中国の多くの大学では、教員に数十万元(数百万円から数千万円に相当)の研究資金目標が課され、その達成が昇進や評価に直結しているため、自腹を切ったり借金をしてまで数字を埋める事例が相次いでいます。不正に加担することを拒んだ教員が解雇されるケースもあり、この歪んだ評価制度が各地に広がり、社会的な議論を呼んでいます。
近年、特に文系の教員たちが直面しているのは、企業や団体など外部から直接獲得する研究資金です。中国ではこれを「横向経費」と呼び、産学連携の成果を示す指標とされています。本来は理工系の研究で成果が出やすい仕組みですが、文系では獲得が極めて困難です。それにもかかわらず、この指標が教員の昇進や評価、さらには契約更新にまで結びつけられています。そのため、多くの教員が借金をしてでも「帳簿上の数字」を満たすことを余儀なくされているのです。
西安市のある民間大学では、文学部に対して約14億円の目標が課され、若手の助教にさえ約90万円が割り当てられました。文系教員の間では「達成は事実上不可能」との声が強いものの、学部長は会議で「企業から研究プロジェクトを取ってくればよい。できなければ会社と形だけの契約を結んで自腹を切ればいい」と発言。さらに「分割払いでも構わない。帳簿に反映できなければ解雇だ」とまで迫ったといいます。
このような圧力の下で、生活を削って任務をこなす教員も少なくありません。ある研究室主任は約180万円を自腹で支出し、後に帳簿上で処理したと明かしました。別の教員は160万円を借金して対応し、1年かけて返済したといいます。中国のSNS「小紅書(RED)」を検索すると、「横向経費を自腹で補填した経験」についての投稿が数多く見つかり、天津市では住宅を売却して約800万円を大学に拠出した例まで報告されています。
こうした状況から、不正契約や架空請求書を提供する仲介業者が登場し、「灰色産業」と化しています。一方で、不正を拒んだ教員が職を失う事例も後を絶ちません。西安市のある教員(仮名:唐文生)は偽の契約書への署名を拒否したことで解雇され、同じ学部で同調しなかった6人も一斉に職を失いました。山東省の講師(仮名:王森)は高額な目標に耐えられず、学問環境に失望して大学を辞め、教育コンサルタントに転じました。
この「逆淘汰」とも言える仕組みは、学問的良心を持つ人を追い出し、不正に妥協する人ばかりを残す結果を生んでいます。北京航空航天大学のポスドク研究員(仮名:劉一均)は「大学の評価ロジックは今や『名誉か資金か、そのいずれかを持ってこい』という発想に陥っている」と警鐘を鳴らしています。
不正は各地で確認されています。天津市のある師範大学では、副教授が企業と結託して架空契約を結び、研究資金をだまし取ったとして処分を受けました。北京市海淀区では、教員が学生名義を使って労務費を不正に受け取り、私的に流用した事件が検察当局に立件されています。こうした事例は、虚偽の研究資金操作が一部の大学にとどまらず、半ば常態化していることを示しています。
多くの教員は、問題の根源を国の学位制度にあると指摘します。中国の国務院学位委員会は、外部資金の獲得実績を修士課程を持つ大学の認定基準に組み込みました。その結果、多くの地方大学が「修士課程の資格維持」のために教員へ圧力をかけ、名門大学もまた「一流大学・一流学科」計画の達成を目指して同じように数字を追いかけています。最終的に、その負担はすべて現場の教員に押しつけられているのです。
さらに、教員の重圧は研究資金にとどまりません。膨大な事務作業、不合理な業績評価、そして「デジタル監視」と呼ばれる仕組みも加わっています。授業は無人監視システムでチェックされ、学生の「顔を上げている割合」が評価に直結するなど、教員は常に監視下に置かれています。江蘇省のある講師(仮名:石雲)は「かつては安定した職と自由な時間の象徴だった大学教員のイメージは、今では完全に過去のものだ。今やマルチタスクと残業が日常になっている」と嘆きました。
こうした現状に対し、中国のネット上でも批判が相次いでいます。「教員は支援されるべきなのに、大学の資金目標のために借金を強いられるのは理不尽だ」「任務達成のためにローンが必要だなんて、家や車を買うよりも不条理だ」といった声や、「良い大学も悪い大学も同じことをしている。すでに普遍的な現象だ」との指摘もあります。中には「学生から学費や補講費を搾り取るだけでなく、今度は教員からも金を取るのか」と強く批判する意見も見られます。
教育とは本来、知識を育み、人格を形成する場であり、社会の未来を支える象牙の塔であるはずです。しかし、評価制度と利益が過剰に結びつけば、教員の尊厳も教育の本質も損なわれてしまいます。このままでは、真剣に教育に取り組む人々が排除され、虚偽の数字に迎合する人ばかりが残る危険があります。その結果、傷つくのは教員だけでなく、社会全体の未来です。
教育は単なる数字や契約ではなく、責任であり、倫理であり、良心です。制度の歪みを直視し、改革へと踏み出さなければ、中国の大学は本来あるべき姿を取り戻せないでしょう。
(翻訳・吉原木子)
