一、山梨県の郷土料理「ほうとう」

 「ほうとう」は、小麦粉を練って平らに切った「ほうとうめん」と季節の野菜を入れて味噌で煮込んだ山梨県の郷土料理です。2007年に農林水産省が選定する「農山漁村の郷土料理百選」の一つにも選ばれ、多くの人に楽しまれています。             

ほうとう専門店のほうとう(No machine-readable author provided. Jungle assumed (based on copyright claims)., CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 「ほうとう」は歴史が古く、奈良、平安時代に中国大陸から伝わってきた「餺飥(ほうとう)」という麺料理が起源だとされています。「餺飥(ほうとう)」は遣唐使や僧侶によって日本に伝えられた後、平安時代には、貴族の間に広がり、戦国時代には、武田信玄の最強の「陣中食」として重宝され、そして江戸時代になると郷土料理へと変身してきました。

 1000年もの長い間、「餺飥」は、「はくたく」と呼ばれていましたが、時代と共に「はうたう」、さらに「ほうとう」へと発音が変化し、それに「餺飥」という難しい漢字も、次第に日常では使われなくなりました。とは言え、歴史のある名店や老舗の看板やメニューには、歴史的背景を感じさせる「餺飥」という漢字が今なお残っています。

 本文は、山梨県の郷土料理「ほうとう」のルーツを辿って、そこに凝縮された歴史物語を探りたいと思います。

1) 6世紀の中国の書物に登場

 「餺飥(ほうとう)」の語源や製法についての最古の記述は、6世紀に中国の北魏で編纂された農書『斉民要術』の巻八の「餅法」に見られます。

 その箇所には、「餺飥は、こねた小麦粉を親指ほどの太さにして2寸ずつに切り、水に浸して薄くし、強火で煮たもの(訳)」と記されていますが、この「餺飥」と呼ばれる平たい麺料理が、現在の「ほうとう」のルーツだと考えられています。

 ちなみに、『斉民要術』は中国北魏末の賈思勰(かしきょう 生没年不詳)が著した書物で、530〜550年頃に成立したと推定されていて、当時の中国の農業技術や料理法や醸造技術について詳しく述べられており、現存する世界最古農法、調理法の文献とされています。

2) 平安時代に日本に伝わってきた「餺飥(ほうとう)」

  平安時代の僧・円仁が留学僧として中国に渡った時の生活を記した『入唐求法巡礼行記』に、「餺飥」と呼ばれるものを各地で3回食べたという記述があります。

 円仁が唐の開成4年(839年)8月15日に、現在の山東省にある赤山法華院で、「15日。……正午、寺で餺飥が用意され、役人や僧らとともに食べた」と記したのがその一例です。

 平安後期に成立した『枕草子』にも「はうたうまいらせむ(ほうとうを差し上げよう)」と書かれており、この頃の他の貴族たちが書き残した日記にも「ほうとう」が登場していたため、平安貴族の好む食物として広まっていたと考えられます。

 そして、室町時代に成立した古辞書『頓要集(とんようしゅう)』にも、宮廷料理として「餺飥」の記述が残されています。当時の「餺飥」は、宮廷の儀式や宴会で振る舞われる雅な食べ物として、教養ある階層の間で定着していたと考えられます。

二、「餺飥」から「ほうとう」へ

 京都の宮廷料理だった「餺飥(ほうとう)」は、やがて、山梨に根付き、野菜と煮込む麺料理「ほうとう」へと独自の進化を遂げました。その理由として、地理的要因の他、戦国時代の名将である武田信玄(1521〜1573)の影響が非常に大きいと考えられています。

1) 高僧からの伝承説

 「甲斐の虎」の異名を持つ武田信玄は、孫子の兵法に精通し、軍旗「風林火山」や「武田騎馬軍団」を駆使して領土を拡大した人物で、戦国最強の猛将と言われています。一方、信玄は神仏への信仰心が強く、よく臨済宗の高僧たちを招いて禅学を学んでいました。

 恵林寺の住職・快川紹喜(かいせん じょうき 1502〜1582)は、信玄の坐禅の師であり、軍師でもありました。快川和尚は激しい戦いに日々心血を注ぐ信玄の体を案じ、消化が良く、野菜(薬膳)を一度に摂取できる煮込み料理として、「ほうとう」の原型を勧めたと伝えられています。

2) 最強の陣中食

 禅寺で食べられていた「ほうとう」に近い麺料理が、やがて信玄の陣中食として取り入れられるようになりました。消化が良く、野菜をたっぷり入れて一度に大量に作れる「ほうとう」は、厳しい戦いを勝ち抜くための理想的なエネルギー源となったのです。

武田勝千代丸(歌川国芳画)(British Museum, Public domain, via Wikimedia Commons)

 そして、信玄が自らの帯刀(宝刀)で麺を切り分けたことから「ほうとう」の名が付いたという逸話も残っています。 

 こうして、野菜と煮込む麺料理「ほうとう」は、さらに広がり、陣中食から庶民の日常食となり、その後の明治、大正、昭和と現代に至るまで地域に深く根付いてきました。

 「ほうとう」は、平安時代からの「餺飥」の面影を留めながら、山梨の気候や風土に合わせて独自の進化を遂げ、現在の姿となりました。「ほうとう」は、単なる郷土料理の枠を超えた「食の文化遺産」であると言えるでしょう。 

三、「斉民要術」の最古の写本は日本に所蔵

 もう一つ特筆すべき点があります。それは「餺飥」の調理法を記載し、6世紀に著された『斉民要術』の世界最古の写本が日本に所蔵されていることです。それは中国でも失われてしまった古い時代の姿を留めた極めて貴重な資料です。

 『斉民要術』は、当時の人々が豊かに暮らすための実用的な知識が詳しく記載されており、北魏から唐、宋に至るまで農業の標準的な手引書として長期間にわたり重視されていました。『斉民要術』は中国だけに留まらず、日本を含む周辺国にも大きな影響を及ぼしていました。

斉民要術

 奈良、平安時代に遣唐使や留学僧などを通じて日本に持ち込まれた『斉民要術』は、貴族や寺院で大切に書写、保存されました。その最古の写本として最も有名なのは、日本に所蔵された「高山寺本(国宝・一部)」と「金沢文庫本(1274年・鎌倉時代)」です。

 京都の高山寺に伝わった「高山寺本」は、平安時代に書き写されたものとされていますが、完本ではなく、一部の巻が残っている状態で、中国(北魏)で成立した当時の姿を最も色濃く残しているとされています。

 現在、東京国立博物館や静嘉堂文庫などに分割して所蔵されています。

 一方、「金沢文庫本」は北宋版の面影を強く残しており、 重要文化財に指定されています。

 

 「餺飥(ほうとう)」という郷土料理で、これだけの歴史や文化を味わうことができるのは、凄いことではないでしょうか。1000年以上も受け継がれてきたこの食文化は、現代人の宝物と言えます。その歴史に思いを馳せながら、これからも大切に受け継がれて行くことを願います。

(文・一心)