近年、中日関係は再び冷え込みつつあります。2025年11月14日、中国外交部は「当面、日本への渡航を控えるように」と題した通知を発表しました。そこでは、日本の治安が悪化し、警察を信用できず、襲撃事件が相次いでいるかのように描かれています。こうした内容はSNS上で瞬く間に広がり、旅行を予定していた中国人の間に不安が広がりました。
一方で、中国政府がロシアに向ける姿勢は対照的です。北京とモスクワの外交的往来は途切れることなく、「中露友好」という言葉が繰り返し打ち出されています。2021年には当時の外相が「中露の戦略協力に終わりはなく、禁じられた分野も上限もない」と語りました。こうした基調は文化・観光分野にも及び、2024〜2025年は「中露文化年」と位置付けられ、関連イベントが相次いでいます。日中関係が緊張する今、一部の中国メディアは「日本よりロシアに行ってみてはどうか」と提案するほどでした。
しかし、旅行者が実際に目にしたのは、宣伝とは異なる現実です。
ロシアを訪れた中国人旅行者のSNSには、トラブルを訴える投稿が続きました。モスクワを訪れた男性は、警察に理由もなく呼び止められ、「書類に問題がある」と言いがかりをつけられ、7000ルーブル(約1.3万円)の罰金を求められたうえ、最終的には所持金2万ルーブル(約4万円)以上を奪われたと訴えています。「パスポートもビザも合法なのに、まるで“カモ”扱いだった」と男性は語ります。
また、モスクワで暮らす息子が警察に連行され、「1万ルーブル(約2万円)を払えば釈放する」と求められたと涙ながらに訴える中国人女性もいました。「商売を続けるだけでも大変なのに、中国人を狙ったゆすりが毎日のようにある」と憤りをこぼしています。
こうした声が出る背景には、ロシアの治安の悪さと警察の腐敗が長年にわたり指摘されてきたという事情があります。多くの中国人にとって、ロシアの警察は「治安を守る存在」というより、「金銭を要求する相手」として受け止められています。2005年の中国メディアの調査でも、ロシア在住の中国人の約1割が暴行や侮辱を経験し、6割以上が「警察による恐喝」を最大の悩みだと答えています。「ロシアで一番の敵は警察とチンピラだ。警察は金を取り、チンピラは殴るだけだ」という声もありました。
こうした実態は、ロシアを「友好的で魅力的な観光地」と伝える宣伝とはかけ離れています。それに対し、中国外交部が「治安悪化」を理由に警告した日本は、実際には世界でも有数の安全な国です。2025年、日本の警察庁は「外国人観光客が犯罪被害に遭うケースは極めて少ない」との声明を出し、安心して来日できる環境づくりを進めていると説明しました。東京や大阪などの大都市では夜遅くでも街灯が明るく、女性が一人で歩いていても不安を感じにくい状況が続いています。
こうして中国人旅行者の間には、奇妙なねじれが生じています。宣伝を信じて安全な日本を避ける一方、ロシアに行けば警察に金品を奪われる。日本では「危険」とされた警察官が丁寧に案内し、「友好的」と宣伝されたロシアでは財布を空にされる。Xでは次のような皮肉が広がりました。「日本は危険だと言われたのに、案内してくれたのは日本の警察。ロシアは友好国だと言われたのに、盗られたのはロシアで全部。」
もはや単なる旅行トラブルではなく、宣伝と現実の落差が露わになった場面といえます。
歴史に目を向ければ、この矛盾はさらに際立ちます。
ロシアが中国に及ぼした歴史的被害は、日本に劣らないどころか、むしろ深刻だった時期もあります。19世紀後半、帝政ロシアは不平等条約を通じて外満州など約150万平方キロの領土を奪い、1900年の義和団事件では東北地方で虐殺が発生しました。第二次大戦末期には「援助」を名目に進軍し、工業設備を大量に接収。1969年の珍宝島事件では核戦争寸前まで緊張が高まりました。
一方、日本は戦時中の侵略という歴史的事実はあるものの、戦後は経済・技術協力を通じて中国の発展を支援しました。1979年以降、日本政府は円借款によるODAを通じて、北京首都国際空港の拡張、広州地下鉄、武広高速鉄道、青蔵鉄道など、今日の中国の基幹インフラの整備に協力しています。
それにもかかわらず、中国国内では日本が「仇敵」として語られ続け、かつて領土を奪い、複数の衝突を引き起こし、冷戦期には核兵器さえ向けたロシアが「兄弟の国」として扱われています。
こうした構図を形作ってきたのは、長年にわたる叙述の偏りです。1949年以降、中国では教育やメディアが「反日」を中心に据え、「ロシア(ソ連)による侵害」はほとんど語られませんでした。21世紀に入り、対西側の関係で中露が接近すると、歴史問題は一層語られにくくなり、“反日”だけが政治的正しさとして強調されてきました。
その結果、国民の認識は少しずつ歪んでいきました。日本の治安や礼儀は見落とされ、ロシアの腐敗や暴力は「友好」の名で覆い隠される。ロシアに幻想を抱いて旅に出た中国人が、現実の世界で初めてその実像に向き合うことになります。こうした光景は珍しくありません。
憎しみであれ友好であれ、宣伝によって形成された感情は、現実の前では脆いものです。どこが危険で、どこが安全なのか。何が事実で、何が物語なのか。それを見極められるのは、政府の説明ではなく、一人ひとりの冷静な判断と自立した思考です。そうした視点を持たなければ、同じような皮肉はこれからも繰り返され、“友好国”だと信じた場所で、また空になった財布を手にすることになるでしょう。
(翻訳・吉原木子)
