最近、四川省成都で開催されたマラソン大会の終了後、思わぬ騒動が起きました。大会側がランナー向けに用意していた飲料水やバナナ、パンなどの補給食が、市民によって次々と持ち去られる事態となったのです。中には電動バイクで箱ごと運び出す人もおり、その様子を映した動画がSNS上で拡散され、瞬く間に大きな話題となりました。

 10月26日に開幕した2025年成都マラソンには、世界各地から約3万5,000人のランナーが参加しました。しかし、レース終了後の会場では、多くの市民が補給食を奪い合うように持ち去る光景が広がりました。ボランティアが制止を呼びかけても、混乱を止めることはできませんでした。

 こうした出来事は決して今回が初めてではありません。近年、中国各地では同様の「物資の奪取」や「農作物の略奪」事件が相次いでおり、社会のモラルや公共意識の低下が浮き彫りになっています。

 2025年6月には、安徽省宿州市で「ジャガイモ略奪事件」が発生しました。農場を経営する契約農家が栽培した約33ヘクタール(500ムー)のジャガイモ畑が収穫期を迎えた際、約1,000人もの村民が袋や鍬を手に押し寄せ、昼夜交代でジャガイモを掘り出し、盗んで行って行ったのです。中には三輪車で大量に運び出す者もおり、警察に通報しても「人数が多すぎて取り締まれない」として、実質的な処分は行われませんでした。被害額は、数百万円(数十万元)に上ったとされ、この事件は「人が多ければ罪に問われない」という言葉が現実化したかのようだと、社会の議論を呼びました。

 2024年11月には、陝西省宝鶏市でも、トウモロコシの収穫後の畑に村民が大勢押しかけ、収穫機の後ろを追いながらトウモロコシを拾い集めるという騒ぎが起きました。中には農家と口論になる者もおり、農家側は打ち上げ花火を放って人々を追い払おうとしましたが、効果はありませんでした。

 さらに、2023年10月には河南省周口市でも同様の事件が起きました。白朮という薬草を栽培する畑に大勢の村民が押し寄せ、畑の持ち主が雇った20人の警備員でも止めることができませんでした。農家の男性は「やっと利益が出そうだったのに、すべて失った」と肩を落としました。警察は現場に駆けつけて人々を退去させたものの、ほとんどが「注意」で終わり、実質的な責任追及は行われませんでした。

 公共の場での混乱も後を絶ちません。2023年10月、河南省南陽市で開かれた「中原ミディ音楽祭」では、イベント終了後にキャンプエリアなどで多数の盗難被害が報告されました。警察には73件の通報が寄せられ、65件が正式に立件されました。観客の中には携帯電話や財布、カメラ、さらにはテントまでも盗まれた人が多く、「音楽祭が泥棒祭になった」と皮肉る声も上がりました。その光景は、成都マラソン後の補給食略奪と重なります。

 こうした現象について、中国のメディア関係者である李さんは「これは単なる道徳の問題ではなく、社会構造の崩壊を映し出している」と語ります。李さんはインタビューでこう続けました。「共産党政権が成立する以前、中国では私塾で『四書五経』を学び、『仁義礼智信』を重んじる教育が行われていました。しかし、政権交代以降、こうした伝統文化は破壊され、人々は行動の基準を失ったのです。」

 「共産党は信用を重んじず、人民もまた信用を失った。『仁義礼智信』の根底には人間性と善良さがある。しかし、今の社会では掠奪や欺瞞が当たり前になっている。人々は互いを信じられず、弱者に苛立ちをぶつけるようになった」と李さんは指摘します。

 さらに、「政府が無責任である以上、国民も無責任になる。助け合いの文化は失われ、社会は冷たく分断されていく」と語りました。

 成都のマラソン補給品から、宿州のジャガイモ、周口の薬草、宝鶏のトウモロコシ、そして南陽の音楽祭に至るまで、それは単なる貧困の問題ではなく、社会全体が失った倫理観と信頼する心を表しています。目の前の利益を優先する風潮の背後には、崩壊してしまった人間の良心と、そしてもう一度取り戻すべきである、失われてしまった「恥」の感覚が潜んでいるのかもしれません。

(翻訳・吉原木子)