涼州城門(イメージ:Wikimedia Commons / GeoDang / CC BY

 古代の扉は、宮殿のドアであろうと、各々の家の小さなドアであろうと、外側から開けられませんでした。つまり、昔は「ドアを押して入る」だけで、「ドアを押して出る」ことができませんでした。押して入れません。

 昔の政治・経済の中心は城内(市内)にありました。外敵がお城を奪おうとするなら、外から攻めなければなりませんでした。お城の出入り口として、厚い城門は非常に重要な防御の役割を果たしていました。城門は内側に開くため、外敵が襲ってきても、城内の門番の兵士は外敵に露出することなく、中で素早く城門を閉め、木の切り株や石、砂袋などを門内に積み重ね、敵が簡単に城門を突破できないようにしていました。 このようにして、城門を守る兵士だけでなく、城内の人々の安全も確保できます。

 今のドアは、基本的にヒンジで固定されていて、一般的に鉄板または、防犯ドアはスチールを使っているため、専門的な工具がないと泥棒に開けられません。古代のドアはすべて木製で、扉にヒンジを付けず、扉の片端の上下に短い棒をつけ、それを小さな穴に嵌め込んで、扉の軸となる「枢(すう)」によって開閉するものでした。枢は天井と地面に穴を開けているため、ドアを最大の角度で開閉させたい場合は、開口方向側に穴を開ける必要があります。ドアの弱みはこの「枢」にあり、ドアを外側から開く場合、この「枢」をドアの外側に設置しなければなりません。敵軍が攻めてきた際、外側で直接この「枢」さえ壊せばドアは自動的に倒れます。そうすれば、ドアの存在する意味がなくなります。

 中国は古代は礼儀大国であったため、古代の城門は国の顔でもあり、礼儀を失ってはいけないものでした。城門が内に開くことは国家の寛大さやすべての訪問者を歓迎していると示しています。城門が外に開くならば、お客さんが門の前に来て扉を開く時に身を引くのは「礼儀」に反することになります。したがって、内に開く城門は、国家が真に礼儀のある国であると示すことができます。

 また、城門はお城のメンツでもあります。古代の城門は木製で、雨や湿気の中で腐敗しやすいため、内側に開くような設計は、城門を風雨から守ることができ、使用寿命を伸ばすこともできます。

(翻譯・藍彧)