ここ数年、中国各地では「賃金の未払い」や「集団的な抗議活動」など、かつては断片的だった不満の出来事が相次いで報じられています。今年の春以降、こうした事例は一つの大きなうねりとなり、経済成長の減速と地方財政の逼迫が重なった結果、公務員や公益系職員にまで賃金削減や支払い遅延が広がりつつあります。インターネット上や街頭で発せられる声をたどると、人びとの怒りは単なる愚痴にとどまらず、具体的な行動へと転化する可能性を模索し始めている様子がうかがえます。

 とりわけ注目を集めたのが、湖南省長沙市で発生した年金デモです。2025年5月25日、市政府前の広場は企業や公益機関を退職した人たちで埋め尽くされました。抗議者たちは「公務員と同じ水準の年金を支給してほしい」と訴え、市当局が拡声器で行った説得の声をかき消しました。彼らの月額年金は平均2400元(約5万円)程度で、薬代や住宅ローンを賄うには不十分です。対照的に、公務員は同月に500元(約1万円)の一律増額を受け取ったばかりでした。長年指摘されてきた「二本立て年金」問題が顕在化し、退職者がこれほど組織的に立ち上がったのは極めて異例と言えるでしょう。

 長沙の出来事は孤立した事例ではありません。遼寧省、吉林省、江蘇省などでも鉄道職員や臨時教員、環境衛生労働者が横断幕を掲げ、未払い賃金の支払いを求めて座り込みを行いました。民間NGO「工労網」の統計によりますと、昨年末から今年5月中旬までに公表された賃金未払い事件は1700件を超え、そのうち3割以上が国有企業や行政機関など体制内部で発生しています。これは地方財政が「安定雇用補助」や臨時ボーナスでは隠し切れないほど逼迫している現状を示しています。

 財源不足に直面した地方政府は、公務員給与を7割のみ支給する、あるいは契約職員・臨時教員の給与を数か月遅配するなど、場当たり的な対応を余儀なくされています。山東省棗荘市では200人を超える非正規教員が市政府前に座り込み、「教育を支える私たちを見捨てないでください」と訴えました。甘粛省の公立病院では看護師が銀行残高「0.12元」の給与明細をSNSに投稿し、瞬く間に共感と怒りが広がりました。こうした「可視化」は、点在していた不満を一つの大きな物語へと結びつける役割を果たしています。

 怒りが最も過激な形で噴出したのが、いわゆる「800元放火事件」です。四川省宜賓市の繊維工場に勤務していた文さんは、わずか800元(約1万6000円)の賃金を支払ってもらえなかったことを理由に、深夜、工場へ放火しました。火は30時間以上燃え続け、損害額は1000万元(約2億円)を超えたと報じられています。インターネット上では「彼が狂ったのではなく、制度が彼を狂わせた」という同情の声が広がり、法的救済のコストが犯罪行為よりも高いというゆがんだ現実が、改めて浮き彫りになりました。

 年金格差も社会的緊張を高める大きな要因です。2014年に公表された「二本立て年金」廃止方針は、書面上では制度の一本化が図られましたが、実際には公務員とその他の職種の間で支給額に大きな差が残っています。人口の高齢化と医療費の高騰により、地方年金基金の不足は深刻化しており、多くの省市が「まずは公務員を守る」という方針を取った結果、職種間および世代間の対立が激しくなっています。長沙の抗議は、これまで沈黙していた退職者層が初めて大規模に声を上げた象徴的な出来事と言えるでしょう。

 社会感情のもう一つの出口となっているのがネット空間です。春先から中国版TikTok(抖音)やBilibiliでは、唐代末期の農民反乱指導者・黄巣の詩「待到秋来九月八、我花开后百花杀」が爆発的に拡散しました。この一節は「自分たちの花(=蜂起)が咲けば、他の花(既存の秩序)を枯らす」という挑発的な比喩で、労働争議や賃金未払い動画のコメント欄に頻繁に貼り付けられています。さらに、「武漢集合ですか」「広州で落ち合いましょうか」といった地名と「集合」を組み合わせた隠喩も広まりました。さらには、歴史上の「南昌起義」(1927年、中国共産党が初めて武装蜂起を行った事件)をもじった「南昌が先手で動きましょう」という表現まで登場しています。一見すると冗談めいた投稿ではありますが、裏を返せば、ある種の組織化の兆しと受け取ることも可能です。

 こうした隠語は、検閲を避けるための「暗号」として機能しています。たとえば、若い配信者が「現在の指導者は5年以内に退場するでしょう。次のトップは以前の指導者の“義理の息子”に相当する人物かもしれません」と発言したライブ配信は、わずか数分で強制終了されました。ここで言う「義理の息子」とは、中国政治においてよく取り沙汰される「紅二代」(革命元老の子弟)を婉曲に示す表現です。配信が遮断されるたびに「語ることすら許されない領域」が可視化され、人びとの好奇心と憤りがかえって強化されるという逆説が浮かび上がっています。

 評論家の唐靖遠氏は、現在の中国社会を「安全弁の塞がれた圧力鍋」に例えています。経済や社会構造のゆがみから生じる熱量は高まり続けている一方で、政府側は「清朗行動2.0」などのネット浄化キャンペーンや公安当局の迅速な介入によって、発言の場を封じ込めようとしています。だがそれがむしろ、「語らせない空気」を生み出し、怒りをさらに増幅させているのです。

 現時点で中国当局が取り得る選択肢は三つあると専門家は指摘しています。第一に、地方財政の補填と社会保障基金の再編を急ぎ、最低限の生活水準を守るための「減圧弁」を設置すること。第二に、公共情報の透明化と労使仲裁手続きの簡素化を進め、司法的救済のコストを下げること。そして第三に、高圧的な統制をさらに強化して短期的に「沈黙」を維持する策もありますが、この方法は逆効果を招くリスクが高いと見られています。

 もし減圧が行われないまま景気後退が深刻化すれば、怒りは再び街頭とネットの双方で連鎖し、点在していた抗議が線、さらには面へと広がる可能性があります。一方で、誠実な制度改革によって生活不安の根を断つことができれば、圧力鍋はゆるやかに蒸気を逃がし、社会は再び安定を取り戻すかもしれません。いずれにせよ、試されているのは統治側の危機管理能力と、民生を守るという政治的意思なのです。

 いま、中国社会は歴史的な分岐点に立っています。パンデミック後の経済失速に加え、若年層の失業や不動産不況といった複合的なショックが重なり、従来の成長モデルは限界を迎えつつあります。高圧的な姿勢を維持し続けるのか、それとも「民心を吸収するバルブ」を開くのか――その選択は数億人の生活だけでなく、政権の存続までも左右すると言っても過言ではありません。今後の政策対応と社会の動向が注目されます。

(翻訳・吉原木子)