呉京(ご・けい)はかつて中国映画界で最も象徴的な存在の一人でした。武術一家に生まれ、少年の頃から頭角を現しながらも長らく大きな成功には恵まれず、時代の空気を掴んで『戦狼(せんろう)』シリーズで一躍“タフガイの民族英雄”となりました。しかし、わずか数年のうちにその名声は急速に色あせ、英雄視された地位から転落し、ネット上で嘲笑の的へと変わっていきました。その浮沈の軌跡は、一俳優の盛衰を超え、中国社会における世論と感情の変化を映し出しています。
呉京は1974年に北京で生まれました。幼少期から武術を学び、8歳で北京武術隊に入り、その後は北京体育大学に進学しました。1990年代半ばに出演したテレビドラマ『太極宗師』で注目を浴び、一時は「李連杰(り・れんけつ)の後継者」とも呼ばれました。その後、香港に渡ってアクション映画に出演し、ときには悪役も演じましたが、香港映画はすでに衰退期にあり、彼の確かな武術の技も大スターへの切符にはなりませんでした。十数年にわたり、彼は端役としての出演を重ねながらも、なかなか大きな飛躍を掴めずにいました。
転機は2010年代半ばに訪れます。北京オリンピック以降、中国では「主旋律」と呼ばれる愛国的な題材を商業映画の形で市場化する動きが強まりました。呉京はこの潮流に乗り、功夫映画から軍事・愛国アクションへと方向を転じます。2015年、自ら監督・主演を務めた『戦狼』を公開。中国の特種兵を主人公とした作品で、従来の功夫映画とは異なり、銃撃戦や爆破、軍事要素を前面に押し出しました。興行的には中規模の成功にとどまりましたが、続編『戦狼2』(2017年)は中国映画の歴史を塗り替える大ヒットとなりました。
『戦狼2』はハリウッド型アクションの構造を中国版に置き換えた作品で、異国の戦乱を舞台に中国兵士が活躍し、五星紅旗が誇らしげに翻ります。クライマックスでは中国のパスポートが画面いっぱいに映し出され、「中国のパスポートは、あなたをどこからでも連れ帰ることができる」というメッセージが添えられました。2017年当時、中国は経済が成長を続け、ナショナリズムが高揚していた時期であり、この映画は観客の心を容易に掴み、涙を流させました。最終的に57億元(約1,000億円超)の興行収入を記録し、呉京は一気に“民族英雄”として神格化されていったのです。
しかし、英雄像の背後には早くから矛盾も潜んでいました。呉京はインタビューで「自分はビルから飛び降りた」「戦車をドリフトさせた」「飛行機を操縦できる」といった誇張気味の発言を繰り返し、映画上のキャラクターを現実の自分と重ね合わせるような語りをしました。観客はそれを熱狂的に受け止めましたが、同時にその言葉は後に揶揄の格好の材料となっていきます。さらに、飲酒運転で拘留された過去、国産スマホを宣伝しながらiPhoneを使用していたこと、清朝の八旗の末裔だと語り「家産を没収された」と不満を口にしたことなど、イメージを損なうエピソードも積み重なりました。当時は大きな批判にはならなかったものの、後に彼の神話を崩す“ひび”となっていきました。
決定的な転落は2025年に訪れます。彼が出品した新作『再見、坏蛋』(さようなら、悪党)は公開からわずか6日間で26万元(約500万円程度)の興行収入しか得られず、すぐに上映打ち切りとなりました。かつて「興行保証」とまで呼ばれた呉京にとって、これは屈辱的な失敗でした。さらにネット上では過去のインタビュー映像が切り取られ、彼が大きく頭を振りながら誇張する姿がパロディ動画として加工され、「揺れる頭の呉京(摇头京)」というミームが生まれました。「私はビルから飛び降りた、君は?」「私は中国のミミズを食べた、君は?」といった発言は、「私は満員電車で押し潰された、君は?」「私はカップ麺を食べた、君は?」といった日常ネタに改造され、短動画として爆発的に拡散しました。これは単なる娯楽ではなく、集団的な冷笑の表れでした。人々は「政府を直接批判することは難しいが、呉京を笑うことはできる」と考え、彼を通して鬱憤を晴らしていたのです。
追い打ちとなったのが、同年に発生した「妙瓦底(ミャワディ)事件」でした。タイ国境に近いミャンマーの都市・妙瓦底は、中国人が偽の映画撮影などに騙され、特殊詐欺組織に監禁される“詐欺拠点”として近年問題視されています。2025年初頭、中国の俳優・王星(ワン・シン)がそこで拉致され、数日後に救出されましたが、同じ施設には50人以上の中国人が囚われていたと証言しました。家族たちは自発的に互助グループを作り、オンラインで被害者名簿を共有。その名簿は「全国174人の星々がミャンマーに囚われている」と題され、国内に大きな衝撃を与えました。
このとき、ネットユーザーは一斉に呉京の妻・謝楠(シエ・ナン)のSNSに押しかけ、「呉京を妙瓦底に行かせて救出させろ」「『戦狼3:ミャワディ脱出』を撮影しろ」「中国パスポートは万能ではなかったのか」とコメントを残しました。かつて観客を涙させたパスポート神話は、現実の事件によって皮肉な笑いの対象に変わったのです。現実には、多くの中国人が海外で危険に遭遇してもすぐには救出されず、パンデミック時には帰国も叶わず「呉京、私を連れて帰ってくれ」とSNSで訴える者もいました。その苦笑まじりの調子は、妙瓦底事件を境に本格的な嘲笑へと変質しました。
こうして呉京は「人」ではなく「記号」となりました。映画の中では英雄として機能し、現実ではネット上で嘲笑の対象になる抽象的な存在です。評論家の胡錫進(こ・しゃくしん)は「彼は俳優に過ぎず、原則的な過ちは犯していない」と擁護しましたが、ネット世論は「狂熱を煽ったのはあなたたちだ、今さら冷静を呼びかけても遅い」と反論しました。
2017年の熱狂は「経済成長とナショナリズムの高揚」によって支えられましたが、2025年の冷笑は「経済停滞と生活不安、海外での中国人被害」などが重なった結果です。情勢が変わると、同じ愛国的な言葉も虚しく響きます。呉京の没落は、単なる映画の失敗ではなく、愛国叙事そのものの破綻を象徴していました。
呉京はいまも映画制作を続けています。今後、評価を回復する可能性はあるかもしれません。しかし、2017年のような全民的な熱狂が戻ることはないでしょう。あの熱狂は、彼個人の栄光ではなく、特定の時代に生まれた“幻影”だったからです。幻影が消えれば、神格化された舞台は崩れ、残るのは一人の俳優の素顔だけです。人々はかつての英雄を笑いながら、同時に自らの目も覚ましていったのです。
(翻訳・吉原木子)
