中国・遼寧省朝陽市で撮影された映像が、SNSを中心に国内外で波紋を呼んでいます。映像には、赤いユニフォームに身を包んだ100人以上の高齢者が、旗を掲げながら道路を占拠し、サイレンを鳴らしながら接近してくる救急車や消防車に対して、一切道を譲らない様子が記録されていました。救助車両は何度もクラクションを鳴らし、周囲に緊急性を訴えていたものの、高齢者グループは列を崩すことなく歩き続け、ついには車両の側が道を外れて通行せざるを得ない事態に至りました。
この出来事が発生したのは、朝陽市の大凌河という景勝地沿いの道路で、問題の集団は「朝陽在路上倶楽部」と呼ばれる地元の高齢者ウォーキング団体であることが明らかになりました。関係者によれば、この団体は毎晩午後7時から8時の間に同じルートを歩くことが恒例となっており、これまでも観光客や住民から「通行を妨げている」との苦情が寄せられていました。しかし、特に罰則が設けられているわけでもなく、地元行政も有効な対応を取ってこなかったのが実情です。
問題の映像が拡散した直後、グループの代表者はメディアに対し、「100人以上の隊員の安全を考えて、まず人を優先させるべきだと判断した」と釈明しました。しかしこの発言は世論の怒りに火を注ぎ、「人命救助より自分たちの健康が優先なのか」「他人の命を犠牲にしてまで整列を崩さない意味がわからない」といった非難が殺到しました。
このような高齢者による公共空間の占拠は、近年中国各地でたびたび問題視されています。特に有名なのが「広場ダンス」と呼ばれる現象で、大型スピーカーで音楽を流しながら、集団で踊る高齢者のグループが住宅地や公園を独占し、騒音や通行妨害を引き起こすケースが頻発しています。
今回のような事件も決して例外ではなく、過去には各地で類似のトラブルが報告されています。例えば、2017年には山東省臨沂市で、早朝に車道を歩いていた高齢者グループにタクシーが衝突し、1人が死亡、2人が重傷を負う事故が発生しました。青島市では、ウォーキング団体が長期間にわたりバス専用レーンを歩き続け、バスの運行に大きな支障をきたしたほか、警笛にも無反応だったと報告されています。さらに河南省では、救急車が高齢者の行進によって20分以上足止めされ、搬送中の患者が適切な治療タイミングを逃したとされています。
もっと深刻な事例としては、広東省珠海市で2018年に発生した交通事故があります。歩道を占拠していた高齢者の団体に車両が突っ込み、38人が死亡、47人が負傷するという大惨事となりました。
こうした事例に対し、ネット上では「年を取ったからといって免罪符になるわけではない」「ルールを無視し、他人に迷惑をかける行動が“健康のため”と称されて正当化されている」といった批判が相次ぎました。また、「老人が悪くなったのではなく、もともと自己中心的だった人が年を取っただけだ」と皮肉交じりの意見も多く見られました。
一方で、これらのグループの多くは、文化大革命期に青春期を過ごした世代であり、当時の社会運動や団体行動の文化的影響が色濃く残っているとする見方もあります。「隊列を乱さず、統一行動を取ることが美徳とされてきた」「スローガンや整列行進への親和性が高い」といった特徴は、まさにこの世代特有の社会背景を反映していると言えるでしょう。
また、中国では地域住民による自発的な社団や趣味サークル、自治会などの制度が未整備であることから、高齢者が日常的に参加できる公的な集まりの場が少なく、ウォーキング団体や広場ダンスといった活動が“唯一の社会参加の手段”になっている現状もあります。そのため、一部の人々にとっては、こうした集団行動が生活の中心となっており、それが行き過ぎることで公共の秩序を乱す事態に繋がっているのです。
さらに深刻なのは、「ルールを守らないことが常態化している」という指摘です。信号無視、ごみのポイ捨て、公共スペースでの大声、交通違反など、日常生活のあらゆる場面で法令やマナーが軽視される風潮があり、それが無自覚のうちに他者の権利を侵害する行動に繋がっているという構造的な問題が存在します。
こうした状況に対しては、単に個人のマナーの問題として済ませるのではなく、制度的・社会的な対策が求められています。公共空間の利用ルールを明確化し、適切に監視・指導できる体制の整備が必要であると同時に、高齢者が安全かつ尊厳を保って参加できる運動施設やコミュニティセンターの拡充も不可欠です。
「なぜ彼らは道を譲らなかったのか」という問いの背後には、「なぜこの社会が彼らに道の譲り方を教える機会を持てなかったのか」という、より根本的な問題が潜んでいます。一見些細に見えるこの事件は、公共意識、世代間の断絶、社会構造の歪みといった多くの課題を映し出す“社会の鏡”であるのかもしれません。
(翻訳・吉原木子)
