最近、中国では火球や未確認飛行物体の出現が相次ぎ、ネット上で大きな注目を集めています。北京、茂名、合肥、江西など各地で相次いで観測されたこれらの天文現象は、科学的には宇宙由来の自然現象として説明される一方で、中国の伝統文化や歴史的背景と結びつけ、「天の警告」や「不吉な前兆」と受け取る声も少なくありません。

 2025年5月31日未明、北京市通州区、順義区、懐柔区などの複数の地域で、多くの住民が爆発のような轟音で目を覚ましました。一部の人は、深夜の暗闇が一瞬にして昼間のように明るくなったと証言しています。中国科学院大学天文・宇宙科学学院の博士後期研究員である李鎮業(り・ちんぎょう)氏は、この現象の正確な発生時刻を午前2時51分と記録しました。「我々の観測ステーションがその映像を記録しました。SNS上で共有された複数の動画と照合した結果、典型的な緑色の花火状の火球であることが確認されました。速度が非常に速く、爆発も非常に激しかったです」と語っています。

 李氏によると、この北京上空の火球は、2025年5月28日夜に広東省茂名市で観測された火球と特徴が非常によく似ており、いずれも強烈な光と爆音を伴っていたとのことです。

 茂名市では、5月28日午後9時33分ごろ、市内および周辺地域の空が突如として黄色い光で照らされ、その直後に雷のような轟音が響き渡りました。多くの市民がこの現象を目撃し、「まるで昼間のようだった」と驚きを隠しませんでした。茂名市業余天文愛好者協会の観測装置はこの現象を正確に捉えており、映像には北東から南西へ移動する発光体が記録されています。

 中国科学院国家天文台の専門家によれば、これは直径約1メートルの小惑星の破片が、時速およそ18.5万キロメートルという非常に高速で大気圏に突入し、高度約37キロメートル付近で爆発したと推定されています。爆発のエネルギーはTNT火薬に換算して500〜2000トンに相当し、幸いにも地上に被害はありませんでした。

 こうした火球の出現は、さらに続きます。5月30日午後8時45分ごろには、安徽省、山東省、江蘇省、江西省などの広範囲な地域で、「空を横切る炎の帯」のような現象が観測されました。複数の映像では、夜空に長時間にわたって光るオレンジ色の軌跡が映し出されており、SNSでは「終末映画のワンシーンのようだ」といったコメントが相次ぎました。

 この現象について、天文専門家は「自然現象ではなく、人工衛星の破片や宇宙ごみなどの人造物が大気圏に再突入した際に発生した現象である可能性が高い」との見解を示しました。人工物の再突入は、摩擦熱によって明るく発光しながら燃え尽きるため、通常の火球よりも長時間かつ緩やかな動きを見せるのが特徴です。

 こうした天文現象が連続して発生したことにより、ネット上ではさまざまな憶測や感情が錯綜しました。あるユーザーは「これは天が人民の苦しみを見て、不正に対して怒っている証だ」と投稿し、また別のユーザーは「変化を起こすには、人民が自ら声を上げなければならない。天の啓示だけでは足りない」と述べています。

 さらに、「隕石が落ちると誰かが死ぬのでは?」「これはまた新たな疫病の前兆か?」「もし大きな隕石なら、大物政治家の死を意味するかもしれない」といった不安の声も見られ、「神はこの世を浄化するために硫黄の火で悪を焼き尽くすだろう」といった、終末論的な意見も登場しました。

 このような天文現象が強い反響を呼ぶ背景には、中国における長い歴史と「天人感応」の思想があります。古代中国では、天の異変は地上の出来事、特に王朝の命運や政権の正当性と密接に結びついているとされていました。単なる自然現象ではなく、天が人間社会にメッセージを送る手段と考えられていたのです。

 たとえば『史記』によれば、秦の始皇帝三十六年(紀元前211年)、空から巨大な隕石が落下し、そこには「始皇死而地分(始皇死して地分かつ)」と刻まれていたと記録されています。その直後、秦王朝は急速に衰退し、各地で反乱が勃発、やがて滅亡へと至りました。このような「天の知らせ」とされる出来事は、古代の歴史書に数多く見られます。

 『漢書』や『晋書』などの記録にも、星が雨のように降った後に皇帝が崩御した、大戦争が起きた、民衆が反乱を起こしたといった記述があり、古来より人々は天象の異変を重大な出来事の前触れと見なしてきました。

 近現代においても、そのような信仰は完全に消えたわけではありません。特に語り草となっているのが、1976年に中国吉林省に落下した世界最大級の隕石事件です。1976年3月8日、巨大な隕石が吉林に落ちた数か月後、中国共産党の主要指導者である周恩来、朱徳、毛沢東の3名が相次いで死去しました。同年7月には、死者24万人以上とされる唐山大地震も発生し、中国全土に大きな衝撃を与えました。これらの出来事が「偶然とは思えない」と受け止める人も多く、今なお語り継がれています。

 一方で、現代の天文学は火球や隕石の発生メカニズムを科学的に解明しています。大気圏突入の角度、速度、質量によってエネルギーの強さや爆発の有無が決まり、人工衛星やスペースデブリの再突入も高精度で予測可能です。今回の茂名での火球についても、専門家はその軌道や速度から「地上への衝突の可能性は極めて低い」と分析しています。

 とはいえ、空を切り裂く閃光と爆音を体験したとき、多くの人が「これは何かの暗示ではないか」と直感的に感じるのは自然な反応とも言えるでしょう。科学的な説明が可能であっても、そこに意味や象徴性を見出そうとする心の動きは、今も変わらず人間に備わっているのです。

 あるネットユーザーは、「人民が声を上げなければ、隕石がいくつ落ちても無意味だ。しかし、もし天と人が共鳴すれば、その閃光は変革の導火線となるだろう」と語っています。

 科学と神話、理性と感性。現代中国の空に出現した一連の火球現象は、まさにその交差点に立っています。天文学はその本質を解明する道具となりますが、それを人々がどう受け止め、どう意味づけていくかは、社会の鏡でもあり、時代の感情でもあるのです。

(翻訳・吉原木子)