平安時代の女性(パブリック・ドメイン)

二、菅原孝標女の夢

 「更級日記」は平安時代の中頃に書かれた作品で、作者の菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が少女時代からの約40年間を振り返ったものです。

 主人公が物語に憧れ、信仰を顧みなかった少女時代を経て、宮仕えに失望し、平凡な結婚生活に安住し、夫の出世と子孫の繁栄を願い、その後、夫が急死し、どん底に突き落とされ、長年見てきた現世利益の夢は尽く潰れ、深い絶望のみが残ると言う内容です。

 「更級日記」には多くの夢に関する記述がありました。

 作者が物語を耽読していると、僧侶が夢に現れ、『法華経』を習えと言われたのですが、「誰かにその夢の話をしなかったし、わざわざ習うこともしなかった」。

 物語の事を昼も夜も思い続け、「天照御神を念じませ」と告げられる夢を見ても、「それを何とも思わずそのまま過ごしてしまった」。

 26歳の時に無信仰を、僧にたしなめられる夢を見ても、「このような夢を見たことも人に語らず、心に思い留めなかった」。

 その後も、清水寺の僧が夢に現れ、作者の前世は清水寺の僧であったこと、仏師としての造仏の功徳を積んだことを告げられても、参詣することもなかったと述べています。

 40歳頃から少し変化が生じ始めます。石山寺に参籠して香を賜る夢を見た時には、良いことの前兆だと信じるようになり、石山寺に参籠ったり、長谷寺に参詣したりと、仏の世界に心の安らぎを求め始めるようになりました。

 日記の終末部で、50歳を目前にして、阿弥陀仏来迎の夢を見た時には、「阿弥陀様が現れたこの夢だけを、死後の極楽往生の希望とした」と、心境を述べています。

 晩年を迎えた作者がその長い歳月を振り返るにあたり、心に鮮明に蘇ったのが夢だったと言います。そして、若い頃に、物語に夢中になりすぎていたことを後悔し、もっと夢で告げられたように仏教を学んでいたら良かったと反省しました。

 作者は、人生はただの夢に過ぎず、夢の中の自分が現実だったと感じたのでしょうか。

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 伝説によると、遠い昔、天と地が繋がり、人が神と共にあった時代がありました。ところが、人間が次第に傲慢になり、道徳が低下し、神を尊敬しなくなったため、人間は神々とコミュニケーションが取れなくなってしまいました。とは言え、慈悲なる神は人間に神々と繋がるいくつかの方法を残してくださっており、夢はその一つではないかと、今も考えられています。これらについて、皆さんはどう思われますか?

(おわり)

(文・一心)