2月28日、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師が、米国とイスラエルによる合同軍事作戦の中で死亡したと報じられました。中国のインターネット上では、ハメネイ師が1989年6月4日にイランの最高指導者に就任していた事実に改めて注目が集まっています。同日は中国で天安門事件が発生した日でもあります。
イランの体制が今後大きな転換点を迎える可能性が指摘される中、中国共産党政権の現状や今後の行方にも関心が広がっています。
中国の伝統的な政治文化において、予言と現実の間には常に何らかのつながりが存在してきました。その代表例が『推背図(すいはいず)』で、唐代に成立したとされ、中国史上最も有名とされる予言書です。
ここ数年、推背図の第46図の文言がネット上で繰り返し解釈されています。その内容は、「ある軍人が弓を帯びて『私は白髪の老人だ』と言い、東の門に金の剣が潜み、勇士が裏門から帝宮に入る」というものです。一部の個人メディアや論評者はこれを現在の中国共産党政局と結びつけ、「弓を帯びた人物」は軍の要人を指し、クーデターによって政権中枢をひっくり返す暗示だ、と主張するようになりました。
中国共産党(略:中共)中央軍事委員会副主席である張又侠氏の名字「張」の左半分が「弓」の字であり、かつ将軍であることから、一時期、一部の世論で推背図の「弓を帯びた者」と見なされました。
中国共産党内で数少ない実戦経験を持つ高級将領として、張氏は軍の中核人物と見られてきました。2024年以降、中国軍の高層部では揺れが続き、複数の上将が拘束されたという情報も流れ、権力闘争が激しくなっているのではないかという見方が一気に広がりました。こうした状況を材料に、海外の一部評論家は、軍のトップ層で大きな入れ替えが起きている可能性、さらには「張氏がすでに習近平氏を実質的に骨抜きにした」「まもなく行動を起こす」といった、踏み込んだ推測まで飛び交うようになります。
YouTubeなどの動画プラットフォームでは、こうした政局分析コンテンツが相当な再生数を集め、視聴者もコメント欄で熱く議論します。
今年に入って、張氏をめぐる議論はピークに達しました。新唐人テレビが制作したテレビドラマ『維尼の終局』は、中国の権力中枢で起きる権力闘争を、フィクションという形で描いた作品です。その第1シリーズは、いわば「羅刹国(らせつこく)の張将軍が軍事クーデターを起こす」という結末で締めくくられました。もちろんドラマは芸術表現です。しかし視聴者の受け止め方によっては、この展開が現実の政局も近く急変するのではないか、という憶測を補強する効果を持ってしまいます。映像作品と時事コメントが相互に影響し合うことで、「軍の内部で大きな変化が起きる」という話題が、海外世論の中で繰り返し消費される定番テーマになっていったわけです。
北京時間1月24日(北米時間1月23日)、『維尼の終局』第1シリーズ最終話が放送されました。その約2週間前から、このエピソードの予告編がYouTubeやGanjing World上の多くの動画で頻繁に流されました。「羅刹国の張将軍が兵を動かし、クーデターに踏み切る」という場面が、繰り返し視聴者の目に入る状況が作られていったのです。

習近平氏も、きっと『維尼の終局』の予告編を目にしていたはずです。あの映像を見れば、きっと落ち着かない思いに駆られるでしょう。このドラマが直接、張又侠氏の失脚につながったのかどうかは、外部からは分かりません。しかし、張又侠氏の失脚が公式に発表されたのは北京時間1月24日で、それはちょうど『維尼の終局』第1シリーズ最終話の放送日と重なります。これは本当に偶然なのでしょうか。
1月24日、中国当局は張又侠氏について、重大な規律違反・法律違反の疑いで立件し、審査を開始したと発表しました。このニュースは瞬く間に世論を揺さぶりました。これまで「情勢を変えるかもしれない人物」と見られていた当人が、逆に拘束されたからです。張又侠氏をめぐるさまざまな予測は焦点を失いましたが、消えたわけではありません。今度は別の標的へと向きを変えていきます。
海外の個人メディア界隈では、議論の中心がすぐに蔡奇氏と王小洪氏へ移りました。政治局常務委員・中央弁公庁主任である蔡奇氏は、習氏の核心的な側近の一人と広く見られ、長年にわたり党中枢の調整役を担ってきた人物で、実際の影響力は極めて大きいと言われています。
複数の海外評論家は、張又侠氏の失脚後、軍の内部には目立って強い人物がいなくなり、党務システムの側でも蔡奇氏の権力に並ぶ存在がほぼいないと指摘しました。権力が一か所に集中しすぎると最高指導者の警戒心を招きやすいことから、蔡奇氏が次に政治的リスクにさらされる高官になる可能性がある、という見方が広がっているのです。
さらに複数の海外中国語圏の評論家は、最近の公安部長・王小洪氏をめぐる「病気」や「引退」のうわさについて、単なる健康問題ではなく、政治情勢の緊張の表れだと指摘しています。いま進んでいる上層部の権力再編という大きな流れの中で、王小洪氏の政治的立場は明らかに不安定で、粛清の対象になり得る、という見方です。
ある海外の個人メディア関係者は興味深い見解を示しました。海外世論による予測やコメントは、完全に外野の話ではなく、中国の政局の変化を繰り返し公の場で語られ続けることで、一定のかたちで中国の政治の動きに影響を与え得るのだ、と述べました。たとえ党中枢の意思決定を直接動かすところまではいかなくても、少なくとも国民の心理の層に作用し、政局に対する期待や見通しを作り上げてしまう可能性がある、というわけです。
こうした現象は、一種の認知戦と捉えることもできます。認知戦は、いわゆる従来型の武器に頼るものではありません。情報の拡散、感情の揺さぶり、象徴の使い方によって、人々の頭の中にある理解の枠組みそのものを作り替えていきます。
推背図を現実の権力闘争と結びつけるのは、象徴を使ったやり方です。ドラマなどの映像でクーデターの物語を強めるのは、感情に訴えるやり方です。そして「次に失脚するのは誰か」を延々と予測し続けるのは、不確実性を増幅させるやり方です。これらが同時に作用すると、単なる噂話で終わらず、結果として中国の政治の流れに影響し得る大きな力になっていく、という見立てです。
もちろん、現実の政治はネット上の予測よりはるかに複雑だという点も見ておかなければなりません。中国共産党内部の人事の動きは、多くの場合、反腐敗の仕組み、派閥間の均衡、制度上の配置など、複数の要素が絡み合って決まっていきます。
しかし、伝播やメディアの視点で見れば、いま起きている「中国の権力中枢の内紛」をめぐる議論は、すでに特定の人物だけの話を超えています。むしろ、情報化時代ならではの現象が、そのまま映し出されていると言ったほうが近いかもしれません。
したがって、「弓を携えた者」「クーデター」「次の失脚者」といった話題が取り沙汰される際、真に注目すべきは、こうした具体的な予言が現実となるかどうかではなく、こうした継続的な予測そのものが、中国共産党政権の安定性に対する公衆の見方をいかに変え、さらには中国政局の行方をいかに導いているか、という点です。中国の政局予測は、もはや現実政治の一部になっています。
推背図という象徴から張又侠氏の失脚、そして蔡奇氏や王小洪氏をめぐる憶測に至る一連の流れは、海外の反中共系の人々が、認知戦という手法を通じて、中国の体制を包囲していく過程を示している、とも解釈できます。
事実と推測が入り混じる空間では、認知そのものが戦場になり、その戦場で最も重要な武器になるのが、言説です。
(翻訳・藍彧)
