圧迫しています。
財政は徐々に苦しくなり、税収は減り続け、社会サービスはむしろ高騰しています。少子高齢化の急速な進行により、年金と医療保険の支出は漏斗のように急激に減り続けています。すでに2016年、黒竜江は全国で初めて年金口座が赤字となり、遼寧、吉林も同じ危機に直面しています。地方政府は中央からの補助金や地方債に依存せざるを得ず、まさに「左の壁を壊して右で補修する」ような場当たり的な対応しかできない状況です。
そして最後に残るのは、人が去り、税収が消え、公共サービスが維持できなくなり、医療資源は縮小し、薬は不足し、人々の生活実感は低下し、残った人もまた離れていく——そんな悪循環です。地域が自ら編み上げた負のループとも言える状況です。
ネット上には「今さら東北虎(アムールトラ)を心配するより、まずは東北の人を心配した方がいい」という言葉も見られます。本来は皮肉として書かれた言葉かもしれませんが、いまの東北を見つめると、その皮肉の中に深い現実が滲み出ています。
(翻訳・吉原木子)
