現代中国のネット空間で、皮肉と不条理さを帯びた「崩老頭(バンラオトウ)」という言葉が、社会の精神的閉塞感を読み解く鍵として密かに注目されています。日本の「パパ活」などを連想させますが、実態は全く異なります。完全にオンライン上で展開され、取引金額が極めて低く、「絶対に会わない」ことを大前提とする、より底辺層に根ざした現象です。

 「崩」は騙す・搾取する、「老頭」は本来老人を指しますが、ここでは30代から50代の中年男性を揶揄(やゆ)する言葉です。「心の癒やし」を餌に彼らを狙うのは、主に2000年代以降に生まれた貧困層の若い女性たちです。彼女たちは低コストのオンライン上の「癒やし」を武器に、中国で野放図に拡大する疑似恋愛ビジネスの潜在需要を掘り起こしています。

 実行犯は「精神小妹(ジンシェンシャオメイ:派手な身なりをした地方の不良少女を指すネットスラング)」と呼ばれる14歳から20歳前後の女性たちです。多くは農村出身で、親の出稼ぎによる放置、離婚、早期の学校中退といった似た生い立ちを持ちます。現実社会で正規の職に就く機会を持たない彼女たちは、派手な髪色や濃いメイク、安価な服に身を包み、体には元恋人の名前などの粗悪なタトゥーを彫るなど、ショート動画特有のアングラ文化に強く影響されています。

 ドキュメンタリー取材によれば、彼女たちは地元の不良少年たちと、家賃わずか数千円のベッドの底板すらないボロボロの部屋で共同生活を送っています。「仕事もせずにどうやって生活しているのか」と問われると、悪びれもせず「『崩老頭』だよ」と答えます。社会の周縁に生きる彼女たちにとって、SNSで偽りのキャラクターを作り、毎日チャットで中年男性を喜ばせることは、最も手っ取り早く稼げる生計の立て方なのです。

 彼女たちの手口は、界隈で「アリの引っ越し」と呼ばれています。まず、SNS等で加工された写真を使って純真で優しい「妹」を演じ、毎日タイムカードを押すかのように「おはよう」「おやすみ」とマメに連絡して相手の悩みに耳を傾けます。質の高い「仮想の癒やし」で偽りの親密さを築いた後、「タピオカミルクティーが飲みたい(約400円)」「タクシー代が足りない」「小さなヘアピンを買いたい」など、ごく日常的な理由で少額の送金を要求し始めます。数百円の出費は中年男性の警戒心を引き起こしませんが、実態はシステマチックな薄利多売ビジネスです。熟練した少女は数百人の男性と同時に連絡を取り、時間帯を分けた一斉送信やマニュアル化されたトークを駆使し、毎日数十分の作業で過酷な労働を強いられる会社員以上に稼ぎます。さらに「顔を出さない、ビデオ通話をしない、直接会わない」という厳格なルールがあり、実際に会うことを求められれば即座にブロックして関係を断ち切ります。

 なぜ社会経験豊富な中年男性が次々と罠にはまるのでしょうか。「私から搾取してくれ」とネット上で懇願する男性すら現れるシュールな光景の背景には、中国の中年男性が抱える言葉にできない精神的苦痛があります。

 1980年代、90年代生まれの彼らは、重い住宅ローンや教育費、親の介護の負担を背負い、職場では過当競争やリストラの恐怖に怯えています。現実生活で徐々に「稼ぐための道具」として扱われるようになり、家族からの声かけは生活費のことに集中し、職場での会話は業績評価に終始します。長年の疲労を黙って消化するしかない上、中年の危機に伴う体力低下が、自身の魅力への自信を奪っています。そんな時、ネット上で突然若い女の子から「お兄ちゃん、お疲れ様」と甘い声をかけられ、関心と憧れの眼差しを注がれると、彼らが渇望していた「自分が必要とされている感覚」が満たされるのです。画面の向こうの優しさが演技であることは百も承知ですが、彼らは気にしません。数百円で話を聞いてくれる優しさと精神的な麻酔を買っており、これは「電子ペット」を飼うような、コストパフォーマンスが極めて高い情緒的消費なのです。

 しかし、利益が出ることがわかると、この現象も極度な商業化とゆがみを引き起こしました。「崩老頭」はもはや底辺の少女たちの生計手段を脱し、地下ビジネスへと変貌しています。悪徳業者が参入し、初対面の緊張を解くトーク術や送金要求のタイミングを規定したマニュアルを販売し、被害者を潜在的な「カモ度」に応じて分類・搾取する完全な顧客階層化システムまで構築されました。

 さらに皮肉なことに、仮想取引における性別や「人間かどうか」の境界線すら曖昧になりつつあります。中年男性が毎月数万円を費やす「優しい妹」の正体が、ネットカフェにたむろする中年男性だったり、AIボットだったりするケースが多発しています。「真心を捧げた相手が同性のおじさんだった」というニュースが頻繁に報じられるようになり、心の癒やしをめぐる取引の根底にある虚無感が完全に露呈しました。

 「崩老頭」現象は、過度な社会的圧力と孤立化した人間関係が生んだ虚無的なゲームです。貧困層の少女たちは若さを切り売りして生活費を得て、中年男性はお金を払って感情の演技を買い現実逃避をしています。この安価な取引の中で感情はお金で数値化され、生身のコミュニケーションはマニュアル化されたトークに取って代わられます。ネット上の仮想のつながりは一時的な麻酔にすぎませんが、この手軽で痛みを伴わない関係への依存者が増え続けている事実は、現代社会が抱える孤独の深さを何よりも静かに物語っています。

(翻訳・吉原木子)