明・李士達『竹林の七賢』の一部(パブリック・ドメイン)

一、正倉院の螺鈿紫檀阮咸と桑木阮咸

 阮咸(げんかん)は中国の伝統楽器です。秦と漢の時代には、「秦琵琶」や「秦漢子」と呼ばれていました。阮咸は琵琶の構造とは異なり、円盤形の胴と長い頸を持っているのが特徴です。日本では、正倉院の宝物として保管されている「螺鈿紫檀阮咸」と「桑木阮咸」が最も有名で、いずれも奈良時代に中国から伝わったものと思われます。

中国の伝統楽器・阮咸(清・陳夢雷『欽定古今図書集成』より、パブリック・ドメイン)

二、中国固有の琵琶である阮咸

 阮咸は中国固有の楽器です。その原形として、1つは前214年、秦の始皇帝が万里の長城を建設した時、労働者の苦労を慰めるために作られたもの、もう一つは、前150年に、漢武帝が烏孫との友好関係の印として、公主を烏孫王に嫁がせる際、異国での寂しい思いを和らげるために造らせたものの二種類があると伝えられています。

 琵琶と言えば、多くの人は現在演奏に使われている琵琶のことをイメージしますが、古代中国においては、琵琶はリュート属楽器の総称とされていました。

 『中国音楽史図鑑』(※1)によると、「琵琶は秦漢から唐代にかけて、多種にわたる撥弦楽器の総称であった」と説明しています。

 また、「琵琶」はもともと演奏方法を示す言葉で、「琵」は、指を前方へ弾き、「琶」は、手前に弾くことを表すものです(後漢の劉熙「釈明」)。

 後漢末の『風俗通義』(※2)は、琵琶の形状について、「長三尺五寸、法天地人与五行、四弦象四時」と記しています。意訳すると、「琵琶の長さは三尺五寸で、天・地・人と五行に法っており、四弦は四時(春・夏・秋・冬)を象っている」となります。

 言い換えれば、円形の胴に長い棹を持ち、四本の弦があり、演奏する場合、胴を縦にして持ち、弦を指で弾く阮咸は古い意味での琵琶の一種だということです。

 4世紀頃、西域との文化交流によって、イランから梨型の胴と曲がった首を持つ4弦琵琶と、インド起源の梨型の胴とまっすぐな首の5弦琵琶が中国に伝わりました。それらは胴を横に抱えるように持ち、撥を使って演奏するものです。

 唐の武則天后(684〜701)以後、中国固有の丸い胴を持つものは「阮咸」、西域からの梨型のものはそのまま「琵琶」と呼ばれるようになったそうです。

 阮咸は西晋時代(265–316)に、戦乱を避けて生きた「七人の賢人」の1人です。「七人の賢人」は竹林に隠棲し、酒を酌み交わしたり、清談をしたりする隠士でした。阮咸は琵琶の名手で、いつも琵琶を好んで奏したことから、名付けられたと言われています。

 ちなみに、中国の楽器で、人の名前によって命名されたのはこの阮咸だけです。

竹林の七賢の一人である阮咸(右)、晋時代のレリーフ拓本(パブリック・ドメイン)

三、阮咸の衰退と再興

 唐と宋以後、中国固有の阮咸と西域から伝わった琵琶との融合が進み、次第に梨型で曲がった首を持つ琵琶が主流となり、その持ち方も胴を横に抱えるように持つことから、縦にして持つという持ち方に変わり、演奏する時、撥で弾くものから指で弾くものへと変化しました。

 一方、伝統的な阮咸は衰退し、一時は廃れましたが、近代になって再興されました。現在、阮咸が改造され、アンサンブルで使用する必要性から小阮、中阮(元来のサイズ)、大阮、更に低音阮の4種類に分かれ、ソロの楽曲も多数創作されています。
阮咸は時代と共にその姿が変化しましたが、ほぼ原型のままで演奏が続けられています。

 しかし、古い時代の阮咸は中国にはもう残っていません。正倉院で保存されているこの二つの阮咸は古代の形状を持つ世界で唯一現存するものだと言われています。

(※1)劉東昇、袁荃猷編著 明木茂夫(監修・訳)科学出版社東京。
(※2)『風俗通義』(ふうぞくつうぎ)は、後漢末の応劭の著作で、 さまざまな制度、習俗、伝説、民間信仰などについて述べた書物である。

(文・一心)