台湾旅行に行く時、あの赤色の100元札を見かけることがあると思います。その100元札の裏面にある立派な中国式建築をご存知でしょうか?今回はその建築物「中山楼」とその生みの親・修澤蘭(しゅう・たくらん)女史についてご紹介します。
「台湾一の女性建築家」
修澤蘭(1925年8月15日—2016年2月27日)は大陸・湖南省沅陵県の出身ですが、重慶の国立中央大学の建築工程学科を卒業後、台湾鉄路管理局(以下、台鉄)の人材募集に応じ、1949年に台湾に身を移り、戦後の台湾の復興に生涯を捧げました。
あらゆる分野の復興で専業建築士が必要とされる中で、24歳の修澤蘭は時下に稀有な女性建築士でした。台鉄の一人目の女性建築士として、修澤蘭は在職期間中、旧板橋駅(縦貫線)駅舎(現在は廃駅)、東勢駅(東勢線、現在は廃線)駅舎(現在は廃駅)、北投従業員訓練所など、多くの鉄道関連施設の建築に関わりました。
土木工学を専門とする同僚である傅積寛(ふ・せきかん)氏と結婚した後、修澤蘭は台鉄の職を辞め、1956年に「澤群建築士事務所」を立ち上げ、教育文化の建築に没頭しました。花蓮師範学院の図書館、景美女子中学校の行政ビルと図書館、台中衛道中学校の礼拝堂、日月潭教師会館など、修澤蘭の建築作品は台湾中にあり、台湾の建築発展の歴史とともにありました。
政府の「コミュニティ発展」を主題とした国民のコミュニティを中心としたライフクオリティの底上げ政策に応じ、1968年、修澤蘭は夫の傅積寛とともに、新北市新店区で台湾初の斜面地型コミュニティ住宅「花園新城」の設計を担当しました。「豊かな自然環境に恵まれた田園都市」をメインテーマとしたこの「花園新城」は、生活機能が充実しており、多くの公共施設を網羅しているだけでなく、自給自足のできる給水システムやゴミ収集とゴミ焼却システムは、大きな話題を呼びました。
釘一つも使わない「中山楼」
1965年、国父・孫文の生誕100周年記念事業の一環として、当時の総統・蒋介石は、中華民国政府が公式集会や祝典、国賓接遇などの場面で適切な会場を確保し、国際社会に中華文化の精髄を体感させることを目的として、台北市郊外の陽明山に「中山楼」の建設を決めました。その設計は修澤蘭が担当しました。
修澤蘭は「中山楼」に心血を注ぎ、24時間3交代制で昼夜を問わず作業を進め、陽明山の硫黄地熱と複雑な岩盤構造などの問題を悉く克服し、設計図を見直しながら施工を進めました。その結果、わずか13か月の工期で、世界で唯一硫黄坑口の上に建てられた、敷地面積約18,000平方メートルの大規模建築物が完成しました。さらに驚かれるのは、これほど大規模な建築物には、釘を一つも使っていないことです。

1966年11月12日、国父・孫文の生誕記念日当日、蒋介石が「中山楼」の竣工式の司会を務め、「中山楼」の完成を告げました。翌13日からの4日間の一般参観開放期間では、推定10万人の来場が見込まれました。
壮大な中山楼は山の傾斜に沿って建てられています。白塗りの壁に黒い瓦、赤色の屋根、入母屋造などは、中国伝統的な宮殿式建築の美学意識を如実に体現しています。国父・孫文の生誕100周年を寿ぐため、「福」の字の灯座、「寿」の字の階段、百歳を寿ぐ橋「百寿橋」、様々な形の宮灯(ランタン)など、吉祥を表す要素が随所にちりばめられています。政治の中心地としての役割だけでなく、諸外国の中華民国駐在大使や外交官、国内外の賓客を接待する施設としても用いられたほか、新台湾ドルや郵便切手の図柄としても登場したため、台湾を象徴する重要施設としての地位を確立しました。その設計を担当した修澤蘭も、台湾建築史に揺るぎない一ページを残しました。
現在、中山楼は自由見学を開放しておらず、火曜日から日曜日までの午前十時と午後二時の2回の固定時間帯限定の見学となっています。それぞれの開場時間帯の前後10分間以内に、現金で入場券を購入してからの入場となります。10名以上の団体見学は2か月前からオンライン予約が可能となり、20名以上の団体は日本語音声ガイド付きの見学が可能です。
住所:台北市北投区陽明路二段15號
「伝統から吹く新しい風を辿り、自然を大切にする」
戦後の台湾建築業界では、理性的な正方形のレイアウトを持つ男性モダニズム建築家が主流である中、女性建築家である修澤蘭は「伝統から吹く新しい風を辿り、自然を大切にする」をモットーとして、技術と芸術を融合したレトロリズム建築作品をたくさん世に送り出しました。
修澤蘭の息子・傅德修さんによると、母の修澤蘭が三つの特徴があるといいます。それは、美学意識と実用性を持ち合わせ、自然と環境の調和を重視した「確固たる意志」、「中山楼」の設計に心血を注ぐ「奮闘の精神」、そしてさまざまな困難を目前にしても屈しない「勇気」の三つの特徴です。「浮き沈みを経験した母でしたが、その建築作品は長い歳月を経てもなお、今を生きる建築士たちの目に留まり、彼らにインスピレーションを与え続けています。だから母は悔いのない人生を歩んできたと思います」と、傅德修さんは語りました。
特別展示会「もうひとつの現場:修澤蘭」
台北府城北門(承恩門)の近くに位置する「国立台湾博物館鉄道部パーク」の二階では、特別展示会「もうひとつの現場:修澤蘭」を開催しています。「初登場と処女作」「一風変わったキャンパス建築」「大屯火山群の中の伝説の建築物」「新店にある理想的な田園都市」「出会い、愛し合う」「わたしと修澤蘭~みんなの思い出が集まる現場」の6つのユニットに分けて、写真、設計図、模型などの資料を展示し、修澤蘭女史の作品を紹介するだけでなく、台湾の建築発展史も垣間見えます。
修澤蘭の建築士事務所は火災に見舞われたことがあるため、大量の建築設計図面が損壊し、修復不可能になってしまいました。この特別展示会のため、各機関や学校などの建築主から当時の契約書などの資料を提供していただきました。特に、景美女子中学校の行政ビルと図書館の設計図面は貴重な初期原本であり、その中からは、修澤蘭の建築に対する細部まで妥協を許さない厳格な姿勢と究極の追求を伺えます。
「歴史に残る修澤蘭女史の輝きは、彼女のたゆまぬ努力の積み重ねから生まれます」と、国立台湾博物館の陳登欽館長は語りました。
国立台湾博物館鉄道部パーク住所:台北市大同区延平北路一段2号
特別展示会日程:2024年12月3日~2025年11月2日
開館時間:火曜日~日曜日 午前9:30~午後5:00(月曜日・旧暦年末年始は休館)
(文・静容/翻訳編集・常夏)

