大学生が就職を目指す理由は何でしょうか。答えはとても簡単です。お金を稼いで自分の生活を維持するためです。「自己実現」や「自己成長」といった言葉は、まず生活の基盤が成り立ってこそ語れるものです。もし食べることさえままならないなら、どんなに理想的な仕事であっても、それは空論にすぎません。

 この道理は誰もが理解しています。しかし現実はあまりにも残酷です。いまの就職市場は競争が激しく、以前より、求められる業務量は増え、給与はむしろ下がっています。そんな中、西安市で開催された就職フェアに「月給21円」という求人が現れ、多くの学生たちが怒りを爆発させました。

 西安のある大学で行われた合同就職説明会では、新疆ハミ市から来た企業がコンピューター専攻の学生に対し、月給「21円〜約21000円」(1元〜1000元)と記載された求人を出していました。この水準では、まともな生活はおろか、西安で部屋を借りたり食費をまかなうことも難しいでしょう。学生たちは求人票を見て最初の驚きがやがて怒りに変わりました。表面上は「21円〜約21000円」(1〜1000元)と幅がありますが、就職経験のある人なら誰もが知っています——もし求人票に「3K〜1W」と書かれていれば、実際にもらえるのはほとんどの場合3K、つまり最低ラインです。1Wという上限は、企業が応募者を引きつけるための「幻想」にすぎません。

 それでも、企業が「21円」(1元)を堂々と最低額として掲げたことに、学生たちは言葉を失いました。こんな侮辱的な給与提示に、ある学生は「1か月働いてこの金額なら、いっそ路上で物乞いをした方がましだ」と皮肉を言うしかありませんでした。

 同じ会場では、建材研究所も材料専攻の学生に対して月給 約4万7千円(2200元)という求人を出していました。現在の物価水準を考えれば、これはほとんどあり得ない低賃金です。月給約6万4千円(3,000元) にも満たない給与では生活費さえまかなえず、学生時代の仕送りよりも少ない場合すらあります。卒業後は家賃や交通費、社会保険の支払いもあるのです。

 大学卒業生の就職難は、氷山の一角にすぎません。いわゆる「低賃金労働」は中国社会の至るところで常態化しています。2025年8月、雲南商務職業学院が学生を浙江省や広東省の電子工場へ「実習」と称して強制的に派遣していたことが発覚しました。しかも時給から約130円(6元)を学校側が天引きしていたのです。学生たちは毎日10時間以上立ちっぱなしで働かされ、最終的に手元に残る給料は現地の最低賃金にも届きませんでした。この「実習」は名ばかりで、実際は安価な労働力を提供する仕組みにほかなりません。そして、このような教育機関の行為は、学生を守るべき教育制度の中に搾取の一部が組み込まれていることを示しています。

 広州のアパレル工場でも同様です。女性労働者たちは1日14時間以上働き、出来高制の単価は「数円以下」(数分から数毛)という水準です。月に15万円(約7,000元)を稼ぐためには、ほぼ休みなく働かなければなりません。この「命を削るような労働」が、もはや多くの人々にとって日常になっています。

 実は、名門大学を出た若者も、技術学校を卒業した労働者も、同じ問題に直面しています——労働の価値が体系的に引き下げられ、企業は「合法」という名のもとに、若者たちの忍耐と時間を徹底的に搾り取っているのです。

 さらに皮肉なのは、外資系企業が国際基準に沿った待遇を提供すると、逆に「悪意のある賃上げ」と非難されることです。テスラ上海工場がその例を示しています。同工場のライン作業員の月給は約21万円 (1万元)前後で、国際的にはごく標準的な水準です。しかし一部の中国メディアや業界関係者は「市場秩序を乱す」「悪意をもって賃金を引き上げた」と批判しました。ある伝統製造業の経営者は、「外資がこんな給与を出すから、中国企業は生き残れない」と不満を漏らしています。

 このような発言こそが、いまの中国社会の歪んだ現実を象徴しています。多くの企業にとって「低賃金こそ競争力」であり、従業員が人間らしい生活を送ることは「場違い」と見なされているのです。資本の論理はすでに人間の尊厳を踏みにじっています。「苦労を惜しむな」という美徳が強調され、最低限の生活さえ保障されない状況が当たり前になっている——それは勤勉ではなく、労働の価値そのものへの侮辱です。

 しかも「21円求人」(1元求人)を出した企業は、国有企業の中の中央企業系列という看板を背負っていました。その「ゴールドの肩書」を武器に、安定を求める学生心理を巧みに利用し、不当な待遇を正当化していたのです。これは市場原理に反するだけでなく、人材の価値を否定し、高等教育への投資を嘲笑する行為でもあります。

 では、なぜこうした企業が堂々と低賃金を提示できるのでしょうか。一つは大学の大規模拡張によって卒業生が急増したこと、もう一つは経済構造の転換期により雇用が不足していることです。需給のバランスが崩れ、「人材はいくらでもいる」という思い上がりが生まれています。そして社会全体の沈黙が、こうした風潮をますます助長しているのです。

 労働を尊重せず、人間の価値を軽視し、ただ低コストと高利益を追い求める社会——その結末は明白です。空っぽになるのは若者の情熱だけではありません。この国の未来そのものが、静かに削り取られているのです。

(翻訳・吉原木子)