8つの排水口を開けて放流している三峡ダム(イメージ:ツイッター動画のスクリーンショット)

 三峡ダムを建てる前に、多くの風水師が長江は龍脈なので、いったん真ん中を切れば大変なことになると警告したことがあります。しかし、中共政府は三峡ダムの建設には利益が多く、損害は少ないと判断して、多くの風水師と水利専門家が反対するにも関わらず、無理やり建てたのです。長江は古代では「大江」と呼ばれていました。「大江」は川に対する尊敬語で、普通の川には勝手に呼ばれる言葉でありません。長江はアジアでは最も長い河であり、世界では第三番に長い河です。長江の長さは65000キロメートルで、チベット高原から始まって、19個の省を経て、江蘇省で海に流れ込みます。流域面積は18万平行キロメートルで、中国陸地面積の五分の一です。だから尊敬されて「大江」と呼ばれ、「龍脈」と呼ばれています。中国では「山龍」三つと「水龍」二つがありますが、長江はその一つの「龍脈」です。

三峡ダム下流の湖北省の各都市(看中国/Vision Times Japan)

 数千年以来、中国人は三峡から数え切れないほどの恩恵を受けてきましたが、同時に受けた災難も少なくありません。しかし、歴代の王朝は、誰も水害を防止するために、三峡でダムを建てようと考えたことはありませんでした。現代人だけが、三峡でダムを作ろうとしており、特に中共は中国の政権を握ってから、三峡ダム建設の計画を具体的に実施したのです。

 三峡ダム建設は世紀工事だと言われ、建設過程は非常に長く、また非常に困難が満ちていました。コストは約2078億元で、日本円に換算すれば約3兆5000億円です。120万人を移住させ、大都市二つ、140個の鎮、1350個の集落が破壊されました。8千カ所を超える古跡が破壊されたり、水没されたりしました。8万個以上の爆薬を使って山などを爆発しましたが、8万個の爆薬とは、分かりやすく言えば、アメリカがある都市に投下した原爆の20倍ほどです。これらは工事部分のデータですが、三峡ダムを建てるために、実際には本当に原爆を使い、7枚を使ったそうです。どのように使ったのでしょうか。

 毛沢東は「三峡ダムを建てることは、頭上に水を一杯入れたかめを載せているように、いつも不安を感じさせる」と言って、三峡ダム建設に反対したのです。毛沢東は他人には強制的に神を信じさせなく、無神論を主張しましが、自分は風水を堅く信じています。毛沢東が反対する理由はもう一つあります。三峡ダムを建てた後、外敵の原爆に爆撃されると、崩壊してしまうだろうということでした。最初の三峡ダム建設指導者は周恩来首相でした。周恩来が最初から試験したのは三峡ダムが原爆攻撃にどこまで耐えられるかの試験でした。この試験を実施する組織は「751試験グループ」で、組織の最高指導者は周恩来が自ら担当していました。中共の原爆爆発試験現場は新疆東部のロプノールにあります。中共は原爆爆発試験現場で、事前に三峡ダムのモデルを四つ作っておいたのです。1964年10月12日、原爆爆発試験後、「751試験グループ」の専門家たちは直ちに三峡ダムのモデルフィールドに行って関連データを収集したのです。その収集したデータに基づいて、ダム設計を修正し、その設計に基づいて三峡ダムのモデルを改造し、再度原爆試験する。このように7回繰り返して試験した後、三峡ダムの形は等辺三角形が最も安全である結論が出たのです。現在の三峡ダムの形はこのように決められたものです。これは原爆に耐えられる最も安定な形だから、原爆に攻撃されても、ダムは崩壊しないということです。

1964年10月12日、中国の原爆爆発試験(Public domain, via Wikimedia Commons)

 1963年10月、イタリア北部に位置しているバイオントダムが、竣工直後の貯水段階で、大規模な地すべりが発生して、貯水湖から押し出された水が津波となって、ダム湖周辺及びダム下流の集落に壊滅的な被害を受けて、あっという間に2000人以上の犠牲事件が発生したことがあります。これは、イタリアでは最も深刻な水害事件でした。このような事件を防止するために、中共政府は三峡ダム湖周囲に、地すべりの可能性があるところがないかと調べた結果、5014キロメートルの周囲に6.7%の342キロメートル範囲内に地すべりの危険があることを発見しまた。最も危険性が高いのは、孤立した山でした。山の高さは約標高1,000メートルですが、山の形はほとんど絶壁で、山には至る所に亀裂があり、最も大きい亀裂は幅5メートル以上、深さ700メートルでした。この山が倒れると、ダムが崩壊するほどの危険はないですが、水位が急に上昇して、津波が形成する可能性はありました。この山の崩れを防止するために、無数の地質、設計、施工専門家を動員して、共同に防止方法を考えた結果、4600万元(約7億7千万円)を投資して、1992年から1997年の4年間の時間をかけて、173本の大型の鉄製チェーンで山全体を縛り付けて、亀裂をセメントで埋めて、山を固定したのです。このようなやり方には、どこまで効果があるかはしれませんが、何も言えないですね。

 また、三峡ダムには底泥堆積問題があるので、この問題を解決しないと、ダムはせいぜい200年しか使用できないと推測されています。この問題を解決するために千人以上の専門家を動員して、小さい三峡ダムのモデルを39個作って、無数の試験をして、最後には水が下から上の方に噴出するように、ダムの排水口を設計したのです。このようにすれば、排水口付近の底泥を噴出させることがで切るそうです。しかし、三峡ダム湖の底泥堆積問題は、ダム付近だけではなく、長さ600キロメートル全体に存在することなので、底泥堆積問題は完全に解決できたとは言えないでしょう。

 1991年湾岸戦争の時、中共は最も恐ろしいことを発見したのです。それは米軍には精密攻撃でした。当時、中国の有名な科学者である銭偉長教授は、「湾岸戦争か受けた三峡ダムに啓示」という文章を書いて、米軍には精密攻撃ができる巡航ミサイルがあるので、三峡ダム脇にある水路の水門の開閉扉が巡航ミサイルに攻撃される可能性があるとの警告を発表しました。三峡ダムの左側に、船が通る水路が二つ作られています。パナマ運河のようなもので、船が水路に入った後、水門の開閉扉を閉めて、水位を上げて、船を通らせるものです。水路は岩石を開削して作ったものですが、もともと一体になっていた岩石が、水路部分が開削されたため、水路両側の壁に圧力差が形成されたため、壁が真ん中の方にだんだん倒れ、水路がだんだん狭くなっています。計算によると20センチ狭くなると問題が起きます。壁の変形を防ぐために、長さ120メートルの鉄板17万本で壁を補強しましたが、竣工した時点ですでに6センチ狭くなり、あと14センチしか残ってありません。この水路は三峡ダムの最も弱いところで、銭偉長教授が警告した水門の開閉扉だけでなく、水路全体が壊れやすいです。原爆でなく、普通の爆弾によっても十分破壊されます。これは中共が最も心配していることです。

 三峡ダムにはもともと特殊部隊が守っていましたが、それでも安心できないため、2013年9月9日、李克強首相が国務院令に署名し、『長江三峡水利工事安全保衛条例』を公布しました。当該条例には、三峡ダムは特別禁止区域とされ、凧揚げ、熱気球、ドローンなどが禁止され、旅行も禁止されています。さらに、4600名で編成された特殊部隊が三峡ダムを守り、中に4組の紅旗ミサイルがあり、武装ヘリコプター部隊、巡視船8隻、快速な打撃部隊24個が含まれています。

 中共政府は原爆試験を7回までして三峡ダムを建てたが、建てる前に予測した問題は一つも漏れなくすべてが現われています。最も代表的な予測は、清華大学の教授、水利専門家黄万里氏の予測です。黄万里教授は毛沢東時代から、江沢民時代まで、最初から最後まで、自分が亡くなるまで、三峡ダムは建ててはならない、建ててはならないと反対していました。黄万里教授が三峡ダム建設に反対する理由は主に12件ありましたが、現在11件が正しかったと証明され、1件だけが実証されてありません。それは、三峡ダムは最後には爆発によって解体されるということです。今まで、最も明らかに証明できたのは地震頻発です。三峡ダムが貯水開始してから、四川省の三峡ダム付近では、地震が頻繁に発生し、2008年5月、汶川で大地震が発生し、2020年は綿陽で地震が発生しました。これらの地震は三峡ダムと関係あるのではないかと、ネットで広く議論されています。納得できるような科学的根拠はないですが、あくまでも、黄万里教授が事前に予言したことだから、黄万里教授の反対が正しかったと私は信じます。

 中国の伝統文化の立場から、中共の野蛮なやり方から、三峡ダムについて話しました。中共は三峡ダムを建てるために、原爆試験までしたことがありますが、原爆は常軌兵器と違って、勝手に使ってはならないものです。原爆を使えば、我々人類だけではなく、他の生命にも影響を及ぼします。アメリカが原爆を投下した後、他の生命が人類に抗議した例があります。次回はその例について話します。

(李真実チャンネルより転載)