近年、中国経済は低迷を続け、雇用情勢はますます厳しくなっています。大学卒業生の就職難は深刻化し、中年層が失業すると再就職はほとんど不可能な状況です。そのため「まずは生き延びること」が多くの若者に共通する切実な思いとなっています。

 最近、中国のソーシャルメディア上で密かに広まり話題を集めているのが「ゼロコスト生存」という現象です。生存への不安を具体的に映し出すもので、ますます多くの若者が市場に足を運び、商人が捨てた野菜を拾って空腹をしのぐようになっています。この「捨て野菜拾い」は一種の新たなトレンドとなり、深センや北京といった一線都市でも見られるようになっています。

20代が巻き起こす「捨て野菜拾いブーム」

 9月8日、ある2000年代生まれのブロガーが動画を投稿し、自ら始めた「捨てられた野菜を拾って節約する新プロジェクト」を紹介しました。動画の中で彼女は市場の片隅にしゃがみ込み、まだ食べられそうな野菜を探しながら小声でつぶやきました。

「初めてやるからちょっと勝手がわからない。まずは拾っていいかどうか聞かなきゃ」
「玉ねぎを拾って卵と炒めれば悪くない。でもいい玉ねぎは少ないな」

 彼女は来るのが遅すぎたと嘆きました。すでに多くの野菜が片付けられていたからです。しかし、それでもネギ、ピーマン、ナスを手に入れることができ、彼女は「今夜はおかずが増えた!」と嬉しそうにつぶやきました。

 本来ならば気恥ずかしさを伴うこうした行動も、今では多くの若者に「現実的な生活の工夫」として受け止められています。コメント欄には「試してみたい」「本当に節約になる」といった声が多く寄せられ、さらには「最適な捨て野菜拾いの時間割」をまとめ、新しい「節約術」として発信する人まで現れています。

合肥ブロガーが体験した「周谷堆の捨て野菜拾い」

 9月11日、女性ブロガー「栄栄日常(えいえいにちじょう)」が動画を公開し、安徽省合肥市の周谷堆卸売市場で捨てられた野菜を拾った体験を語りました。彼女は「毎月の住宅ローンが約50万円(2万5000元)に達し、生活の重圧が大きい」と明かしました。他のネットユーザーが「捨て野菜拾い」をする動画を見て、自らも挑戦することにしたのです。

 「大きな袋を持ってきたけど、いったい何が拾えるかな」

 動画の中で彼女は市場を歩き回りながら、嬉しそうに戦利品を見せました。
 「このピーマン本当にきれい。このキュウリもいいのに、どうして捨てたの?私、得しちゃった!」
彼女は数本のきれいなキュウリと少しのセロリを拾い、家に帰って彼氏と一緒に家庭料理を作りました。彼氏は「これぞゼロ円ショッピングだな!」と笑いました。

 しかし、喜びは長く続きませんでした。数日後、その市場は「悪影響が心配される」として、市場内での捨て野菜拾いを禁止する告知を出しました。彼女は「お金を節約するのも本当に難しい」と嘆きました。

深センのネットユーザー「捨て野菜拾いは恥ではなく、やむを得ない」

 中部地域の都市だけではなく、経済的に発展した深セン市でも、多くの人が捨て野菜拾いに加わっています。あるネットユーザーは父親と一緒に農産市場で「野菜探し」をした様子を動画に収めました。

 「まず民治農産市場に行ったけど、地面がきれいすぎてほとんど拾えなかった。仕方なく華富市場へ。着いたらすぐにオレンジを見つけた。少し傷んでいたけど食べられるから拾った。そのあとナスやピーマンもいくつか見つけて、まだ食べられるので持ち帰った。苦瓜は腐っていてダメだったけど、最後には一食分の野菜が揃った。これで明日は野菜を買わなくて済む」

 この「宝探し式」の捨て野菜拾いは、多くのネットユーザーの共感を呼びました。コメント欄には「これは変わったライフスタイルなんかじゃない。高い家賃と物価、低収入に追い込まれた末の生存戦略だ」という声が相次いでいます。

苦中の楽しみ?その背後にある重い生存の圧力

 ネット上では「捨て野菜拾い」が一時期、一部のメディアによって「勤倹節約」や「新しいエコトレンド」として取り上げられました。しかし、多くのネットユーザーは「これは選択ではなく、やむを得ない結果だ」と見ています。あるブロガーは率直に語りました。「節約は選択だが、捨て野菜拾いは選択の余地がない」

 彼はこう嘆きました。「親は子どもに学費をかけ、将来立派になってほしいと願っているのに、結局子どもが捨て野菜を拾って生き延びる姿を目にする。その辛さは自分が腹を空かせている以上に辛い。先生たちは『勉強すれば明るい未来がある』と言っていたのに、現実はそれを無惨に裏切った」

 同ブロガーはさらに分析しました。「なぜスーパーの野菜はどんどん高くなるのに、農民は良い値段で売れないのか?物流、卸売、小売の各段階で上乗せされるコストが利益を押しつぶしている。穀物価格の下落は農家を豊かにせず、消費者だけが高いコストを払わされる。真の節約は流通を改善し、資源がより効率的に届くようにすることであって、最も弱い立場の消費者にゴミを拾わせることではない」

「捨て野菜拾い」をする人々の異なる運命

 「捨て野菜拾い」をする人々の姿は多様です。就職できない新卒の大学生、リストラされたホワイトカラー、専業主婦までいます。ある若者は故郷の桂林市に戻った後こう書き込みました。「桂林に帰ってもう1か月以上、まだ仕事が見つからない。本当に捨て野菜拾いをしたい。そうでなければ本当に食事が途切れてしまう」

 また、杭州市の1990年代生まれの失業した女性は、自身が受けた屈辱を打ち明けました。「市場でしゃがんで捨て野菜を拾った後、家に帰ってしばらく悲しい気持ちが消えなかった。私たちはただ捨て野菜を拾っているだけなのに、どうして人格的な侮辱まで受けなければならないのか」

 ブロガー「盈盈在蘇州」は、より大きな視点から現状を分析しました。「今の失業の波は、1998年の大量失業とは違う。あの頃の労働者家庭にはほとんど借金がなく、働く意志さえあればなんとか乗り越えられた。しかし今は住宅ローン、カーローン、クレジットカード、子どもの教育費と負担が連鎖していて、一度失業すれば生活システム全体が一瞬で崩壊する。屋台商売も難しい。ネット通販やECが市場を圧迫し、残された隙間はほとんどない」

一袋の野菜が映し出す社会の困難

 「捨て野菜拾いブーム」は一時的なネットの話題ではなく、いまの中国社会の現実を映し出す縮図です。そこには、就職難、物価高騰、生活圧力の増大が反映されており、若者たちがもはや「逆転の成功」を夢見るのではなく、次善の策として「まず生き延びること」を優先している姿が浮かび上がります。

 この現象の背後には、社会全体の構造的な矛盾があります。就業機会の不足、所得の停滞、生活コストの上昇です。若者を「恥ずかしい」と責めるのではなく、なぜ一線都市の若者が真夜中に卸売市場でゴミをあさってでも食料を得ようとするのかを考えるべきでしょう。

 経済の寒冬の中で、この世代の若者たちは自分なりの方法で必死に生き延びています。「捨て野菜拾い」はその無言の叫びにほかなりません。

(翻訳・藍彧)