2013年カンボジア特別法廷にいるヌアン・チア(Wikimedia Commons / Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia CC BY 2.0

 ポルポト政権のナンバー2的存在だったヌアン・チア(Nuon Chea)が8月4日、プノンペンの病院で死去した。93歳だった。1970年代後半、ポルポト率いるクメール・ルージュがカンボジアを統治した時、ヌアン・チアは非人道的行為に加担し、民族浄化等の罪を犯した。

 「ワシントン・ポスト」によると、ヌアン・チアは共産主義者の一員であり、同時にカンボジアの極左勢力、クメール・ルージュの副書記として「ナンバー2」と呼ばれていた。1975年から1979年にかけ、クメール・ルージュはカンボジアで高圧統治を敷いて人道に対する罪を犯したが、ヌアン・チアはその過程で中心的役割を果たした。ヌアン・チアはカンボジアでジェノサイドを行い、人口の約4分の1に当たる200万人を死亡させたとみられている。

 2014年、当時88歳だったヌアン氏はクメール・ルージュ特別法廷で終身刑を言い渡された。さらに2018年には該法廷はヌアン氏が少数民族の大量虐殺に加担した証拠に基づいて、ヌアンに再び終身刑を言い渡した。

 BBC記者ジョージ・ライト(George Wright)氏によると、ヌアンは最後まで自分を愛国者と信じており、共産主義の目標を諦めていなかった。しかし、彼は極悪人として歴史書に記載にされるだろう。後世の人々はヌアンが犯した罪を見て、彼が冷酷非情な独裁者であり、殺人鬼であると思うに違いない。

クメール・ルージュの罪悪

 当時、クメール・ルージュは自給自足の農業共産主義社会を作るため、権力を握った後、都市に住んでいるすべての平民を田舎に強制移住させ、農業に従事させた。そして、銀行業務どころか貨幣そのものを廃止し、私有財産を剥奪し、通学と宗教を禁止させた。夫婦関係を取消し、家族を強制離散させた。これに逆らう者は厳しく処罰された。

 クメール・ルージュは強制労働、民族浄化、政治迫害、労働改造、強制収容所や大量虐殺などの各種の恐怖統治を行った。さらに政策不当による大飢饉、過労死、疫病の蔓延などにより、わずか3年8ヶ月の統治期間で、当時のカンボジア全国人口の4分の1に当たる約200万人が死亡した。

 飢饉と過労以外に、クメール・ルージュは統治権力を強化するため、ベトナムに親近する者、旧政権関係者、僧侶、異議者や高学歴者等の人を粛清し、各種残虐な方法で殺害し、大規模な処刑を行った。

共産主義政権の罪悪

 1917年11月、ウラジーミル・レーニンらロシア共産党員は暴力革命により合法的なロシア政府を転覆し、世界初の共産主義政権を樹立した。統計資料によると、今まで世界中に共産主義運動による死者は1億人以上に上る。

 今日の中国は、現代化された超大国としての地位を確立しようとしているが、中国共産党は中国国民をジョージ・オーウェル式の監視ネットワーク、「社会信用システム」及びその他の厳しい規制にさらしながら、政治家、宗教信仰者及び少数民族に対する残虐な迫害を続けている。

 1999年、中国共産党は文化大革命以来最大の政治運動を開始し、1億人の法輪功学習者を対象として迫害し始めた。この迫害は現在も続いている。

 2006年から、法輪功学習者を中心とする良心の囚人が、中国の病院で臓器を摘出され、殺害されていることを示す証拠が得られた。

 最近、約百万人のウイグル人が中国の強制収容所でイデオロギー的な洗脳や身体的虐待、そして拷問に苦しんでいるという報告が出ている。

 今、中国共産党政権が香港で一般市民に対する暴力の弾圧を行っている。

 将来、中国共産党の官僚らはヌアン・チアと同じ末路をたどるだろう。

(翻訳・宛漣音)