(イメージ:看中国/Vision Times Japan)

 日本人ほど謝る民族はないと言われています。確かに、日本人は「ごめんなさい」、「すみません」をよく口にします。謝ることは日本人の日常になっているように思います。

 長く日本に生活しているうちに私も、日本の謝る文化にかなり馴染んできて、「すみません」、「ごめんなさい」は「ありがとう」と一緒に、一番使う言葉になっている気がします。しかし、謝らない環境で育てられた私は、時には、やはり素直に謝ることが出来ず、特に家族に対してはなおさらで、自分が悪いと分かっていながらも、なんとか言い訳をしようとしていました。その悪い癖が今でも根絶できていません。プライドが邪魔をするからです。

 若い頃は、生意気で人を傷つける事をいっぱいしてきました。その後反省をして、申し訳ない気持ちを日本語で手紙に書いて謝ろうとしました。ところが、手紙を書いている時、今まで何気なく使っていた「謝る」という言葉の「謝」という字はなぜ「感謝」の謝なのかと、とても疑問に思ったのです。

 ご存知のように、中国語の「ありがとう」を漢字で書くと「謝謝」となりますが、あやまるって、まさか感謝なのでしょうか、と首を傾げました。

 調べてみると、日本のデジタル大辞泉には、「謝(シャ)」とは、1あやまる。2感謝と確かに書かれていました。しかし、どうして「謝る」ことは「感謝」と関係があるのでしょうか? やはりまだ納得できません。

(イメージ:看中国/Vision Times Japan)

 中国の辞書も調べてみました。明の時代の『正字通』という書物の中に、「自以為過曰謝」という言葉があることが分かりました。それを今の言葉にすれば、「自分が誤りを認識することは謝という」と言う意味になります。つまり、「自分の誤りを認識させてもらったら、感謝をしなければならない」と言う意味ではないか、と私は理解しました。

 一瞬言葉を失いました。

 確かに、自分と相手とのやりとりの中で、自分の過ちを認識することができ、そしてそれを反省してその過ちを改める事ができれば、その人にとっては成長できるチャンスとなります。それによって人格を高め、より完璧な人間になれたら、その過ちを認識させてもらった人に感謝をしなければならないのではないでしょうか。

 昔の人々の心の境地の高さにただただ脱帽しました!

 言うのは簡単ですが、自分の非を認め、人に謝り、人に許してもらうことは大変辛いことです。自分と闘わなければならないからです。

 素直に謝り、さらに「感謝」の気持ちを持って謝ることは素晴らしい情操ではないでしょうか。それこそ先人が私達に伝えようとしたメッセージに違いありません。

(文・一心)