世界中の都市が花火と歓声で2026年の幕開けを祝う中、中国の街だけは異様な静寂と緊張に包まれていました。それは祝祭というより、まるで戒厳令下の風景そのものでした。沿岸部の青島から内陸の西安、そして繁華街の杭州から政治的な要衝である南京に至るまで、中国当局は2025年12月31日の夜、常軌を逸した規模の治安部隊を展開しました。この圧倒的な「封じ込め」によって、本来なら市民が主役であるはずの年越しは、警察権力と民衆による無言の対峙へと姿を変えていました。

 その異様さが極まったのが、浙江省・杭州です。当局は公式イベントの中止を早々に発表していましたが、現場となった繁華街「湖浜(こひん)地区」に投入されたのは、観光客の数を上回るほどの警備兵力でした。現場の映像には、反射ベストを着た警察官と警備員が隊列を組み、視界を埋め尽くす様子が映し出されています。彼らは道路や地下鉄の出入り口を封鎖しただけではなく、市民が手に持った「風船」さえも、治安を脅かす危険物として没収しました。

 この窒息しそうな封鎖下で、象徴的な「衝突」が起きました。1月1日未明、封鎖線の内側で一人の外国人男性が高台に立ち、群衆をリードして新年のスローガンを叫ぼうとしたのです。この行動は瞬く間に周囲の共感を呼びましたが、同時に警察の神経を逆撫でしました。わずか数分のうちに特殊部隊が群衆をかき分けて突入し、男性を強制的に連行しました。SNSで拡散されたこの光景は、現在の中国における不条理な現実を突きつけています。それは、「許可なき集合」や「叫び」は、たとえそれが新年を祝うためのものであっても、政権への脅威とみなされるという現実です。

 「蟻の這い出る隙もない」ほどの警戒態勢は、杭州だけのものではありません。山東省・青島の有名な海岸では、1.7キロメートルにわたって鉄柵が張り巡らされ、市民が海に近づくことすら禁じられました。武装警察と特殊部隊が「5歩に1人」という密度で配置され、通行人の身体検査を行う物々しさでした。上海や蘇州でも、市民を迎えたのは消灯されたランドマークと、赤く点滅するパトランプだけでした。公式のカウントダウンもライトアップもない暗闇の中で、集まった群衆はスマートフォンのライトを頼りに、自発的に小さな声で「あけましておめでとう」と呟くことしか許されませんでした。

 そして、より根深い政治的な恐怖が露呈したのは南京です。かつて「白紙運動」の余波の中で、市民が警戒線を突破して孫文(そんぶん)の銅像に献花した2022年の出来事を、当局は忘れていませんでした。2026年の年越し、南京警察は先手を打ちました。広場にある孫文像を、警官たちが手をつないで何重にも包囲する「人垣(ひとがき)」を作ったのです。銅像への接近ルートを物理的に遮断したこの措置は、民主や自由の象徴と民衆が結びつくことを極端に恐れ、感情の共有が政治的な意思表示へと変わることを未然に防ごうとする、当局の焦りそのものでした。

 実際に、広州、鄭州、西安など多くの都市で、当局は「安全」を口実に祝賀行事を中止させ、花火の打ち上げを厳禁としました。山東省や浙江省では、花火をした未成年者が拘束されたという情報も流れています。

 巨額の治安維持費を投じ、都市を要塞化して迎えた2026年。しかし、この過剰なまでの「予防的な弾圧」は、逆に権力の自信のなさを浮き彫りにしました。政権が「人が集まること」そのものを最大のリスクと見なし、市民の祝祭よりも防衛を優先させたとき、この夜が人々に残したものは、単なるイベント中止への不満を超えたものでした。高く積み上げられたバリケードは、確かに人の波を食い止めることには成功したかもしれません。しかし、その強硬な姿勢は、人々の心を政権からさらに遠ざける結果しか生まなかったのです。

(翻訳・吉原木子)