中国の邯鄲市黄粱夢町にある「呂仙祠」の中に「黄粱の夢」に関する壁画(Wikipedia Commons/Fanghong CC BY-SA 4.0

 「胡蝶の夢」は、『荘子』と言う書物の中の有名な話です。夢の中で荘子(紀元前369年頃 – 紀元前286年頃)は胡蝶となってひらひらと舞っている最中に目が覚めたのですが、果たして自分は蝶になった夢を見ていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、区別がつかないと言う話です。

 夢が現実なのか、現実と思うものが夢なのかについての物語は他にも多くありますが、ここでは中国と日本の、夢にまつわる二つの物語をご紹介します。

一、 黄粱の夢

 中国の唐の「枕中記」と言う物語です。

 唐王朝の開元年間(713年―741年)、盧生(ろせい)という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、邯鄲(かんたん)に来ました。盧生はそこで呂翁(りょおう)という道士(呂洞賓(りょどうひん)との説もある。中国の代表的な仙人である八仙の一人である)に出会い、延々と貧しい今の境遇を嘆き、出世の望みがないことを訴えました。するとその呂翁は夢が叶うという枕を盧生に貸したのでした。

 盧生はその枕で眠りに入りました。そして、盧生は名族の娘を娶り、科挙に合格し、とんとん拍子で出世し高官となりました。役人になった彼は紆余曲折を経た後に、宰相となり帝を補佐し、権勢を極めました。5人の立派な息子にも恵まれ、幸せな人生を送りましたが、老いには勝てず逝去しました。

 そして目覚めると、時は呂翁に出会ったその日のままで、眠る前に火に掛けた粟粥がまだ出来上がってさえいませんでした。全ては夢で束の間の出来事だったのです。盧生はしばらく深い感慨に沈み、そして、枕元にいる呂翁に、「人生の栄枯盛衰の全てを知りました。先生は私の欲を払ってくださいました」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行きました。

 盧生は夢の中で人生の富貴と功名、生と死をすべて経験し、人生とは所詮夢に過ぎず、儚いものだと悟ったのでした。

※出典:『太平広記・異人二・呂翁』

(つづく)

(文・一心)