徐庶が諸葛亮を劉備に推薦した。(北京・頤和園の回廊絵画)(パブリック・ドメイン)

  中国・三国時代に「徐庶(じょ・しょ)」という有名な謀士がいました。「徐庶が曹営に入る、一言も発しない」の物語は広く知られています。徐庶からの強い推薦により、劉備が諸葛亮の庵を三度も訪ねる逸話があります。今日は、三顧の礼の話の代わりに、徐庶の身に起こった不思議な物語を見てみましょう。

 徐庶は、生まれたときの名前が徐庶ではなく「徐福」で、豫州市潁川長社(現在の河南省長葛市)の出身でした。彼は若い頃、任侠撃剣(にんきょうげっけん)が好きでした。
 ある日、彼は顔に白い粉を塗り、髪を振り乱して、他人の仇討ちをしていましたが、間もなく役人に逮捕されました。名前を尋ねられた徐福は全く答えないので、役人たちは徐福を車の上の柱に縛り付けて路上に連れて行き、通行人に身元を確認してもらいましたが、知っていると名乗り出る者がいませんでした。結局、徐福は仲間たちに救出されました。
 この一件で、大いに感ずるところがあり、徐福は任侠をやめて学問を身につけることを決意して、名前も「徐庶」に変えました。①
 生死の災難を経験したためか、徐庶は求道(ぐどう)を始め、諸葛亮や龐統などの道友たちと親交を深めました。徐庶は、劉備が新野に駐屯していたときに身を投じました。諸葛亮を劉備に推薦し、諸葛亮のほうが自分より十倍優れているので、劉備が自ら諸葛亮を補佐に誘い、覇業を達成するようにと、徐庶は強く推薦しました。その強い推薦により、劉備が諸葛亮の庵を三度訪ね、ついに諸葛亮を軍師に招聘することができました。

劉備と徐庶の出会い(パブリック・ドメイン)

 その後、曹操が荊州を討伐した時、徐庶と劉備は共に南下しました。徐庶の母親が曹操にさらわれたので、母親を救うために、徐庶は劉備に別れを告げて、曹操の陣営に加わるしかありませんでした。その後、この事件は「徐庶が曹営に入る、一言も発しない」として芸術的に処理される一方、徐庶は「孝子」の模範として称賛されました。魏の文帝・曹丕の時代、徐庶は要職「右中郎将」や「御史中丞」を務めました。その後、徐庶が数年後に病死した説がありながら、徐庶が隠居生活をするために行脚していた説もありました。

 徐庶はかつて膠南(山東半島南部)に隠居していたと言われており、地元の大珠山の帽子峰には「徐庶廟」が建てられました。歴史の経過とともに、徐庶が道教を修めて仙人となり、各地を旅して神跡を起こしたという伝説が徐々に広まり、古人の手記にも記録されるようになりました。次に紹介するお話は、清の康熙王朝期に記録されたお話です。

 康熙12年(紀元1673年)、呉三桂が清朝に反乱を起こし、「三藩の乱」が勃発しました。翌年、明王朝の降伏した将軍・王輔臣は清を裏切り、呉三桂に従って清王朝に反乱を起こしました。康熙15年(紀元1676年)、康熙帝は王輔臣の反乱軍を討伐するために、陝西省に軍隊を派遣しました。
 討伐軍の進軍の途中、騎兵の「于英」は、強風と雷雨に遭遇して大軍とはぐれてしまい、ただ一人で渓谷で走り回ることしかできませんでした。急いで軍に戻る方法を見つけようとする于英でしたが、夜遅くまで渓谷から外に出られないので、疲労困憊の末、馬から降りて大きな木にもたれかかって休みました。
 しばらくすると、于英はふっと、赤い提灯がゆっくりと近づいてくるのが見えました。よく見ると、白いひげと白い眉毛をした老人が歩いてくるのに気づきました。おかしいのは、この老人の風貌は古代絵画の中の長寿老人のようで、服や帽子はすべて以前の王朝期のスタイルであり、清王朝の人々の髪型や服とはまったく違いました。
 老人は于英に「道に迷ったんですか?」と優しく尋ねました。
 于英は「はい、道を教えていただけますか」と答えました。
 老人は、「この山はとても人里離れたところで、トラやオオカミなどの猛獣がたくさんいます。大通りまではまだ五、六十里(約20~30km)離れています。大通りまで連れて行きますから、急いでついて来てください」と言いました。
 老人が道を先導し、于英は馬に乗って老人の後を付いていきました。老人が飛ぶように歩き、夜の森や岩や雑草の間を飛び回り、于英の馬が追いつけないほどの速さで歩いていました。長いこと歩いて、平坦な場所に着くと、老人は立ち止まり、手に持っていた赤い提灯を于英に渡し「この先が大通りです」と言いました。
 于英がその赤い提灯をよく見てみると、それは布でも紙でも、ろうそくでもたいまつでもありませんでしたが、赤い提灯全体が表裏一体で透き通った明かりを放ち、赤い瑠璃のようにも見えました。于英は、この赤提灯が何なのか分かりませんでしたが、神様に会ったことに気づいたので、敬意を持って老人にお礼をし、名前を聞きました。
 老人は「わしは三国時代の徐庶です」と笑いながら言いました。
 これを聞いた于英は大変驚き、ひざまずいて感謝しようとしたその瞬間、老人は姿を消しました。
 老人が示した方向に従って、于英はさらに数里走ると、本当に大通りを見つけました。この時、東の空は白み始め、手に持っていた赤い提灯の明かりは消えてしまいました。于英がその「赤い提灯」をよく見てみると、それは茶碗の口ほどの大きさの赤いあんずでした。
 道沿いで軍隊と合流したら、于英は自分が経験した奇妙な事を詳しく話しました。こんなにも寒い冬なのに、あんずなどの果実が渓谷に存在するはずがない、ましてあんなに大きいものがあるとは、と皆が分析していました。于英は、隠居して修行し、仙人になった徐庶に本当に会ったのだと、皆して言いました。②


①『魏略』より
②『耳食錄二編・第七卷<徐元直>』より

(翻訳・宴楽)