香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏(27歳)が2023年12月3日、自身のインスタグラムで2600字に及ぶ文章を公開し、近年の経験について初めて明かしました。この文章では、周氏が釈放された後に香港国家安全局の監視を受け、最終的にはカナダに留学するまでの経緯が語られています。

恐怖の中でうつ病にかかる
 周氏は2020年11月に無許可デモなどの罪で10カ月の実刑判決を受けました。文章の中で、2021年6月に出所後も保釈身分のままに置かれ、依然として監視を受け、定期的に出頭して報告しなければならず、パスポートも没収されて出国できないことを述べました。

 香港国家安全局局法に基づき、3ヶ月ごとに国家安全局は彼女に「旅券差し押さえ通知書」にサインするよう要求し、その通知によりパスポートがさらに三ヶ月間差し押さえられることを告げられます。しかし、「3ヶ月また3ヶ月、3ヶ月また3ヶ月」と続いていきました。

 周氏は「毎回の出頭のたびに、いつ再び拘束されるかと不安でいっぱいだった。家に戻っても、国家安全局がいつ再び前回と同じように、家のドアを叩き、鍵をこじ開けて乱入し、何らかの罪状で再び連行されるのではないかと常に考えていた。毎日、これらの想像が頭に湧き上がり、私は泣き崩れたり、震えたり、恐怖を友人に話したりする以外に何もできなかった」と語りました。

 また、出所後も心の中の恐怖と不安はまったく消えず、医師からは、不安障害、パニック障害、心的外傷後ストレス障害、そしてうつ病と診断されていました。

 さらに、出所後には、公の活動には一切参加せず、政治にも関与せず、以前の友人とも連絡を取ることはありませんでした。彼女は自分自身を「ただ静寂の中で待つしかない」と表現しました。

中国本土への「同行」を強要された
 出国ができないだけでなく、国家安全局は彼女が出頭する際に、収入、仕事、家庭、人間関係などの状況を取り調べました。「あなたは自由を取り戻したわけではなく、依然として監視下にあるので、何かをしようとするなと、定期的に念を押されているようだった」と周氏が述べました。

 その後、周氏は修士課程に進むことを決定し、カナダのある大学に受け入れられました。彼女はパスポートを取り戻すために国家安全局に申請すると、大学、専攻学科、時間割、寮などの情報を提出するよう求められました。2023年7月初め、国家安全局は周氏に対し、カナダの大学で勉強したいのなら、条件として「一度中国本土に同行しなければならない」ことを告げました。

 また、「懺悔の手紙」を書くように強要され、過去の政治的関与を後悔し、今後は参加せず、「香港衆志」のメンバーを含む関係者とも連絡を取らないとまで書かされました。

 「私が中国本土にいたとき、そして今年も当局の取り調べの過程で、私は警察への感謝の手紙や懺悔の手紙を書くことを強要された」
 「私はただ自由に生きたいだけだ。なぜ自由がこれほどまでに難しいものなのか理解できない。この3年間、特に今年経験したことで、恐怖から逃れることとは何かが本当によくわかった。恐怖の中で暮らしたこの3年間は本当に嫌だった。もう中国本土には戻りたくないし、香港警察へのお礼の手紙を書かされるのも嫌だ。こんな生き方をしてはいけない」

 保釈後も周氏の行動は厳しく監視されました。フルタイムの仕事を見つけることや、住まいを見つけること、銀行口座を開設することも困難になったとのことです。

 「普通に生活するのもとてもとても大変だった。例えば新しい銀行口座を開設するのが難しかった。フルタイムの仕事を見つけるのも大変だった。香港の政治的な雰囲気のため、アパートを見つけるのも大変だった。人々は自らを検閲し、私のような民主活動家には何も提供しようとしない」

中国本土の「愛国的な」施設などの訪問を強要された
 8月某日、周氏は5人の国家安全局員に「同行」され、中国本土に渡航しました。この旅について、周氏は「常に夢見ていた出国が、なんと中国本土であった。無事に香港に戻っても、国家安全局がパスポート返却の約束を果たしてくれるかどうか分からないので、心境は非常に複雑だった」と語りました。

 周氏は深セン市で「改革開放展」を見学するように指示され、中国及び中国共産党の発展、歴代の中国共産党指導者の「栄光なる業績」を学ばされ、その後、テンセント本社を訪れ、「祖国の技術発展」について学ぶよう手配されました。

 周氏は、「率直に言って、私は中国の経済発展を否定したことはないが、このような強国が、民主を求める人々を牢獄に送り込み、出入国の自由を制限し、パスポートを取り戻す条件として中国本土への入国を強要する姿勢は、ある意味で脆弱ではないか思う」と述べました。

 周氏は展示会のライトボックスで写真を撮るように要求され、同行した深セン人のドライバーも私の写真をずっと撮っていました。「中国本土に行くことを強要され、写真もたくさん撮られた。もし私が黙っていれば、これらの写真はいつか私の『愛国心』の証拠になるかもしれない。それは良いことだとは思わない。その恐怖は目に見えるほど有形なものだ。多くの香港人が娯楽のために中国本土に訪れる一方、私は留学の機会を得るために強制的に中国本土に行かされ、これは非常に皮肉なことだと感じた」

 香港に戻った後、国家安全局は再び周氏に対し、「警察の手配に感謝し、私が祖国の偉大な発展を理解できるようになった」という内容の手紙を書くように求めました。「このような手書きの手紙は、ここ数か月の間に何通も書いた」と周氏は述べました。

 2023年9月、周氏は香港からカナダのトロントに向かい、パスポートは、「出発の前日になってやっと受け取った」と述べました。

香港には一生戻らない
 周氏は、カナダですでに3か月近く学んでおり、当初は12月末に香港に戻り、警察に出頭する予定だったが、「香港の状況、自分自身の安全、心身の健康などを慎重に考慮した末、香港には戻らないことを決断した。おそらく一生戻ることはない」と述べました。

 周氏は、最初から香港に戻らないつもりであったわけではないと強調しました。香港にいた頃は、自分が順調に出国できるかどうかも分からない状況で、将来のことを考える余裕がなかったとし、「留学ができるだけで、それは非常に難しいことだ」と述べました。カナダでの生活が安定した後に、12月中に香港に戻ることを考え始め、戻るかどうか確定する前にすでに香港に戻る航空券を購入していたと明かし、「だから、もし私が国家安全局を欺いて計画的に行動したと言う人がいれば、それは絶対に誤ったことだ」と強調しました。

 文章の最後に周氏はここ数年、「恐怖から解放された自由」がいかに貴重なものであるかを強く実感し、「自由は容易に手に入るものではなく、不安と恐怖に満ちた日々の中で、自身を忘れず、自身を大切に思い、自身を愛するすべての人々をより一層大切に思うようになった」と語りました。

(翻訳・藍彧)

(2023年12月10日午前10:03、動画が更新されました)