2026年の春、中国のSNSでは「美顔機能」をめぐる議論が一気に広がりました。TikTokなどで活動する女性配信者やインフルエンサーたちが、自らカメラの前でフィルターをオフにし、メイクも落として「ありのままの姿」を見せ始めたのです。この動きは瞬く間に拡散され、大きな話題となりました。

 公開された動画では、これまでライブ配信で見慣れていた白く整った肌、大きく見える目、シャープな輪郭の顔が、美顔機能を外した途端に明らかに変わります。そのギャップに対し、ネット上では「ついにテクノロジー美人の正体が明らかになった」といった声が相次ぎました。

 広く拡散されたある動画では、1人の女性配信者がこう語っています。
 「エフェクトを全部オフにして、美顔も外して、さらにメイクも落とすね。これが本当の私。ネットの美人に騙されないで」

 この率直な発言は瞬く間にコメント欄を盛り上げ、「正直で好感が持てる」という声もあれば、「これも結局は再生数を狙った演出ではないか」という見方も出ました。

 別の配信者はライブ配信中に自嘲気味にこう話します。
 「美顔を使わなかったら、どうやって自分を元気づければいいの?使わなかったら、こんなに可愛くないよ。私は可愛い自分を見るのが好きなの」

 この言葉は大量に拡散され、多くのネットユーザーが共感しました。美顔機能は誰かを騙すためというより、画面の中で理想の自分を見たいという心理の表れなのではないか、という見方です。

 こうした「加工崩れ」の動画が次々と出てくるにつれ、美顔技術は再び議論の中心となりました。多くの比較動画では、同じ人物でも美顔機能を使えば顔の輪郭が整えられ、肌は明るくなり、目は大きく、さらには体型まで引き伸ばされる様子が確認できます。ネットでは「オフラインで会うのはブラインドボックスを開けるようなもの、ライブ配信でAIモデリングのようだ」と揶揄されています。

 ある動画投稿者ははっきりこう言い切ります。
 「美顔機能を外したら、ショート動画やライブで見かける美人の中で、本当に魅力が高い人は6割もいない」

 かなり誇張された表現ではあるものの、「現実ではあんな美人だらけではない」と感じていた人たちから、多くの共感が寄せられました。

 また別の配信者は、スマートフォンの標準カメラに切り替えながらこう語ります。
 「今の人って、美顔機能をオフにすると何が普通の美しさか分からなくなってる気がする。普通にメイクして、普通のカメラで撮ったら、本来はこういうものなんだよ」

 彼女は、美顔アプリが人々の「美しさの基準」をどんどん引き上げてしまい、リアルな顔が逆に物足りなく見えてしまう現象を指摘しました。

 実際、中国におけるモバイルインターネット時代において、美顔文化は長年にわたり発展してきました。初期のユーザーは「肌をなめらかにする」「美白にする」といった機能が中心でしたが、その後「小顔」「デカ目」へと進化し、現在では多くのアプリが鼻筋の高さや唇の厚さ、生え際の位置を調整できるほか、自動でメイクを補正したり、光の当たり方を変えたり、雰囲気を演出したりする機能まで備わっています。一部の若いユーザーは、複数のアプリの「メイク感」や「質感」を比較しながら、「どの仕上がりがより洗練されて見えるか」を研究する人も少なくありません。

 こうした技術の進化は、SNS上の美の基準そのものを変えてきました。動画に登場する女性たちは、白い肌、尖ったあご、大きな目、細く長い脚といった共通の特徴を持つことが増えています。さらに、プラットフォームのアルゴリズムは、こうした主流の美的基準に合致する映像を優先的に表示する傾向があり、その結果、多くの配信者の見た目が似通っていく現象が起きています。

 最近では、「過度な美顔」をめぐる規制の議論も浮上しています。昨年末には、動画プラットフォームや業界ルールが、ライブ配信における過剰な加工や不自然な体型補正を制限する可能性があると報じられ、注目を集めました。具体的な基準はまだ明確ではありませんが、この問題はすでに大きな関心を呼んでいます。

 こうした規制を支持する声も多く、「一部の配信では加工が行き過ぎており、消費者を誤解させるレベルに近い」との指摘もあります。特に投げ銭や出会い、ライブコマースの場面では、実際の見た目と画面上の姿の差が大きすぎることで、トラブルにつながる可能性があるとされています。

 「美顔機能を使うなと言っているわけではない。ただ、実際に会った時に誰だか分からないほどに加工するのはやめてほしい」とする声も多く見られました。

 一方で、「美顔機能はメイクや照明、撮影角度と同じで、見せ方の一部にすぎない」という意見もあります。視聴者がそれを加工されたネットコンテンツだと理解しているのであれば、過度に批判する必要はないという考え方です。

 「可愛い自分を見るのが好き」という配信者の言葉は、多くの人にとって共感できる本音でもあります。現実のプレッシャーの中で、画面の中の理想的な自分は、手軽で分かりやすい癒しになっているのかもしれません。

 今回の議論では、見た目への不安だけでなく、年齢に対する不安も浮き彫りになりました。35歳のあるブロガーは、ノーメイクのままカメラの前に立ち、こう語ります。

 「35歳、これが35歳の本当の姿よ。嫌でも聞いてもらうけど、若い人たちの目には、私たちは『年寄り』で『ダサい』のよ。自分の年齢を直視し、自分の状態を受け入れ、着実に自分の日々を生きりこと、それこそが何よりも大切」

 この動画は多くの「いいね」を集め、多くの中年ユーザーから「まさにその通り」というコメントが寄せられました。

 また、31歳の女性配信者はこう冗談めかして話します。
 「私は31歳。でもまだ若いとも、もう若くないとも言われる。結局どっちなの?」

 こうした発言は、SNSが「若さ」や「少女らしさ」を強調する中で、年齢そのものが一種の「修正対象」になっている現実を映し出しています。

 注目すべきは、この美顔加工をめぐる論争が、単なる「本物か偽物か」という問題にとどまらない点です。それは、現代社会が何を「美しい」と定義しているのかという問いでもあります。多くのショート動画の中では、若さ、白さ、細さ、整った顔立ちが繰り返し強調されています。そして、自身の容姿がこうした基準に当てはまらない女性たちは、美顔技術に頼らざるを得ず、そうして「美人」の仲間入りを果たそうとしています。

 ある評論では、美顔アプリは鏡のようなものであり、欲望を拡大させる一方で、不安も映し出していると指摘されています。人は美顔機能の不自然さを批判しながらも手放せず、リアルを大切にしたいと思いながらも、少しでもよく見られたいと願ってしまうのです。

 そして、あえて美顔機能をオフにして素顔を見せる配信者たちにとって、こうした世論の環境は新たなチャンスを生み出しています。誰もが画像を加工する時代において、「本当の姿」そのものが、逆に価値のある資源になりつつあるのです。

(翻訳・藍彧)