2026年の幕開けを祝う歓声と花火が世界中を包み込もうとしている直前に、膨大な人口を抱える中国だけは、不気味なほどの静寂に包まれていました。
西安、合肥、広州、そして上海。かつては大晦日のカウントダウンで熱狂に沸いた大都市から、灯りが消えています。各地の自治体は、イベントの中止を相次いで発表。人波が消えた歩行者天国には、冷たいバリケードと、物々しい警備の警察官だけが立ち尽くしています。ネット上では、この異様な光景を指して「全国一斉消灯」という言葉が飛び交いました。
「偉大なる復興」を掲げる大国が、なぜ市民が集まって新年を祝うことさえ、これほどまでに恐れるのでしょうか。その極度の不安の裏には、当局がどうしても拭い去ることのできない「トラウマ」がありました。
時計の針を、ちょうど一年前の2024年の大晦日に戻してみましょう。あの日、河北省の正定という街で、このトラウマを意味する象徴的な衝突が起きました。この正定は、習近平国家主席が政治家としてのキャリアを本格的にスタートさせた「出世の地」として知られています。
大晦日の夜、歴史的な観光スポットである「正定古城」には、カウントダウンを目当てに多くの群衆が集まりました。しかし当局は、人々の集まりを阻むために、古城のシンボルである城門を突如として閉鎖したのです。行く手を阻まれ、行き場がない群衆の熱気は、やがて巨大な怒りのエネルギーへと変わりました。そして、封鎖された城門を物理的に突き破る「城門突破」へと発展したのです。
この「10万人の攻城戦」とも言われる前例、そして2023年に起きた、警察が花火をする人を連行しようとしましたが、周囲の若者達に阻止された「花火革命」。こうした記憶が、今年の当局を極度の疑心暗鬼へと追い込んでいるのです。
独裁体制が群衆の集まりを極端に恐れるのは、歴史の必然でもあります。思い起こされるのは、ルーマニアの独裁者チャウシェスクの最期です。1989年12月、権力を誇示するために首都ブカレストで開かれた10万人規模の官製集会。演説の最中、群衆の中からたった一人の「チャウシェスク打倒!」という叫び声が上がりました。その瞬間、静まり返っていた広場は怒号に包まれ、盤石に見えた独裁体制はわずか数日で崩壊しました。
中国当局も、その教訓を痛いほど理解しています。数万人の人間が集まれば、たとえ最初は新年を祝うためであっても、その共鳴がいつ「抗議」へと変貌するか分かりません。
そのリスクを根絶するために、2026年の幕開けは、事実上の「予防的鎮圧」によって祝祭の息の根が止められました。西安の鐘楼周辺は立ち入りが制限され、広州の繁華街からはカウントダウンが消え、国際都市・香港でさえも恒例の花火が中止に追い込まれました。新年を特別な思いで迎える私たち日本人からすれば、商業施設の営業時間まで強制的に短縮させ、カウントダウンさえ許さないその光景は、異様な世界に映るはずです。
こうした「興ざめ」な当局の振る舞いに、中国のSNSでは皮肉と不満が渦巻いています。「中国人は新年を祝わない。元旦は日本人の正月であって、我々は旧正月を祝えばいいんだ」という自嘲的な投稿に対し、「この調子なら、旧正月すら禁止されるのも時間の問題だ」という鋭い反論が突き刺さります。
こうした抗議の声の中で、ある変化が視聴者達を驚かせています。それは、ネットユーザーたちが当局を示す際、「彼(他)」や「彼女(她)」という代名詞を使わなくなり、物や無機質な対象を指す「それ(它)」という文字をあえて使うようになっていることです。これは単なる誤字ではありません。管理しているのは人間ではなく、血も通わない冷酷な「怪物」であるという、市民の痛烈な疎外感と不信感の表れなのです。
当局の維持管理の観点からすれば、イベントの中止は効果的かもしれません。集まらなければ、感情は生まれません。感情が生まれなければ、体制は安全。しかし、人々の行き着く先に待っているのは、安全なスポットで起きる「監獄」です。自らの原点である城門を封鎖してまで安定を保とうとする当局の姿に、彼らが説く「復興」の真実味がどこにあるのでしょうか。
消えたカウントダウンは、今の中国社会が抱える深い亀裂を映し出しています。市民を「爆弾」として監視する警察と、1年の疲れを癒やし、ただ純粋に喜びを分かち合いたかった普通の人々。
今夜、街に花火は上がりません。しかし、人々の心の中に灯った火までは、消し去ることはできないでしょう。この静まり返った夜の静寂は、決して服従の証ではありません。それは、次に轟く雷鳴を待つための、深い沈黙のようにも聞こえるのです。
(翻訳・吉原木子)
