(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 唐王朝初期、婁師徳(ろう・しとく)という名宰相がいた。背が高く、大きな口と厚みのある唇はその人物の人となりを表していた。史書によれば彼の性格は落ち着いた物腰で度量が大きく、たとえ彼を怒らせる相手であっても許しを請えば、謙虚に譲歩する。しかも立腹した表情を顔に出すこともない。中国ではよく知られている諺の「顔に吐かれた唾が自然に乾くのを待つ」すなわち、侮辱を受けてもじっと我慢するというのは彼に由来している。

 婁師徳は、唐王朝では数少ない文武両道の大臣だった。彼は唐王朝のためにずば抜けた貢献をしたことにより、唐の徳宗皇帝によって、房玄齢や杜如晦などの有名な大臣と同様、37人の名宰相ランキングに名を連ねた。

 婁師徳は七十歳で亡くなる少し前、睡眠と仕事において不安定な状態にあった。彼の身の回りの者達は、婁師徳がしょっちゅう何の理由も分からず突然驚いて、「わしの背中を叩くのは誰だ?」と言うのに気づいたが、彼らには何も見えなかった。

 さらに奇怪なことに、婁師徳が独り言を言い始め、あたかも誰かと言い争っているようだった。彼は、「わしの寿命は八十歳のはずだ。どういった理由でもう逝かせようとするのだ?」と言った。しばらくすると、彼はまた独り言で、自分が以前官職に就いていたとき、誤って二人の人を殺してしまった、それが原因で命が十年縮められたというわけなのか、と呟いた。

 きっと婁師徳には別の空間のなにかが見えていたのだろう。話しぶりからして彼は寿命が尽きたことを受け入れたようだった。すると数日のうちに婁師徳は亡くなった。

 腑に落ちないのは、婁師徳はどうして自分の寿命が八十歳だと知っていたのだろうか?唐の時代の伝奇小説集『宣室志』にはこのような解釈がある。婁師徳は平民だった頃、よく病気を罹っていた。そんなある日夢の中で、紫色の衣を着た人が彼のベッドの前にやって来て、「あなたの病を治してあげましょう。その代わりに私と一緒にある場所に行かなければいけません」と言った。

 婁師徳はそうして紫色の衣を着た人の後について数里歩いて行ってみると、あの世の正門の前に着いた。

 「どうしてあの世の入口がこの世にあるのだ?」と婁師徳は驚いて叫んだ。

 「冥途は元々人間世界とつながっているのです。人間がそれを知らないだけです。」と紫色の衣を着た人は答えた。

 二人が冥途の門をくぐると、人間が将来行うであろう予定を事細かに記載してある帳簿を管理する部署へ通された。紫色の衣を着た人は婁師徳の求めに応じて記録簿を持って来た。それを見てみると、上部には官職を与えられる時間と彼の寿命は八十歳であると記載されていた。それを見た時、婁師徳は心の中でほくそ笑み、「私はただの百姓だ。住まいと食事があればこれ以上高望みはない」と呟いた。

 話声がまだ止まないうちに巨大な雷鳴が鳴り、婁師徳は夢から醒めた。この時、付近の寺の鐘が鳴り、夢の中の雷鳴と鐘の音がぴったり重なりあった。その後、婁師徳の病は治り、あの世での記載の通り仕官の道を歩んだ。

 月日はあっと言う間に過ぎ去り、ある日突然、婁師徳は夢の中で黄色の衣を着た使者が彼の目の前に現れてこう言った。

 「冥途からの使いでございます。ご命令により迎えに参りました。」

 婁師徳は、「わしはかつて寿命が記載された帳簿を見たことがあるが、それによればわしの寿命は八十であるが、どうして今命を取りに来るのだ?」

 黄色い衣を着た使者は、「あなたはある官職を任された時、罪のない人を誤って殺したことがありますね。ですから、あなたの地位と寿命が削られてしまったのです。」と言い終わると黄色い衣の人は消えてしまった。その後、婁師徳の病は重くなり三日後に亡くなったのである。

 歴史書にはこの件についての批評があり、「婁師徳のような実直で誠実な者でさえ、判断の過ちにより間違った行いをしてしまうことがあるのだ。政治をするときは本当に気を付けなればならない」と書かれている。

 婁師徳のような立派な心の持ち主でさえ間違いを犯すことから免れないのだから、政治を行う者はことさら注意深く、慎重になるべきではないだろうか。

(文・劉暁/翻訳・夜香木)