鎌倉時代・高階隆兼「玄奘三蔵絵」一部(パブリック・ドメイン)

一、超大作の「玄奘三蔵絵」

 日本の国宝・「玄奘三蔵絵」は、伝記『大慈恩寺三蔵法師伝』※1を元に、鎌倉後期に制作された絵巻物で、全12巻、76段からなる全長190メートルを超える大作です。

 作品は出家求法の旅、仏典の漢訳、示寂(じじゃく)に至るまで、玄奘の全生涯を描いており、とりわけ天竺(インド)や西域の人々、自然、風物などを細部まで表現し、『大慈恩寺三蔵法師伝』の内容をそのままイラスト化したものです。

 絵画は伝統的な大和絵を基調としながらも、宋画の技法を加味し、良質な顔料を使い、鮮やかに彩られる山水や、人物が生き生きと描かれています。

 この作品は鎌倉時代後期頃に活躍した宮廷絵師・高階隆兼(生没年未詳)一門によって描かれたものだと考えられています。

二、想像力で未知の世界を描く

 ここで注目したいのは、絵巻に描かれた登場人物や風俗、山川草木の全てが絵師達にとって、まったく未知の世界であるということです。中世の日本は、インドと直接交流がなく、人々は仏典に書かれた内容を想像するしかなく、中国に関しても、情報は交易や僧侶の往来等を通して日本に入って来るとは言え、一般の人々にとってはやはり日常生活とかけ離れた、遥かなる世界でした。

 海外の情報が極めて乏しい鎌倉時代に、唐の玄奘三蔵が天竺に仏法を求め、苦難の末に膨大な経典を持ち帰った旅をイラスト化したこの作品は、絵師達の想像だけに頼って完成した事を考えれば、その豊かな想像力と優れた才能に敬意を払わずにはいられません。とは言え、全く未知の世界を少ない仏典や伝記の記述だけで、ここまで正確に、生き生きとした表現がなぜできるのか、不思議でなりません。

三、神業を持つ絵師・高階隆兼

 高階隆兼は、鎌倉後期を代表する大和絵画家であり、彼の緻密な描写は鎌倉時代大和絵の技巧の極致を示し、神業を持つ絵師だと伝説化された人物です。現存する作品として、「春日権現験記絵巻」、「玄奘三蔵絵」、「春日明神影向図」などが挙げられます。

 室町後期を代表する文化人・三条西実隆の日記・『実隆公記』※2の文亀元年 (1501年)9月18日には、高階隆兼が「春日権現験記絵巻」の制作に際して、「神霊之告」を感じたという逸話を、絵師・土佐光信※3は三条西実隆に語っており、そして実隆は「有興」と感想を記しています。

 「畫所預土左形部小輔光信来、北野社本地絵先年紛失、今度可新図、件墨書大底出現、(中略)其次春日縁起絵下書高兼感神霊之告之事等相語、有興、(後略)」

 これは高階隆兼の高度な画技が、神から霊感を受けていたことを裏付ける内容です。高階隆兼はやはり普通の絵師ではなく、神業の持ち主だったのです。

 あくまでも推測ですが、「春日権現験記絵巻」の制作に際して、彼が「神霊之告」を感じたとするならば、「玄奘三蔵絵」を制作した際にも、同じく神仏から霊感、ご加持を頂いたのではないかと思います。「玄奘三蔵絵」という超大作はやはり人間の力の枠組みを超え、神業によるものであると説明した方が自然ではないでしょうか。

 実は、伝統的な芸術作品の中に、我々が驚嘆するほど素晴らしく、人間の力だけではとても出来そうもないような、歴史に残る傑作が多くあります。世間で文明を築き、人々に道義を教えるという使命を果たす為、これらの作品は神から知恵と技能を頂きながら、完成したと言われています。日本の国宝、「玄奘三蔵絵」もそのような作品の一つではないでしょうか。

※1 大慈恩寺三蔵法師は、唐の高僧玄奘三蔵(602~664)のこと。全10巻のうち、前半5巻は玄奘の求法巡礼行記で、後半5巻は玄奘が帰国後請来した経典の漢訳に半生をかけた行状記となっている。

※2 室町時代後期の公家、三条西実隆の記した日記。期間は、1474年から1536年までの60年以上に及ぶ。記述は京都の朝廷、公家、戦国大名の動向、和歌、古典の書写など多岐に及ぶ。

※3 室町時代中期から戦国時代にかけての大和絵の絵師

参考文献:「室町時代における高階隆兼の伝説形成」- 高岸輝、神戸大学

(文・一心)