中国共産党がパレードを準備している中、重慶大学城駅で巨大な「反共」スローガンが高層ビルに投影されました。それは、「赤いファシズムを打倒せよ、共産党の暴政を覆せ」といった文字で、高層ビルの外壁に映し出されました。この事は、現場の人々を驚かせただけでなく、瞬く間にネット上に広がり、大きな反響を呼びました。今回の行動を主導した戚洪氏は海外メディアの番組で行動の経緯と自身の体験を明かしました。
8月29日夜10時ごろ、重慶大学城の中心商業区「熙街」にあるビルの外壁に、巨大なスローガンが相次いで投影されました。内容は「赤いファシズムを打倒せよ、共産党の暴政を覆せ!」「共産党がなければ新しい中国がある。自由は奪い返すものだ!」「奴隷になることを望まない。人々よ立ち上がれ、抵抗して権利を取り戻せ!」「嘘はいらない真実を、隷属はいらない自由を。暴政の共産党は退陣せよ!」といったものでした。投影は50分以上続きました。多くの通行人が足を止めて撮影し、その映像や写真は瞬く間ににネット上に拡散されました。警察は約1時間後にようやく光源を特定し、現場の部屋から「共催党の助長者にならないでほしい」と呼びかける手書きの公開書簡を発見しました。
戚洪氏は1982年生まれ、重慶の農村出身です。16歳で家庭の事情により中途退学し、その後は浙江省杭州や福建省、広東省東莞などで出稼ぎを経て、2000年に北京へ移りました。彼は番組で、当時天安門広場を観光した際に法輪功学習者と間違われて拘束され、収容所に20日以上入れられた経験を語りました。その間、殴打や屈辱を受け、さらには精神を病んで釈放される人々を目撃し、深い心の傷を負ったといいます。
彼は「北京四通橋勇士」として知られる彭立発氏や「白紙運動」の若者たちから大きな影響を受けたと明言しました。若者たちの勇気ある声に触発され、自分も独自の方法で心の声を表したいと思ったと語ります。当初はドローンでビラを撒くことも考えましたが、最終的には2023年に柴松氏が山東省済南市の万達広場ビルで「打倒共産党・打倒習近平」と投影した手法に倣い、投影による抗議を選びました。
行動の場所として重慶大学城の熙街を選んだ理由について、彼は「周囲には大学が多く、人通りも多いため拡散力が大きい」と説明しました。そして「大学生はすぐに行動できなくても、それは種のようなもので、いつか必ず覚醒する」と強調しました。
準備のために、戚洪氏は、彫刻機を購入して文字を刻み、ホテルの部屋で文字サイズや投影角度、焦点を繰り返し調整しました。結果は理想通りではなく「文字をもっと大きくすべきだった」と振り返りつつも、目的は達成されたと語ります。部屋には公開書簡を残し、「共産党がこの土地で犯した罪は枚挙にいとまがない。どうか加担しないでほしい」と訴えました。さらに「今は受益者であっても、いつか必ず被害者になる。可能な限り人に優しくし、無関係な人々を苦しめないでほしい。やむを得ない場合は銃口を少し上に向けて狙いを外してほしい。」とも記しました。彼は「これは即興だったが、一粒の種のように、警察官の良心を目覚めさせるきっかけになれば」と話しました。
「赤いファシズムを打倒せよ」というスローガンについて、彼は「中共の専制的な暴力支配そのものがファシズムだ」と強調しました。今回の行動について、戚洪氏は「家族に事前に相談していません。8月20日にホテルを出て、21日に妻と二人の娘を連れて英国に渡り、遠隔操作で投影を行いました。行動当日は緊張し、巨大な弾圧機構に対抗することを恐れましたが、これほど大きな反響を呼ぶとは予想していなかった。」といいます。
事件後、警察は重慶の実家を訪れて母親に事情を聞き、家財を調べ、兄や親族も取り調べを受けました。彼は家族に申し訳なく思う一方で「誰かが火種を伝えなければならない」と語ります。さらに、共産党が長年教科書を通じて「反米・反日」の洗脳教育を行い、盲目的な愛国主義を煽って人々の人間性を蝕み、希望を奪ってきたとも厳しく批判しました。
戚洪氏は「自分は英雄ではなく普通の人だ」としながらも、今回の投影が若者の心に痕跡を残し、自由と真実を求める勇気を呼び覚ますことを願っていると語りました。また、「この世代が何も変えられなくても、火種は必ず受け継がれていく」と強調しました。
(翻訳・吉原木子)
