競争が極めて激しい中国外食産業のレッドオーシャンにおいて、数百店舗を展開する「西貝莜面村(シーベイ・ヨウミエンツン)」は、かつて中産階級の消費の象徴とされていました。その立ち位置を日本企業に例えるなら、「中国版ロイヤルホスト」とも言える存在です。一般的なファミリーレストランよりも健康志向を前面に出し、それに見合う中高価格帯を設定してきたからです。しかし、そのように「匠の心(クラフトマンシップ)」を掲げてきた外食大手は、創業者の常識外れな一連の判断によって、中国のインターネット上で信用崩壊のブラックジョークを演じることになりました。
騒動の発端は、中国初代のインターネット・オピニオンリーダー、羅永浩(ルオ・ヨンハオ)氏の発言でした。数百万人のフォロワーを持つ彼はSNS上で、西貝は価格の割に量が少なく、料理も昨日の残り物のような味がすると指摘しました。これは決して特異な意見ではありません。実際、同店では蒸しパン(マントウ)一つが29元、日本円で約600円もします。一級都市でもこの金額があればランチセットが食べられ、日本ならサイゼリヤの「ミラノ風ドリア」を2皿頼める水準です。大衆の感覚から大きく外れた価格設定であることは明らかでした。
成熟した市場であれば、企業は価格への疑問に対し、コスト構造の説明や誠実なサービスで応じるはずです。しかし創業者の賈国竜(ジア・グオロン)氏は、謙虚さを見せるどころか強硬姿勢を取り、価格を批判する消費者に対して訴訟を示唆しました。SNS時代に極めて危険なこの対応は、単なる価格論争を、資本家の姿勢に対する道徳的審判へと一気に変質させました。その結果、西貝がレトルト食品を大量使用しているのではないかという疑惑が瞬く間に拡散します。
身の潔白を証明するため、賈氏は後に反面教師として語り継がれることになる決定を下しました。それが厨房のライブ配信です。本来であれば調理技術を披露する舞台となるはずでしたが、結果としてそれは公開処刑の場となってしまいました。数万人がリアルタイムで見守る中、カメラは厨房の真実を残酷なまでに正直に映し出したのです。そこには鉄鍋を振るうシェフの活気も、鮮やかな包丁さばきもありませんでした。映し出されたのは、無表情なスタッフが銀色のハサミを手に持ち、工業製品のマークが入ったビニール製の料理パックを慣れた手つきで切り開き、中身を鍋に入れて温めるだけの姿でした。
コメント欄は嘲笑で埋め尽くされました。店内調理を主張してきた高級レストランにとって、この映像は致命的でした。レトルト疑惑を事実として確定させただけでなく、創業者の否定を滑稽な笑い話に変えてしまったのです。さらにネットユーザーの調査により、「子供に安心して食べさせられる」としていたキッズメニューに、冷凍期間2年超のブロッコリーが使われていたことも判明しました。最高価格を払って、子供より年上のブロッコリーを食べさせていたというブラックジョークが拡散し、親たちの信頼は完全に崩れました。
信用失墜後の広報対応も迷走を重ねました。本来なら誠実な謝罪と、標準化のために調理工程を簡略化した事実を認めるべき局面でした。しかし西貝が発信したのは、創業の苦労やチームの想いを語る自己陶酔的なエッセイの連投でした。この「感動の押し売り」は若い世代の消費者を激怒させ、「消費者の知性を侮辱している」と批判されました。コスパや食品安全という核心から目を逸らした姿勢は、共感を得るどころか反感を増幅させたのです。
さらに不条理な展開は、騒動が沈静化しかけた頃に起こります。賈氏がインタビューで自らレトルト問題を蒸し返し、再び自己正当化を試みたのです。この行為は世論の猛反発を招きました。最終的に市場が突きつけた答えは、罵倒ではなく冷酷な数字でした。2026年1月29日現在、西貝は全国店舗の30%にあたる102店舗の閉鎖を発表しました。内部データでは、2025年11月の売上高は2.65億元(約53億円)まで落ち込み、例年の半分以下。累積赤字は半年で6億元(約120億円)を超えています。
中国のSNSには辛辣なコメントが溢れています。「金持ちに対する幻想が消えた。彼らが必ずしも私たちより賢いわけではないことが証明された」といった声に加え、賈氏の行動原理を鋭く分析する声もありました。「彼は従業員のためと言いつつ、結局は自分のプライドのために発言している。明らかに理がない状況でも強気なのは、中国経済が飛躍した時代の恩恵と運を、自分の絶対的な実力だと勘違いしているからだ。だから彼は絶対に自分の非を認めない」という分析は、多くの共感を集めています。
この状況を、日本でも馴染み深いサイゼリヤと比較すると、その皮肉はより鮮明になります。サイゼリヤもまた、セントラルキッチン方式とレトルト食材を駆使する代表的な企業ですが、日中両国で絶大な支持を集めています。その根本的な理由は、誠実さと価格の整合性にあります。サイゼリヤは工業化のプロセスを隠そうとせず、その分圧縮したコストを消費者に還元し、究極のコストパフォーマンスを実現しています。対照的に西貝は、サイゼリヤと同様の工業化された料理パックを使いながら、ミシュラン級の職人の物語を語り、中産階級さえも舌を巻く高価格を設定しました。消費者が怒ったのはレトルトそのものではなく、この不誠実なズレなのです。
賈国竜氏はかつて、新規事業の探索のために5億元の授業料を払ったと豪語していました。しかし、この巨額の授業料をもってしても、誠実さという必須科目の単位は取得できなかったようです。傲慢な訴訟の脅しから、ハサミで切られる料理パックの決定的瞬間、そして子供に食べさせたゾンビのようなブロッコリーのスキャンダルまで、これらは単なる経営戦略の失敗ではなく、企業家の人間の弱さに関する現代の寓話です。
(翻訳・吉原木子)
